第98話「奇襲」
(間に合ったか)
エミルはリンとナウゼの試合が今まさに開始されるというところで会場にたどり着くことができた。
(もう依頼分の報酬は貰ったし、わざわざ足を運ぶこともないが、まあ何かの縁だしな。最後まで付き合うとしよう)
エミルは空いている席を探して観客席を歩き回ったが、すでにどこも一杯になっていた。
皆、新たに塔に訪れたスピルナの上級貴族が出場すると聞いて、その戦いぶりを今のうちに一目見ようと詰めかけているようだった。
歩き回ること数十分、エミルはようやく一つポツンと忘れられられたように空いている席を見つける。
エミルはホッとしたものの念のため周囲に座っている人物を確認する。
自分より身分が上の魔導師がいないかどうか。
敵対するギルドの人間がいないかどうか。
そして空席の隣に座っている人物を見て固まった。
「お前は。ユイン!」
ユインは自分の名前を呼ばれて会場に向けていた目をしばしそらせる。
「エミルか」
「なんでお前がここに。お前は魔導競技なんて興味もないし、それどころか馬鹿にしていただろう。なのになんでリンの試合を……」
そこまで言ってエミルはハッとする。
「まさか。お前がリンをここに連れてきたのか」
「別に。暇だから立ち寄っただけだよ」
エミルは久しぶりにユインの態度に接してイライラした。
「相変わらずだなお前は。一度塔を追放されたというのに懲りもせず……」
「ちょっとお姉さん。立ってたら邪魔だよ。観戦するなら早く座ってよ」
エミルに前を遮られている観客が不満気に言った。
エミルはユインの隣以外に空いている席がないか探したが、あいにくどこも空いていなかった。
仕方なくユインの隣に座る。
「私の弟子をけしかけたのは君か」
「けしかけた? 私は一度もそんな事していない。あいつに雇われたから指導しただけだ」
「雇われたねぇ。どうだかな」
ユインは彼特有の皮肉っぽい調子で言った。
「何が言いたい」
「別に。だが、君も人が悪いな。リンを『杖落とし』に出場させるなんて。まさか自分が教えたから勝てると思っているのかい?」
「……」
「『杖落とし』。始めはただ相手の持っている杖に互いの質量魔法をかけて落としあう、腕相撲のような競技だった。しかし徐々に相手への直接攻撃が解禁されてゆき、ただの魔法での殴り合いになっていった。ノーガードの撃ち合いで死人が出るようになってからは『城壁塗装』がレギュレーション化され、『物質生成魔法』が運用されるようになってからはより単純化し、質量のぶつけ合いになった。質量の撃ち合いはスピルナ系魔導師の独壇場。何よりリンのあの性格だ。まともに戦えるとは思えないけれどね」
「あんまりリンを見くびるなよ」
エミルは少しムキになって言った。
「確かにあいつには移り気ですぐ周りに流されるところがある。だが、直接しごいた私には分かる。あいつはあのやわに見える仮面の下に信じられないくらいの強靭さを秘めている。どれだけ叩かれても決して折れることのない強さだ。例え敵がスピルナの魔導師であったとしても簡単にやられたりはしない」
試合の審判は二人を互いに魔法が放てる十分な距離まで遠ざける。
「では。これよりナウゼvsリンの試合『杖落とし』を始める。両者魔導師としての規範と誇りに則って正々堂々戦うように」
審判は手を上げた。
手が振り下ろされた瞬間試合開始である。
「互いに魔法を打ち合い、杖を落とした方の負け」
二人は試合の開始に備えて互いに魔導具を構える。
ナウゼはリンに向けてまっすぐ杖を構える。
初めから足を止めて砲撃に集中する構えだった。
一方でリンは杖を寝かせて指輪に光を溜める。
(まだ指輪魔法にこだわるのか。以前の戦いで俺には通じないと分かっただろうに)
そう思いつつもナウゼは油断なく、リンの装備や挙動に不審な点がないか確認する。
(ましてや互いに城壁の鎧を着込む『杖落とし』。大質量をぶつけなければ相手に有効打を与える事はできない。となればリンの狙いは一つ。おそらくは武器破壊。つまり光の剣でこちらの杖を破壊しようという魂胆だろう)
ナウゼはリンの雰囲気が以前と違っているのに気付いていた。
確信と自信に満ちて落ち着いている。
光の集め方も以前より洗練されている。
(それなりに鍛錬を積んできたというわけか。だが俺には通用しない。質量、加速度、いずれをとってもお前より俺の方が数段上。リン。一朝一夕の鍛錬でどうにかなるほど魔法の戦闘は甘くない。それを思い知らせてやるよ。二度と逆らおうなんて思わないように!)
「では試合開始」
審判はそう宣言するとともに煙となって消えた。
彼は煙を衣服と帽子で包み遠くから操られている人形に過ぎなかった。
これから起こる激しい戦いに巻き込まれないように。
試合開始の合図と共にナウゼは大玉の鉄球を瞬時に生成する。
ナウゼの体前面を隠し切ってしまうほどの巨大な鉄球だった。
そしてそれを恐ろしい速さで打ち出す。
鉄球はリンの立っていた場所に瞬きする間もなく着弾する。
凄まじいエネルギーと衝撃に晒された闘技場の床と鉄球は粉々になり、あたり一面に破片を撒き散らした。
闘技場の床を構成する石版は瓦礫となって吹き飛び、土煙がもうもうと立ち込める。
予想以上の威力に居合わせた観客達はどよめきの声を上げる。
リンは間一髪のところで加速魔法によって回避していた。
(外した。指輪魔法はフェイクか)
ナウゼはリンが思いの外素早く動いたため見失うが、辛うじて左側に影が逃げていくのを捉えていた。
ナウゼはとにもかくにも前方に加速してその場を離脱する。
とにかく動かなければ的になるだけだった。
案の定、先ほどまでナウゼの立っていた場所にすぐさま鉄球が飛んで来て着弾した。
ナウゼは回避行動をとりながらも鉄球が飛んで来た方向を肌の感触と風切り音で見当をつけ、リンの位置に目星をつける。
(やはり左に逃げていたか。加速魔法での戦闘を覚えているとすればリンの現在地は……おそらく真後ろ!)
ナウゼは急ブレーキをかけて反転し、また瞬時に鉄球を生成して、リンの進行方向と思しき場所に鉄球を放つ。
急ブレーキ、反転、発射。
これらの運動が身体に与える高負荷にもかかわらず、ナウゼは姿勢を一つも崩す事なく一連の動作をやってのける。
彼の鍛え上げられた肉体があってこそ初めてできる芸当であった。
鉄球は誰もいない場所に着弾した。
しかしそこはリンが今まさに足を踏み入れようとしていた場所だった。
リンは慌てて急ブレーキをかける。
えぐられた地面に加速しながら突っ込めば足を取られて転んでしまうに違いなかった。
しかし止まったせいでナウゼによって捕捉されてしまう。
「くっ」
リンは急いで身を翻し、反対方向に加速する。
「遅いよ。『加速魔法』」
ナウゼが呪文を唱えるとリンの速度がガクンと落ちて彼の通常の歩行速度でしか移動出来なくなる。
ナウゼが逆方向に加速魔法をかけたのだ。
(加速できない!? この距離からこっちの魔法を打ち消したっていうのか)
「加速魔法の威力が違い過ぎる。地力の差は歴然だな」
客席でユインが呟くように言った。
「捕まえたよリン。後は撃ち合いをするだけだ」
ナウゼはリンに杖を向けて、鉄球を生成する。
リンはゆっくり移動しているものの、彼の火力ならば少しくらい外れても十分有効打を与えられる。
ナウゼの杖の先で鉄球が生成され彼の目の前を覆っていく。
「捕まえたのは……こっちの方だ!」
リンは地面に向かって先ほどからずっと溜めていた指輪の光を放つ。
ナウゼに見えないよう、彼の鉄球によってできた死角を利用して。
砲撃が放たれる。
衝撃音と共にまた床が抉れた。
しかしナウゼは目の前の光景に戸惑っていた。
(リンが……いない?)
鉄球が着弾した場所の周囲には誰もいなかった。
リンの姿は忽然と消えていた。
(バカな。加速は封じたはず。一体どうやって……。いや違う。移動したのは俺の方!?)
ナウゼは先程まで自分が立っていたのとは異なる場所に立っていることに気づいた。
彼は一歩も足を動かしていないにも関わらず。
(まさか!)
ナウゼが足元を見るとそこには光の線路が引かれていた。
(これは。敵の位置を自在に操る『位相魔法』!?)
リンは自分を起点にナウゼをぐるりと半周させて、彼の向いている方向はそのままに、自分の後側に移動させていた。
ナウゼは急いで線路の先に向き直り、リンに照準を合わせようとした。
しかし、リンはすぐさま光の線路を引っ張りながら加速魔法で移動する。
更に自分を起点にナウゼとの距離と方位をこまめに変えて、巧みに火線から逃れる。
ナウゼは変わり続ける自分の位置に振り回されながらもリンを目視で追い続けた。
しかし景色があまりにもめまぐるしく変わるため、照準を合わせられない。
ナウゼは混乱しながらも自分の置かれた状況をどうにか理解しようとする。
(火力と機動力で撃ち合うのではなく、『位相魔法』で敵を翻弄する。この戦い方は……)
ナウゼはついにリンを見失う。
背後に気配を感じた。
ナウゼは振り向くが、リンの出足の方が早かった。
リンは浮ついて無防備になったナウゼの足に自分の足をかける。
(この戦い方は……傭兵の戦い方)
姿勢を崩してよろけるナウゼ。
リンは彼の顔面に向かって迷いなく杖を振り下ろす。
1トンの力がモロに加わって、鈍い衝撃音と共にナウゼは地面に叩きつけられる。
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