第90話「うごめく闇」
アルフルドに帰還したテオ達はアルマを医務室に預けた後、すぐさま魔導師協会に駆け込んで苦情を訴えた。
ルシオラという魔導師に罠に嵌められたこと。仲間が重傷を負わされたこと。彼女を検挙してほしいこと。100階層に取り残されたリンを救助して欲しいこと。
しかしそれに対する協会からの返事は案の定、にべもなく期待はずれのものだった。
魔導師協会はその管轄する階層以外のことに手を出せない。
200階層の魔導師のことは200階層の協会に訴えて欲しい。
今後は迂闊に見ず知らずの人間についていかないように。
「用事はそれだけ? じゃあこれで終わりだね。さ、帰った帰った」
協会の職員はそれだけ言うとそっぽを向いて、やりかけだった傍らの書類の整理を再開する。
それ以降、テオが何を言っても彼は聞く耳を持たなかった。
「クソが! 融通の利かない組織だなホントに。こっちは死にかけたっつーのによ」
テオは肩をいからせながら協会の窓口を後にする。
「しかし参ったな。協会で対応してくれないとなると自力でどうにかするしかない。あのくらいで200階クラスの魔導師が息絶えるとは思えない。放っておいたらまた後で復讐にくるとも限らないぞ」
ザイーニが心配そうに言った。
「それよりもリンよ。ルシオラの迷宮に閉じ込められたままなんだから。なんとか助けなきゃ」
「一応、セレカ殿に事情は話しておいたが、彼女もどこまで動いてくれるか。こちらから何も出来ないというのは歯がゆいものだな」
テオ達がターミナルに戻ると、そこでひょっこり霊獣を伴ってエレベーターから降りてきたリンと鉢合わせた。
「リン!」
「あ、みんな」
「お前大丈夫だったのか? よく一人であの迷宮を抜け出せたな。ていうかそいつは?」
「迷宮が塔の外に繋がってて。そこでたまたま知り合いの高位魔導師に会って助けてもらえたんだ。彼はチーリン。今、言った高位魔導師の子が所有してる霊獣で、貸してもらったんだ。それよりもいいモノを持ち帰ってこれたよ」
リンは帽子の中から水筒を取り出す。
「これは?」
「メデューサの血が入ってる」
「メデューサの血? あの瀕死の人間を蘇生するというメデューサの血か?」
ザイーニが驚いたように言った。
「うん。これでアルマの傷も治るんじゃないかと思って」
「でかしたリン。早速医務室に行ってアルマに使ってやろうぜ」
「メデューサを倒したってことは他にもレアなアイテムを手に入れたってことじゃないの?」
ユヴェンが目を輝かせる。
「うん。黄金の羽とか、青銅の腕、あとメデューサの瞳」
「そんなことより今はアルマだ。さっさとあいつの火傷を治して苦痛から解放させてやろうぜ」
リンは死地を切り抜けた安堵の溜息もそこそこに、テオ達と一緒に医務室へと急いだ。
塔の200階層。
ルシオラは切り落とされた腕を魔獣に持たせ、傷口を庇いながら歩き、這々の体でようやくマルシェ・アンシエのアジトに辿り着いていた。
ここには治療系の魔導具も充実しているため、協会に属する医務室にカルテを取られる心配もなく治療を受ける事ができた。
ルシオラはメデューサの血が入った瓶を掴むなり、包帯を巻いて応急処置された自分の腕になすりつけた。
傍らにいる奴隷に怒鳴りつける。
「医者を呼びなさい。早く!」
彼女は苦しそうに顔をしかめながら治療室に向かう。
「くそっ。あのガキ共。今度会ったらブチ殺してやる」
「へーお前がそんな傷負うなんて珍しいじゃん」
ルシオラに対して2階から若い男が声をかける。
見るとそこには二人の男がいた。
一人は愉快そうにニヤニヤしながら、もう一人は実験動物を観察するような目で、それぞれルシオラのことを見下ろしていた。
「ウィジットにフォルタか」
「君が100階層に置き去りにした学院生達は無事アルフルドに帰還したみたいだよ」
「お前ら……見ていたのか」
「途中からね。そんなに強いの? お前の妹を独房送りにした奴って」
童顔の男、ウィジットが言った。
「まだ学院生だろう? 興味深いね」
学者肌の繊細そうな男フォルタが言った。
「あいつらは私の獲物よ」
ルシエラは牽制するように二人を睨んだ。
「でもそんな怪我してちゃしばらく活動できないでしょ」
「ルシオラさんといえども治療に2、3ヶ月はかかりそうですねぇ」
フォルタがルシオラのちぎれた腕をしげしげと眺めながら言った。
「リンとテオって言ったけ。そいつら殺せばいいんだろ? 俺達が手伝ってやるよ」
「手出しするな」
ルシオラは蛇が威嚇する時のような獰猛な目を二人に対して向ける。
「アルフルドは私の縄張り。いくらお前達といえど余計なことしたらただじゃおかないよ」
「はいはいっと」
「無論、我々も君と争うつもりはないよ」
ルシオラはそれを聞いてもなお疑り深そうに彼らを睨んだが、腕の痛みに押されて奥に引っ込む。
「手出ししないさ。オレ達はな」
ウィジットはルシオラに聞こえないよう小声で呟いた。
ルシオラとの騒動から解放されたリン達はどうにか彼女を検挙しようと色々動いたが、結局はすべて徒労に終わった。
彼女を捕まえるには向こうからアルフルドに来たところを迎え撃つ以外に方法はなかった。
仕方なくリン達は当面の間、専守防衛に専念することにした。
彼女からの報復に備え、外出する時もなるべく人出の少ない場所を避け、指輪を装備しながら出歩くことで、危険に備えながら日々の生活を送ることになった。
リンは事ある毎にルシオラの力と残忍で酷薄な性格を思い出した。
学院に通っている間も彼女に対する恐怖は払拭できず、普段の生活も以前のような気持ちで送ることができなかった。
曲がり角に差し掛かる度、物陰が目の端に映る度、そこからルシオラが飛び出して襲いかかってくるのではないかと神経質になる。
ようやく彼がいくらか平穏を取り戻せたのは二つの事実を知ってからであった。
一つはアルフルド内で学院魔導師を殺せばいくら彼女であっても検挙は免れないこと、そしてもう一つは彼女の傷が癒えるまで数ヶ月はかかることだ。
「200階クラスの魔導師でも切断された腕を元通りにするのは困難な作業です」
チーリンはリンにそう言った。
彼はアトレアが出張から帰ってくるまでの間、彼女からの命令に従ってリンのそばに付き従っていた。
「そうなの?」
「ええ、200階クラスの魔導師といえども切れた腕を接合し、回復するのには時間がかかります。メデューサの血をもってしても瞬時に回復することは不可能。どれだけ少なく見積もっても全快まで2、3ヶ月はかかるでしょう」
リンはそれを聞いてようやくホッとした。
「ホントか? 本当に襲って来ないんだろうなあの女」
側にいるアルマがオドオドした調子で聞く。
彼はあの一件以来すっかり萎縮してしまっていた。
顔の火傷と裂傷はほとんど治りかけていたが、それでもまだ生々しい傷跡が残っていて、未だに湿布の取れない場所も残っていた。
生来の明るさと活発さは失われ、何者かが自分に襲ってくるのではないかと常に周囲を見回して警戒していた。
今もチーリンのそばに引っ付いて離れない。
彼は霊獣の側にいれば安全と考えているようだった。
学院でもリンを見かければすぐに霊獣の側に寄って離れないようになっていた。
リンはさすがに苦笑する。
「大丈夫だよ。アルマ。さすがにルシオラも学院の中で襲ってくることはないって」
「バカヤロウ。わかんねーだろ。魔法を使えばどんなことだってあり得るんだぞ」
彼はそう言ってチーリンにしがみつきながら周りをキョロキョロと見回す。
リンは何を言っても無駄だと悟り、彼の好きにさせることにした。
放課後。
学院の授業が終わってリンは帰り支度をする。
今日は月に一度のイリーウィアのパーティーの日だった。
「さてと。着替えて行かなくちゃ。チーリン。君はどうする?」
「どうするとは?」
「これから王室茶会に行くんだ。霊獣は入場できるかどうか分からないんだよね。一人で僕の部屋まで帰れる?」
「アトレア様の命令により私はリン様の元を離れることはできません。パーティーにも同行したく存じます」
「うーん。入れるかなぁ」
「魔導師のパーティーであれば魔力を伴う生き物でも危険のない限り入場可能なのでは? リン様以外にもパーティーに魔獣を伴っている魔導師はいるでしょう?」
「そうか。そう言えば魔獣を引き連れている人は結構いるね」
(というかレインも魔獣だったな)
「魔獣は何も戦闘や攻略のためだけに所有するものではありません。魔獣を所有すること自体富を誇示することにもなりえます。王室茶会であればむしろ私は周囲への良いアピールになるかと。どうしても煙たがられるようでしたら周りから姿が見えないようにすることも可能です」
チーリンはそう言うや否や体を透明にさせ、存在を希薄にする。
こうして見るとなるほど彼は確かに魔獣と精霊の間にいる生き物なのだとリンは改めて実感した。
「分かったよ。一緒に行こう。多分透明になる必要もないと思う」
リンはエレベーターまで行ってアルマと別れようとする。
「なあ。今日は茶会休んで一緒に帰ろうぜ。夜遅くまで出歩くとか正気の沙汰じゃねーよ」
アルマが懇願するように言った。
帰り道もチーリンから離れたくないようだった。
「大丈夫だよ。馬車で移動するし、帰りもユヴェンと一緒だし」
「バカヤロウ。俺が帰り道一人になっちまうじゃねーか」
「怯えすぎだって。テオと一緒に帰りなよ。大丈夫だから」
「ううう。薄情者〜。もし俺が帰り道で襲われたらお前のせいだからなー」
「リン。エレベーター着いたわ。さっさと行くわよ」
ユヴェンが急かすように言った。
「うん。じゃあそういうわけで。悪いけどここまでだねアルマ。帰り道気をつけて」
こうして別れを告げたリンだが、結局アルマは学院内にある衣装部屋の前まで付いて来た。
「ねぇアルマ。いつまで付いてくんの?」
「なあ。リン。その王室茶会っていうのさ。俺も入れねーかな」
「無理だよ。招待状ないと入れないし」
「そう言わずさぁ。ユヴェンは入れたんだろ?」
「いや確かに入れたけれど。招待状なしは初めの一回だけだよ。それも相当なゴリ押しだったし」
「じゃあ俺もゴリ押しで行くよ」
「ええー。ちょっとやめてよ。ただでさえイリーウィアさんには頭が上がらないっていうのに。これ以上迷惑かけらんないよ」
「おい、ちょっと……」
リンはアルマを振り切って衣装部屋に入った。
ここから先はパーティーに参加する人以外原則入れない。
彼は王室茶会の日はいつもここのロッカーに砂漠色の衣を一時的に預けていた。
いつもどおり自分のロッカーを開けて着替えようとする。
「!」
リンはロッカーの中身を見て目を丸くした。
そこに入っている砂漠色の衣はズタズタに切り裂かれ見るも無残な姿になっていた。
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