第62話「ユヴェンのささやかな意地悪」
リンは久しぶりに学院に来ていた。
(ふい〜。やっぱり学院はいいね。時間がゆっくり流れてて)
教室に向かうエレベーターに乗り込むとリンは学院の書を開いて何か仕事上の連絡が来ていないかチェックする。
(学院の書にこんな機能があったなんてね)
学院の書には私的に利用できるメール機能も付いていた。
妖精に学院の書端末にアクセスさせ、文字だけ運ばせる。
手紙では妖精を使っても定められた住所に運ぶことしかできないが、学院の書ならリンはどこにいても端末上で連絡を確認することができる。
また手紙を妖精で運ぶ場合、炎にして運ぶためどうしても受信に際して目立ってしまうが、妖精に学院の保管場所まで文字を運ばせるだけなら誰にも気づかれずに連絡を受信することができる。紙の節約になるという利点もある。
リンは問題が起これば学院の書に連絡が来るようにして、どこにいてもリモートワークで従業員に指示を飛ばせるようにしていた。
リンは学院の書で作業員からの報告をチェックする。
まずはケトラからの報告。
発注された商品の輸送無事完了。
次にシーラからの報告。
今日までにするべき事務処理全て終了。
リンは全ての連絡に目を通し、異常がないことを確認すると各部署に本日の作業について指示を飛ばす。
学院の書に連絡事項を記載して呪文を唱えると保管場所に戻す。
これで各部署に指示が行き渡るはずだった。
(これでよしっと。ふー。今日は授業をゆっくり受けられそうだ)
リンはリモートワークを終えて一息つく。
リンにとって学院は憩いの場所となりつつあった。
昔は学院での勉強についていくのに必死だったが、事業の忙しさに振り回される毎日を過ごしている今となっては何にそんなに手を焼いていたのかわからない。
エレベーターが教室のある階に到着するとリンは冶金魔法の授業の教室に向かって廊下を歩いた。
「ねぇ。あれ。リンだわ」
「最近、雰囲気変わったよね」
廊下ですれ違った女子生徒達がリンを見るなり色めき立つ。
リンは顔を赤らめてうつむくと聞こえなかったふりをして足早にその場を立ち去る。
人々のリンを見る目には微妙な変化が生じていた。
それも無理からぬことだ。
リンは今や学院でも屈指のリア充になろうとしていた。
学院の花形であるユヴェンと一緒に夜な夜な貴族のお茶会に出席したかと思うと、これまた平民階級で人気のあるテオと一緒に学院をサボってよく分からないことをしている。
クラスメイト達から見ればリンは夜遊びを覚えた学生のようだった。
何よりもクラスメイト達の注意を引いたのはリンが謎の収入源をもっていることだった。
それは彼の服装を見ても明らかだった。
明らかに以前より上等な服を着ている。
杖も新調した。ユヴェンと同じステッキ型の杖、トンニエの杖を持ち歩いていた。
アルバイトもしていないはずなのに羽振りはよくなる一方だった。
人々は彼について様々に噂しあった。
初めはイリーウィアの援助を受けているのではないか、という憶測が立てられたがどうも違う。
ある人は彼が大手商会の人と商談していたのを見かけたと言い、ある人は魔導師協会の人間と会食しているのを見かけたと言う。
授業中もしばしば学院の書をいじって何かコソコソと他のことをやっていたり、普通に授業をサボるようになっていた。
授業を受けに来たと思ったら途中で抜け出して早退するということも度々だった。
リンに直接最近の羽振りの良さについて聞いてくる者もいた。
リンは聞いてくる人々に対して正直に話した。
「テオと一緒に新しく事業を始めたんだ」
しかし肝心のことについては何も言わないため、結局人々はリンに対して憶測を立てることをやめなかった。
彼は王族の隠し子で平民階級のふりをしているのは世をしのぶ仮の姿なのではないか。
どこかの貴族の子飼いの家来になって危ない仕事をさせられているのではないか。
養子縁組が決まって実は里親から送金されているのではないか。
リンはこのような噂を流されるに任せた。リンは人々の口に戸を立ててもキリがないし、自分のイメージを肥大させた方が却って物事が有利に進むことを覚え始めていた。
リンが教室に入ると一人の女子生徒が声をかけてきた。
「リン。おはよう。今日は学院に来ているんだね」
「あ、おはようリレット」
(しまった。この授業はリレットが出ているんだっけ)
リンは迂闊に教室に入ってしまったのを後悔した。
「リン。こっちにおいでよ。一緒に座りましょう」
「う、うん」
リンは遠慮がちに座った。
リレットはユヴェンを介して知り合った女の子だ。
彼女はユヴェンの派手なグループに属する女の子だが、その中ではおとなしくて控えめな方だった。
人見知りな彼女ははじめリンに対して距離をとっていたが、リンが事あるごとに話しかけていると次第になつくようになってきた。
この時期になるとすでに単位を取得して授業に出なくなている生徒もいて、教室はまばらだった。
冶金魔法はテオもユヴェンもすでに単位を取得済みなので自然とリンは彼女と一緒に授業を受けるようになる。
彼女はリンを見かけるといつも駆け寄ってきて親しげに話しかけてくる。彼女がこういう態度をとるのはリンに対してだけであった。
どうやら彼女に好意を持たれているであろうことはリンの方でも気づいていた。
彼女もリンが出世するにしたがって見る目を変えてきた女の子のうちの一人というわけだった。
初めは自分に好意を向けてくれる女の子がいることをリンは素直に喜んでいた。
しかし最近はそこまで単純な気持ちになれなくなっていた。
「今日は朝早くから学院に来ているんだね」
「うん。新しくうちの会社に入社した人が仕事を覚えたからね。ある程度任せられるようになったんだ」
「へー」
リレットは興味なさそうに言った。
「……」
二人の会話は途切れてしまう。
「あ、そうだ。冶金魔法の課題やってきた?」
リンは話題を変えてみた。
「うん。やってきたよ」
「冶金魔法の課題で出ていたクロムという金属なんだけれどね。あれは宝石の色付けに使われているんだよ。ルビーやエメラルドの光り輝く赤や緑も実はクロムが醸し出しているんだよ。君の身につけているその指輪の宝石にもクロムのおかげで輝いているというわけさ」
「へー、そうなんだ」
「……」
二人の会話はまた途切れてしまう。
リレットはおとなしくて控えめな子だった。彼女が比較的饒舌になるのはユヴェンの話題についてだった。
「あのね。私はね。ユヴェンがリンに対してしてるような態度は良くないと思うの。差別的で。」
ユヴェンはリンと一緒に行動するようになっていたが、一方でリンの身分を忘れることはなかった。
リンを手元に置いておけばイリーウィアのお茶会へ顔を出すことができる。しかし奴隷階級の者とデートをするというのはいかにも外聞が悪い。
苦肉の策として彼女はリンを自分の家来と吹聴することにした。
「あの子は私の家来なの。だから手元に置いてあげているというわけ」
リンが身だしなみに気を使うようになったのもユヴェンからの要請だった。
「私の家来なんだから服装くらいもっと上等なものを着なさい」
リンはユヴェンと出かけるたびに服装についてダメ出しされるようになり、自然と私生活でも高い服を着るようになっていった。
リレットは言う。
「ユヴェンがリンを従者みたいに扱うのは良くないと思うの。だって学院は平等を謳っているでしょう? リンも平等に扱われるべきだわ」
「ありがとう。君は本当に優しいね」
「そんなことないよ」
「いやいや君みたいに優しい女の子見たことないよ」
リレットは顔を赤くして俯いた。
問題は彼女と一緒にいてもあんまり面白くないことだった。
彼女と一緒にいるのはとても退屈だった。
彼女はリンが何を言っても「へー」とか「そうなんだ」しか言わなかった。
まだユヴェンの悪態や彼女の成功哲学に関する超理論を聞いていた方が退屈しのぎになった。
「知ってる? クロムは錆びにくい金属なんだ。だから錆びやすい鉄にメッキとしてコーティングされるんだよ。それで長持ちさせることができるんだ」
「へー、そうなんだ」
リンは彼女と一緒にいると時間が経つのが長く感じた。
彼女と話していると無性にユヴェンの毒気が恋しくなってくることがあった。
授業が終わり自然とリレットと雑談する流れになる。
「ねえ、リン。もうユヴェンとはあんまり仲良くしない方がいいわ。彼女は差別的なうえ卑劣だし」
「えっ、う、うん」
(辛辣だなオイ)
「ねえ。リレット。君ってユヴェンの友達だよね」
「うん。そうだよ〜」
リレットはあっけらかんにそう言った。
「そうか。そうだよね」
リンは深く考えいないようにした。
「そうよ。リン、私はあなたのためを思って言ってるのよ」
「うん。ありがとう。君は本当に優しいね」
そう言うとリレットはまた恥ずかしそうに俯いた。
こういうところはリンに似ていた。
「ねえ。リン。ショコラーテっていうお店が新しくできるの知ってる?」
「えっ? 知ってるけれど」
リンはリレットが珍しく話題を振ってきたので意外に思った。
彼女の方を見るといつになくモジモジしている。いつもと様子が違う。普段言わない事を言おうとしているのだと分かった。
「あのね。師匠がね。ほんの少しの時間だけならリンと二人でお出かけしてもいいって。だからリンの都合さえ良ければだけど……、今日帰りに二人でショコラーテに行かない?」
彼女は恥ずかしそうにしながらそう言った。
リンは迷った。
今日はすでにユヴェンとの先約があった。
けれどもたまには他の女の子と一緒に出かけてみたかった。
それにリレットの家は厳しいことで有名だった。彼女がこの日のために凄く頑張って師匠に反抗したであろうことは想像に難くなかった。この機会を逃せばリレットとお出かけする機会は永遠に訪れないような気がした。
「分かった。一緒に行こうか」
そこにユヴェンがやって来た。
「おーい、リン」
犬を呼ぶような呼び方でリンを呼んでくる。
「今日はテスエラさんのお茶会に行こうと思うの。あんたも一緒に来るわよね」
「えっと、今日はちょっと……」
「どうせ大した用事なんてないんでしょ? 早く準備しなさいよ」
「いや、その……」
リンが言いにくそうにしているとリレットは立ち上がってリンとユヴェンの間に入った。ユヴェンと戦うことを決意したようだ。リンは少し迷ったが様子を見守ることにした。ユヴェンがどういう反応をするのか見てみたかったのだ。
「ユヴェン。リンにそんな風に命令しないで」
「私がこいつをどこに連れて行こうと勝手でしょう? なんであんたにそんなこと言われなきゃならないのよ」
「リンは今日、私と一緒に新しいお店に行くの」
「ああそう。でも残念だったわね。リンは私の家来みたいなものなの。家来が友達よりも主人の都合を優先するのは当然でしょう? あなたとの約束はキャンセルよキャンセル。ほらさっさと行くわよ、リン」
「リンはあなたの家来なんかじゃないわ。そういう扱い方は良くないと思う。リンに対して失礼だわ」
ユヴェンが目を細め、薄笑いを浮かべる。
リンは寒気が走った。
この仕草は彼女がこれから意地悪をしようとする合図であることを知っていたからだ。
「あら。でも以前私がみんなの前でリンの悪口言った時、あなたも一緒に笑ってたわよね。リンの陰口も一緒に言っていたし」
サッとリレットの顔が強張る。
リンはユヴェンの言葉に動揺しながらもリレットの事情をどうにか汲み取ろうと努力した。
(つまりこれはこういうことだね。初めは印象が良くなかったけれども付き合っているうちにいいところがあることがわかってきて見直すようになった。うんうん。そういうことあるよ。僕もテオやユヴェンと初めて会った時は、彼らの印象決して良くなかったし)
ユヴェンはさらに続けた。
「まあ、わざわざ私がこんなこと言わなくても、正直で純真、女神のように心根の真っ直ぐなあなたはリン本人の前でも自分の本音を包み隠さず、ぶちまけているんでしょうけれど。まさか彼の前でだけ猫かぶって良い子ぶったりするなんてことはしていないでしょうね」
「わ、私はリンの悪口なんて言ってないわ」
「あら、確かに言ったわよ。私覚えてるもの。この場でその内容を一言一句あやまたずそらんじてあげましょうか?」
「やめて!」
白状しているようなものだった。
リンは慌てて立ち上がった。これ以上二人を争わせるわけにはいかなかった。
「ユヴェン。そろそろ行こう。お茶会に遅れてしまうよ」
「ああん? 何言ってんのよ。これからがいいところでしょう」
「いいから」
リンはユヴェンの手をとって廊下に連れ出そうとする。
「リン。ユヴェンと一緒に行っちゃうの?」
リレットは目に涙を浮かべてこちらを縋るように見てくる。
「すまないリレット。今日はユヴェンと一緒に行かなきゃいけないみたいだ。新しいお店に行くのはまたの機会にしよう」
リンとしてはリレットを助けるために言った言葉だが彼女は傷ついてしまったようだった。唇をぎゅっと結んで悔しそうにしている。
「そうそうそれで良いのよ。分かってるじゃないリン」
ユヴェンは意地悪にも勝利の笑みをリレットに対して向けて見せた。
「リレット。あなたの本性については後でリンと二人になった時に懇々と諭しておいてあげるから安心してね」
「行こう」
リンはユヴェンを引っ張っていった。
「あっはっはっ。ねぇ見たリン? リレットのあの強張った顔。いい気味だわ。前々から気に入らなかったのよあいつ。よくやったわリン。褒めてつかわすわよ」
「僕は何もやってないよ。もうリレットの話はよそう」
しかしユヴェンはその後もリレットのことを話題にし続けた。
リンはため息をつく。
「なんなの。僕って女子みんなから悪口言われてんの? 僕ってそんな人気者だったの?」
「あんたそれはうぬぼれってやつよ。あんたのことが女子の話題に上るのなんて年に一回あればいい方よ」
「そりゃ良かった」
リンはユヴェンをダシにするのは二度としないようにしようと心に固く誓うのであった。
リンが次にリレットにあった時、彼女は目を合わせるのを避けた。
しかしリンは気さくに話しかける。
「この前はゴメンね一緒に行けなくて」
リレットは恐る恐るリンの方を見て来た。
「私のこと嫌いじゃないの?」
「どうして? 君のこと嫌いになるはずないじゃないか」
リレットはリンにそう言われて感激したようだった。
「ゴメンね。あなたの悪口を言ったのは本気で言ったわけじゃないのよ。ただ言わなきゃいけないような雰囲気で、そういう時ってあるでしょう?」
「そうだね」
「そうなの。それで仕方無く言っただけなの。リンは許してくれるよね」
「うん。もちろん。ただ二人でいる時にユヴェンの話をするのはもうやめよう」
「ええ、そうね」
リンはその日もリレットと話をした。
彼女は相変わらず「へー」と「そうなんだ」しか喋らなかった。
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