第57話「二人だけの会話」
「イリーウィア様。お招きありがとうございます」
「来てくれたのですねリン」
イリーウィアはホッと安心したように胸をなでおろしてみせる。
「よかった。先日は早くに帰宅したと聞いたものですから。何か気分を害したのではないかと気にしていたのです」
どうやらデュークはイリーウィアにそういう風に報告したようだった。
リンはちらりと彼女の後ろに控えているデュークの顔を見た。
彼はいつも通りその彫りの深い顔を微動だにせず平然としている。
リンは彼の顔を立てて話を合わせることにした。
「気分を害しただなんて。とんでもない。本当はもっといたかったのですが、ちょっと予定がありまして。イリーウィア様にも一言断りを入れようと思ったのですが機会を逃してしまったのです。申し訳ありません」
「いえいえ構いませんよ。いずれにしてもまたあなたとお話ができるのですから」
「イリーウィア様」
ユヴェンがリンとイリーウィアの間に割り込む。
「あら、ユヴェンさん。あなたもまた来てくださったのですね」
「はい。私のことを覚えていてくださったのですね」
ユヴェンが感激したように言った。
「ええ、もちろん。ユヴェンさんはリンの知り合いですもの。それにこんなに可愛らしい。ウィンガルド王室総出で丁重におもてなししなくては」
「他人行儀にさん付けする必要なんてありません。どうぞ私のことも気安くユヴェンとお呼びください」
ユヴェンは人々の自分を見る目が変わったのを察知するやいなや気を良くして早くもイリーウィアに取り入ろうとする。周囲に自分が彼女のお気に入りであることをアピールする狙いもあるようだった。
彼女は愛想よく笑顔を振りまき、お世辞を並べ立て手を握れる距離まで近づいてみせる。
ユヴェンはリンからイリーウィアを横取りせんとばかりに話しかけた。
イリーウィアも嫌な顔ひとつ見せずにこやかに応じる。
二人は仲の良い姉妹のように見えなくもなかった。
実際、ユヴェンはそういうポジションにつきたいようだった。
ユヴェンとイリーウィアが談笑している間、リンは手持ち無沙汰になった。ふと彼女の後ろに付き従っているデュークに視線がいく。彼はリンを見張るかのように険しい顔を向けていた。
リンはデュークに話しかけることにした。
「あのデュークさん」
「なんですか」
デュークはそっけない態度で答える。
「今回の服の件でイリーウィアさんに何かお礼がしたいと思うのですが、何かイリーウィアさんの欲しがっているものとか、困っていることとか存じませんか?」
「……。君はまだイリーウィア様と自分が対等だと思っているのかね」
「ええ、僕は別にイリーウィアさんの家来になったわけではありませんし」
リンはさらりと言った。デュークは驚いたような顔をした。リンは気にせず続ける。
「以前、イリーウィアさんに言われました。自分のことについて知り、自分が他人に対して何を与えられるのか知らなくてはいけないと。その日から僕はイリーウィアさんに何を与えることができるのかずっと探しているのですが、なかなか見つけることができなくて」
デュークはしばらく難しい顔をしていたが、その後フッと寂しげな笑いを浮かべた。
「イリーウィア様のためにできることなんて何もありませんよ。彼女には他人にあつらえてもらう必要のあるものなど何も無いのです。生まれつき全てを持っていますからね」
デュークは遠い場所を見るような目つきになる。
「実のところ私が護衛についている必要も無いのです。彼女は自分の身を自分で守れますからね」
「そんなことは……。イリーウィアさんはデュークさんのことを頼りにしていると思いますよ」
「そう言ってくれるのはありがたいがね。そうでないことは私自身が一番よく分かっているんだよ」
デュークは諦めたような笑いを浮かべた。
「悪いことは言わない。自分の手が届かない人の役に立とうなどと思わないことだ。君も本当に自分を必要としてくれる人に尽くすようにしなさい。さもなければ身の破滅を招くことになる。手に入らないものを追い求めたところでろくなことにはならないよ」
そう言うとデュークはリンに背を向けて歩き出した。リンを監視するのをやめたようだ。彼の背中には心なしか寂しさが漂っていた。
フロアに流れる音楽が変わり人々は社交ダンスを踊り始めた。
リンはイリーウィアの隣に座ることを許され、フロアの様子を見ていた。
二人は上座の踊りが観やすい場所に座っている。二人の周りには風の精霊シルフが漂っていた。
賢明な参加者の人々はリンとイリーウィアの周囲から離れて二人を見ないようにした。シルフが現れるのはイリーウィアが周りを遠ざけて秘密の話をしたがっているサインだと知っているからだ。
今、近づけばイリーウィアの不興を買いかねない。何よりどんな危ういことを見聞きしてしまうかわかったものではなかった。
シルフは二人の会話が漏れないように二人の周囲の空気に魔法をかけた。
おかげで二人は誰にも聞かれることなく会話を楽しむことができた。
「ようやく二人でお話できるようになりましたね」
「ええ、まさかイリーウィアさんとお話するのがこんなに大変なことだなんて」
「そう、私達は例えるなら織姫と彦星。互いに恋い焦がれているにもかかわらず世間によって引き離され、年に一度しか会うことができません。ああ、なんたる悲劇でしょう」
リンは苦笑した。相変わらずどこまで本気で言っているのかわからない人だった。
「あなたのお友達、ユヴェンは可愛らしくて、人懐っこい娘ですね」
イリーウィアがフロアで踊るユヴェンを見ながら言った。
今、ユヴェンは上級貴族の青年に声をかけられ上機嫌で一緒に踊っている。どうやらイリーウィアはユヴェンのことも気に入ったようだった。
「えっ、ええ。まあ、そうですね」
(人によって態度が180度変わるけどね)
リンは心の中でぼやきながらお茶をすすった。
「あなたはお茶が飲めるようになったのですね」
「ええ、初めて飲んだ時は苦くて困惑しましたが、こうやって慣れてみるとクセになる味です」
「ふふ。少しだけ大人になりましたね」
イリーウィアはまた彼女特有のいたずらっぽい笑みを見せた。
「いかがですか。こうしてお茶会に出てみて上級貴族と交流してみて。将来の役に立ちそうなコネクションは築けましたか?」
リンは照れたように顔を赤くして俯いた。
「いえ、それがなかなか踏み込んだお話ができなくて。どうも皆さん僕のことを警戒しているようです。間合いを測っているような感じがしますね。僕と付き合って得になるのか損になるのか見極めているというか……」
「気づきましたか。人は利害によって動くのです。特にここにいる方々は利害の複雑に絡む上級貴族と王族達。軽々しく何かを約束できる人ではありません。あなたが彼らと関係を築くためには余程のメリットを示し、信頼を得る必要があるのです」
「信頼……」
「魔導師として信頼されたいのであれば何か実績を残さなければなりません。そのためには学院で優秀な成績を収めるだけでは足りないでしょう。学院を卒業して塔の100階以上で目覚ましい実績を残さなければいけません」
「やはり100階以上にいかなければいけませんか」
「ええ、そうですね。学院生の間は魔導師としての活動にも限度があります。魔導師として塔の外で活動するためには100階層以上にいかなければ」
リンは少しの間思案した。
(100階層か。そうなればやっぱり課金ありの授業を受ける必要があるな)
「イリーウィアさん。ありがとうございます。あなたの話を聞けたおかげで少しだけ自分の進むべき道が見えてきたような気がします」
「ふふ。また一つ賢くなりましたね」
「はい。勉強になりました」
そう返事しつつもリンは違和感を覚えた。
(上級貴族や王族達は利害と信頼関係がなければ動くことはない。でも……イリーウィアさんは利害がなくても僕のために色々してくれるじゃないか。僕なんかのために動いたところで何もメリットなんてないはずなのに。どうして……)
リンはそう思ったが言葉にするのはやめておいた。それを言えばこうして彼女に会うことは二度とできないような気がした。
「その服は気に入っていただけましたか」
イリーウィアがリンの紅の衣服を見て言った。
「やっぱりその服はあなたに似合いましたね。あなたにふさわしい服を決めるためあれこれ考えたんですよ」
リンの衣服は微妙な色合いの紅模様が広がっていた。
衣服には常に起伏が起こり波紋が広がっている。その波紋は海に逆巻く波よりもゆっくりと動いており、自然の雄大さとゆったりした悠久の時間の流れを表現している。
リンにはこれが何を表す模様なのかわからなかった。
かろうじて大地なのは分かるがこんな地肌の大地は見たことがない。
「衣服を貸してくださりどうもありがとうございます。それにしても綺麗な模様の服ですね」
「そうでしょう? それは砂漠の模様を表現しているのですよ」
「サバク?」
「砂と岩だけでできた土地でどこまでも水を吸い込んでしまうのです。一切の動植物が生息できない過酷な土地。塔で罪を犯した魔導師を追放する場所でもあるのです」
リンは説明を聞いただけで背筋が寒くなってきた。
「怖いところですね」
「ええ、それでも美しい場所ですよ。アリブ砂漠に夕日がさしかかった時、なんとも言えない紅色に染まると言います。その服はその時の様子を表現しているのです」
デュークも参加者達と同様、離れたところに座りリンとイリーウィアの様子を伺っていた。
(なるほど。少し変わったところのある少年だ。イリーウィアが気にかけるだけのことはある。とはいえ……)
デュークはリンを哀れみの目で見る。
(イリーウィアのお遊びにも困ったものだ。どうせ飽きればすぐに捨ててしまうくせに)
ヘッダーのイラストは空飛猫音様に描いていただきました。
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