第64話「市場原理」
リンはテオとロレアのやり取りを聞きながら不可解な気持ちだった。二人は延々同じやり取りを繰り返しているが問題を解決するのはいとも簡単なように思われた。
(僕達の会社をロレアさんに買い取って貰えばいいじゃないか)
レンリル・アルフルド間の輸送を独占しようと企てていたリンとテオだったが、どうもそれは無理そうだった。
二人の保有するエレベーターの輸送量ではどうしてもアルフルド全体の消費を支えきれないことが分かったのだ。
そこで二人はこの事業の買い手を探していた。二人にも魔導師としての修行があるし、まだ事業にも成長の余地があるとはいえ、限界が見えつつあった。
もっとうまく事業を回せる人に委ねた方がいいと判断したのだ。
すでにいくつか話は上がっていた。リンが出席しているお茶会にいる貴族達の中で二人の事業に興味を持つ貴族が何人か現れていた。あとは事業売却の価格に折り合いをつけるだけだ。
(どうせだからロレアさんに買い取ってもらえればそれで済む話だと思うんだけどな。買い手を探す手間も省けるし)
それで全て解決する気がした。しかし両者共そのことについて口にしない。
(まあテオにはテオの考えがあるんだな。きっと)
リンはいつも通りテオの考えに黙って身を委ねることにした。
しばらくテオとロレアは堂々巡りの話し合いを続けていたが、だんだんテオの口数が少なくなってくる。
いい加減テオもうんざりしてきたのだ。しかしロレアはこれをテオが妥協に傾きつつある兆候と捉えた。
(そろそろ交渉も煮詰まってきたところね)
ロレアはそう判断した。
「まぁあんたたちもそれなりに頑張ったんだろうしね。引き下がるのは当然として。もちろんタダとは言わないわ。」
ロレアがそう切り出す。
(やっと具体的な話に入れるのか)
テオはホッとした。
ロレアは札束を取り出してテーブルに放り投げた。
「学費払うのも大変でしょう。とっときなさい。100万レギカあるわ。これであんた達は引き下がるということで」
彼女はこれで交渉は終わったと決め込み、タバコに火をつけてふかし始める。
(んん?)
リンは机の上の100万レギカを見て首をひねった。
(少なくね?)
お小遣いに100万レギカもらえるとすれば狂喜乱舞するけれど、事業を畳む見返りとして100万レギカはちょっと少なすぎるようにリンには感じられた。
何せリンとテオは少なくとも月100万レギカは利益を出すことができるのだから。しかも現在進行形で収益は増加傾向なのだ。
(僕の金銭感覚が狂ってしまったのかな)
リンは最近生活水準の向上に従って金銭感覚が変わってきているのを自覚していた。
だから今回もちょっと自分の感覚がおかしいのかもしれないと思った。
(テオはどう思ってるんだろう)
リンはテオの方を省みた。彼は冷笑を浮かべていた。
(あっ、ヤバイ)
リンの中で嫌な予感が駆け巡る。
リンは慌てて何か言おうとしたが遅かった。それよりも先にテオが烈火のごとく口火を切り始めた。
「ハッハッハッ。お前ら何にもわかってねーな、市場のことを。これだから役人思考のやつはさぁ」
ロレアとその手下等はあっけにとられたようにその様子を見守っている。リンだけが落ち着きなくソワソワとしていた。
テオは構わず続ける。
「たった100万レギカとは。僕も低く見られたもんだなぁ。権力は人間を世間知らずにするけれど。殿様商売ここに極まれりだな。どんなバカがこんな意味不明な徴税をやってるのかと思ったけれど。本当にただのバカだったとは」
テオがせせら笑いながら言った。もはや猫をかぶるのをやめて相手を見下す態度を隠そうともしない。
ロレアはほおをヒクヒクと痙攣させる。
「何ですって? よく聞こえなかったわ。今なんて言ったの? あんた……自分が何を言ってるのかわかってるの?」
「何にもわかってないのはお前らの方だよ」
テオが鋭い声で言い放った。
「あんた達は僕に負けたんじゃない。市場に負けたんだ。あんた達は市場の変化に対応できなかったんだ。変化についていけなければ市場に見放されるのは当たり前だろ。あんたたちは市場で何が起こってるのかわかってなさすぎだ。話にならないよ。あんたに僕達の会社を売るわけにはいかないな」
テオはため息をついたあと席を立ち上がる。
「あーあ、とんだ骨折り損だったな。行くぞリン。これ以上は本当に時間の無駄だ」
テオはさっさと出口の方に向かって歩いていく。
リンも慌ててテオの後ろについて行った。
「あんた達わかってるんでしょうね。私に逆らって。後悔するわよ。後になってからじゃ遅いんだから」
ロレアの声が後ろから飛んでくる。
テオは鼻で笑うだけだった。
「ハハッ。やってみろよババア」
テオとリンが帰った後、事務所でロレアは椅子を思いっきり蹴り飛ばした。
「なんなんだよ、あのクソガキはぁー」
ロレアは怒りに肩を強張らせて震え、呼吸は乱れに乱れ肩で息をしている。先ほどから事務所内の備品を破壊しまくっているが、それでも怒りが収まらずフーフーと息を乱している。
「あのテオとかいうガキ。私のことバカにしやがった。絶対に許さないわ」
「どうも彼らは分かっていないようですな。我々に逆らうのがどういうことか。しかも平民の立場で貴族の後ろ盾もなしに」
「彼らはまだ学院生1年目ですからね」
「しかし子供だと思って侮っていましたな。てっきり小遣い稼ぎ程度かと思っていたが、あの反応からすると予想以上に稼いでいるようですね。学院魔導師1年目で100万レギカを鼻で笑うとは……」
「どうします? 武力で無理矢理潰しますか?」
「当たり前だろうがぁ。さっさとあいつらぶっ殺しに行けよ」
ロレアが部下たちに向かって息巻く。手元にあった小道具を部下に向かって投げつける。部下達は彼女の癇癪を見て少しうんざりしつつも顔には出さないようにしていた。彼女の情緒不安定はいつものことだった。こんなことでいちいち動揺していてはここで仕事なんてやっていけない。しかし後で隣の事務所にうるさくして申し訳ないと謝りに行かなければいけないな、と彼らは一様に思った。
「しかしあの二人はまだ学院生です。一応魔導師協会によって保護されている存在。消すにしても慎重に事を運ばないと」
「なぁに。魔獣ケルベロスを使えば一瞬で彼らを骨まで消し炭にできますよ」
「人気のないところに誘い込んでケルベロスに食わせる。証拠さえ残さなければ学院も我々を追求することはできません。彼ら二人が行方をくらましたところで誰も我々を疑おうなどと思いませんよ。二人は夜逃げしたとされ、それで調査は打ち切りでしょう」
「フフフ。テオ。あんたは私が直々に八つ裂きにしてやるわ。その後で死体をケルベロスに食わせてやる」
ロレアは唇を歪ませ怪しい笑みを浮かべた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?