第109話「威力偵察」
演習場。
リンはアイシャの指導の下、グリフォンを操っていた。
「そのまま高度を保って。そう。いいぞ」
リンはグリフォンの手綱を操りながら一定のスピードを保って演習場を飛び回る。
「ハイ、そこまで。降りてきなさい」
アイシャが言うとリンはグリフォンに着地を命令した。
「グリフォン。着地だ」
グリフォンは少し名残惜しそうにしながらも言う通り着地した。
「だいぶ良くなってきたわね」
「ありがとうございます」
「魔獣語も流暢になってきているわ。手綱さばきもサマになってきたし。ずいぶん熱心じゃない」
「ええ。魔獣の森で活動するには魔獣との連携が大事だって分かりましたから」
「そう。まあ頑張りなさい」
「はい」
リンはまたグリフォンに乗って飛び立つ。
(もう普通に飛ぶ分には問題ないわね。グリフォンとのコミュニケーションも思った以上に上手くなっている。イリーウィア様と森を散策して新たに意欲が湧いてきたってところか。ただ王国騎士団に入れるかというと……)
アイシャは難しい顔でリンの方を見るしかなかった。
リンが学院を歩いているとアグルとシーラに出くわした。
「アグルさん。シーラさん」
「お、リンか」
アグルはパッと人懐っこい笑顔を振りまく。
対照的にシーラは複雑そうな顔をしていた。
「いや〜、ついにお前も高等クラス入りか。追いつかれちまったな」
アグルが愉快そうに笑った。
「いやあ。まだまだですよ」
「いやいや、大したもんだ。この分だと。卒業の時期は同じくらいになっちまうな。ま、なんとなく分かってたぜ。お前
が只者じゃないってことはな」
「そんなことありません。運が良かっただけですよ」
「まあ、ここまで来たら行くところまで行くだけだ。一緒に卒業目指そうぜ」
「はい」
「リン」
シーラが切羽詰まったような様子でリンに話しかける。
リンは少し彼女の剣幕に怯んでしまう。
リンは彼女の自分を見る目が変わっていることに気づいていた。
年下の後輩だった子が自分を追い抜いて行こうとしている。
それどころか期待の新人になりつつあった。
彼女の目には以前はなかった熱っぽさが混じっていた。
彼女もそのことで葛藤しているようだった。
「今日は会社にも出ないんでしょう?」
「ええ、まあ」
「じゃあ久しぶりにちょっとどこかに出かけましょうよ」
「二人でですか?」
「ええ、そうよ」
「すみません。今日は用事があって」
「用事? 何の用事よ。またイリーと魔獣の森に行くの? それとも貴族のお茶会?」
「いえ、今日はちょっと別の人と」
シーラは顔を青ざめた。
「誰よそれ。一体何の用事があって……」
「すみません。今日はこの辺で」
リンは追及を逃れるようにその場を立ち去った。
「ちょっと待ちなさいよ。リン!」
シーラは追い縋ろうとしたが、リンはそれを振り切って行ってしまう。
リンは誰にも見られないように慎重にルートを選んで魔獣の森に向かった。
リンはブルーゾーンとイエローゾーンの境目に辿り着く。
しかし少し早く来すぎたようで待ち人はまだ来ていなかった。
仕方なく、木にもたれて待つ。
イエローゾーンの方をちらりと見る。
先に少しだけ入ってみようか。
そう思ってリンが背もたれにしていた木から離れると後頭部を杖で小突かれた。
「こらっ。学院魔導士がイエローゾーンに入っちゃいけないでしょ」
「500階層の魔導士と一緒なら問題ないだろ? アトレア」
リンが振り返ると、そこにはアトレアがいてニッコリ笑っている。
これはリンからの提案だった。
レンリルやアルフルドの街なら退屈でも、魔獣の森なら彼女にとっても、有意義な時間が過ごせるのではないかと思ったのだ。
「魔獣の森なら君も退屈しないかと思って」
「あなたも魔獣の森でデートできるくらいの実力になったというわけね」
「そうだよ。僕だって成長したんだ」
「なるほど。それじゃ、早速レッドゾーンまで行きましょうか」
「え“え“。い、いきなりですか!?」
「ふふ。冗談よ」
アトレアはくすくす笑いながら言った。
二人は川に沿って船でイエローゾーンに侵入した。
幸い川岸に放置された船がすぐに見つかった。
リンは質量魔法と妖精魔法で船を操る。
船の進行が軌道にのると目的地に着くまで二人は景色と会話を楽しんだ。
「リンも背が高くなったね」
アトレアはリンを見上げながら言った。
「君は……あんまり変わっていないね」
実際アトレアの外見は、出会った時と驚くほど変わっていなかった。
出会った時は、彼女の方が少し背が高かった気がしたが、今はリンの方がずっと高くなっていた。
「ええ、まあね」
アトレアはそう言って明後日の方向を向いた。
気の乗らない話題のようだった。
リンも察して深くは追求しないでおいた。
二人は灯台の建設についても話した。
「飛行船を造ろうと思うんだ。君の灯台に最適化された」
「ふうん」
「君の目指している場所を僕も目指したいんだ」
「そう。まあ頑張ってね」
アトレアは素っ気なく言ったが、それでも嬉しそうだった。
「それで? 今日は何を狩りに行くの?」
「うーん。第一目標はミノタウロスだけれど、理想を言えばユニコーン、ヘカトンケイル、ヨツン……」
「ふむ。あなたにしてはなかなか大物が出てきたわね」
「アトレアは遭遇したことある?」
「ないわ。その辺りになるとレッドゾーンでもかなり希少よ。とても強力な魔獣だし、遭遇するのも難しいわ」
「どうやって倒すのか分かる?」
「ユニコーンは乙女の胸に飛び込んで懐くと言われているわ。巨人族を倒すには特殊な剣が必要よ。ヨツンを倒すにはヘカトンケイルの血を吸った剣、ヘカトンケイルを倒すにはサイクロプスの血を吸った剣がそれぞれ必要ね」
「そのサイクロプスの血を手に入れるには?」
「サイクロプスを倒すにはグレンデルの血を吸った剣が、グレンデルを倒すにはオークの血を吸った剣がそれぞれ必要。つまり巨人族を倒すにはそれぞれ一つ下位の巨人族の血が必要なの」
「そっか。今持ってるのはオークの血だけだな」
リンは傍のボトルを取り出す。
「他にヘカトンケイルとヨツンを倒す方法はないのかな?」
「興味深い研究課題ね。試してみましょう」
アトレアは『ケントレアの杖』を取り出す。
「それは『ケントレアの杖(百人隊の杖)』? 軍の指揮に使うものじゃ……」
「そうよ。でも軍の構成要員は魔導師とは限らないわよ?」
アトレアの元に精霊が寄り集まってくる。
(まさか。精霊で軍を……)
アトレアの魔力に惹かれて森中の精霊が集まってくる。
火の精霊、水の精霊、大地の精霊、風の精霊……。
それらは全て下級・中級の精霊ばかりだったが、四種類の属性が満遍なく揃った。
「全部で20体くらいかしら。ま、急な募集にしては集まった方ね」
彼らは地面の形を変え、水量を増やし、水の流れを変え、風を起こして船を押し進めた。
それまで雑木林だった場所は河川に変わっていく。
木々は突如の大工事と船の侵入に巻き込まれないように急いで身をしならせる。
「あの……アトレアさん? 一体何を……」
「威力偵察よ。レッドゾーンに行ってみなくちゃ何もわからないわ」
リンが呆気にとられているうちに川はすぐに工事されていく。
大地の精霊が土を掘り山を作る。
水の精霊が川の水量を増やした上で流れを変える。
「う、嘘」
瞬く間にイエローゾーンの泉が終点だった流域はレッドゾーンにまで延長される。
「さあ。船よ進め。川に沿って船が進むのではない。進路の先に川があるのだ」
アトレアがそう言うと船はスピードを上げた。
「ちょっ、マジで?」
「リン。ヘカトンケイルは『エントの木』を守っていると言うわ。『エントの木』は上等な飛行船の材料にぴったりよ。どのみち避けて通れない相手なら早めに当たった方がいいでしょう」
船はぐんぐんスピードを上げて進んで行く。
リンは戸惑いながらも船の方角と帆の角度を調節する。
船の進路に生えている木の精霊に命じて体をしならせる。
船はいよいよイエローゾーンとレッドゾーンの境目に到達する。
レッドゾーンにはイエローゾーンよりもはるかに背の高い木がたくさんあった。
巨人を覆い隠せるくらいに背の高い木が。
船が侵略していくと、それまで地中に埋まって大人しくしていた赤い木達は突然動き出す。
アトレアは地の精霊に命じて土を掘り返し、水の精霊に命じて水面を張らせた。
「あれは!? 木が歩いてる!?」
リンは木が移動しているのを見て仰天した。
幾つかの木には足が生えていて、幹の裂け目は目と鼻、口の形になっている。
「人面樹ね。レッドゾーンに生えている木の中には強い自我を持ち歩き回る者もいるの。道が作れず地図を作成できないのはそのため。ただの木だと思って油断しているといきなり攻撃してくることもあるわ。気を付けないとね」
そうこう言っているうちに、人面樹のうちの一本は、枝を鞭のようにしならせて攻撃してくる。
「くっ」
リンは船上で応戦した。
質量の杖で枝を叩き折る。
鉄球を飛ばして牽制する。
攻撃してきた人面樹は何か悪態をつきながら離れていった。
そうこうしている内に船はぐんぐん森の奥深くへと侵入して行った。
突然、目の前の川面が盛り上がって中から何か出てくる。
それは全長二十メートルはある巨人だった。
体のいたるところに眼球が付いている。
「!? あれは?」
「ヘカトンケイルだわ。まさかこんなに早く遭遇できるなんて。運がいいわね。船を止めて」
アトレアがそう言うと船は先ほどの推進力なんてなかったかのようにそのスピードを止める。
それまで激流のように轟々と舟を押し進めていた河川はいきなりその勢いを失って湖のような静けさになる。
「っ」
リンはヘカトンケイルの迫力に圧倒された。
静かに佇んでいるものの縄張りを荒らされて怒り心頭なのは間違いなかった。
身体中に生えている無数の目は全てリンとアトレアの方に向けられており、微動だにしない。
「リン試したい攻撃をやってみれば?」
「いや、そんなこと言ったって」
リンは何の準備もしていなかった。
心の準備さえまだだった。
「そう。じゃあ私が倒しちゃうわよ」
アトレアは遊ばせていた炎の精霊に火を起こさせる。
巨大な火柱がヘカトンケイルの立っている場所にたつ。
巨人についている無数の目が焼け爛れて落ちていく。
「ええい。やけくそだ」
リンもアトレアに遅れじと光の剣を放った。
ヘカトンケイルの弱点と思われる無数の目の一つを狙って。
リンとアトレアの攻撃はヘカトンケイルの目のいくつかを潰した。
しかしその巨体には傷一つ付けられない。
(全ての目を潰す事ができれば……あるいは倒せるか?)
しかし潰れた目のあった場所にはすぐにまた新しい目が生えてくる。
「なっ。再生した!?」
ヘカトンケイルは傍の岩を掴むと船に向かって放り投げてくる。
「っ」
リンは質量の杖で受け流す。
岩石は川の傍で様子を伺っていた人面樹の顔にめり込んだ。
岩石が通じないとわかるとヘカトンケイルは自らの拳を天空に振りかざした。
鉄槌のように船に向かって振り下ろす。
チーリンがアトレアを背に乗せ、リンの襟を咥え、飛び立つ。
船は木っ端微塵となり、大破する。
ヘカトンケイルはリンとアトレアを見失った後も怒りが収まらず大破した船を叩いて破壊し続けた。
リンとアトレアはその様子を木陰から見守る。
「あれがヘカトンケイルか。一筋縄では行かなそうだね」
「ええ、やっぱりサイクロプスの血が必要だわ」
アトレアの耳元に風の精霊が寄ってきて何事か呟く。
「む。まずいわね」
「どうしたの?」
「オークの軍勢が部隊を組んで私達の背後に回り込んでいる。このままじゃ包囲されるわ」
「ちょっ、どうすんの?」
「さすがにこれ以上戦うのは無理ね。一旦退却しましょう」
リンとアトレアはオークの軍勢が包囲網を完成させる前にチーリンに乗ってこの場から退散した。
「精霊達の広げてくれた流域の保持も限界が近づいているわ。川があるうちに帰らないと迷ってしまう。急ぎましょう」
「ちょっと待って」
リンは地図を取り出して自分達の今いる場所に印をつけておく。
次来た時、ヘカトンケイルの場所まで速やかに辿り着くために。
川に近づくと二人はその中に身を投じた。
アトレアの魔法で水の中に入り込む。
二人は水の中の不思議な空間を進み川の下流まで引き返す。
精霊の力が及ばなくなった川はその流域を狭め、すっかり元通りになってしまう。
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