第12話「入学式」
「君は…ユヴェン」
「久しぶりねテオ」
テオと階段の上にいる少女、ユヴェンがやりとりする。
リンは二人のやり取りを聞いてようやく彼女が自分ではなくテオに対して話しかけていることに気づいた。
(テオの知り合いなのか)
「ユヴェン、まさか僕を待ち伏せしていたのか」
テオは警戒するように少女を、ユヴェンをにらみつける。
「待ち伏せ?アッハハッ」
リンはギクリとした。
ユヴェンの笑い方があまりに冷たかったからだ。
まさに冷笑という表現が相応しい笑い方だった。
「どうして私があなたを待ち伏せしなきゃいけないのよ。たまたま通りかかっただけに決まっているでしょう?」
リンは落ち着かなかった。彼女の声は少女らしく可愛らしいけれどどこか癇に障るところがあった。
ふとユヴェンがリンの方を見た。
「あ、はじめまして。僕はリンっていいます。テオとは友達で……」
「テオ、私はあなたが工場で遊んでいる間にたくさん魔導について学んだわ」
ユヴェンはリンを無視してテオに話しかけ続ける。
どうやら彼女はテオ以外眼中にないようだった。
「私はもうすぐ中等クラスの認定を受けられるの。第64期生のうち、入学試験で『ライジスの剣』を発動できたのは私と貴方だけだけれど……、ずいぶん差が開いちゃったわね」
「……すぐに追いつくさ」
「どうかしら?学院の科目はとても難しいのよ。貴族でもない、まともな師匠もいないあなたが、はたしてそんなに上手くいくかしら?」
そう言いつつもユヴェンはテオに一目置いているようだった。リンは二人がライバル関係なのだと悟った。
(あれ?でも『ライジスの剣』って僕も発動したような……)
そう思ったがリンは黙っていた。二人の間にピリピリした空気があってとても口を挟めるような雰囲気ではなかった。
「貴族ったって下級貴族じゃないか。平民と大して身分も変わらないだろ」
「変わるわよ。下級貴族とはいえれっきとした貴族なんだから。テオ、あんた私の素性に関して変なこと言いふらしたらブッ殺すわよ」
「しねーよ。そんな趣味悪いこと」
「そう。ならいいわ」
「何をしているんですか、ユヴェンティナ様」
学院の入り口の方から黒いローブを着た中年の女性が割り込んで来た。
「もうすぐ『物質生成』の授業が始まりますよ。教授は時間に厳しい人です。こんなところで油を売っていては単位を取れませんよ」
「わかってるわ師匠。今行こうとしていたところよ」
リンは二人のやりとりに目を丸くした。これではまるで師匠の方が従者みたいじゃないか。
(これが貴族待遇ってやつか)
リンとユインの間柄とは大違いである。
「まあそういうわけだから。私はあなたと違って忙しいの。もう行くわ。ごきげんよう」
ユヴェンは階段を駆け下りていく。彼女の師匠が後について行った。結局ユヴェンがリンに対して何か声をかけることはなかった。
「今の子、貴族だよね」
「ああ。白銀の留め金見ただろ?貴族の奴らはみんなあれを付けてるんだ。そういう決まりがあるわけでもないけどさ。ほら、貴族って身分を誇示するのが好きだろ」
「すごいねテオ。貴族の知り合いがいるなんて」
「別に。同郷で同い年なだけだよ」
「幼馴染ってやつ?」
「ただの嫌な奴だよ」
「……そうみたいだね」
(アトレアとはえらい違いだな……)
リンは彼女の冷たい態度を振り返りながら思った。
(なんで僕は彼女をアトレアと見間違えたんだろう。性格から外見まで全く違うっていうのに)
リンは首を傾げた。
「僕たちも行こう。入学式始まっちゃうよ」
「魔法語を解する者はレトギア大陸に存在するあらゆる言語を理解することができ、一方で魔法語を解さない者にも自らの意思を伝えることができる。魔法語は魔導師の資質なき者に理解することはできないが、言葉に魔力を載せることで、相手の脳に直接働きかけることにより、強制的に理解させることができるのだ。このように我々は魔法語を習得するだけで他の言語を習得せずとも大陸の異なる言語圏の人々と完璧に意思疎通できるようになった。君達が全く異なる民族、異なる言語圏、異なる国家間の人間同士であっても隣人のように気軽に会話できるのはこの偉大なる魔法語とそれを編み出した大魔導師ガエリアスのおかげである。彼の功績はそれだけにとどまらない。彼は人間や生物以外の存在もわずかながら彼ら自身の言語を発していることに気づいたのだ。そしてそれらが魔法語に組み込めることも。魔法語を駆使すれば、人間以外の動物や魔獣、火や水の精霊、質量を持つあらゆる物質、自然現象、さらには法則そのものとも会話できるようになり、彼らに命令し、あるいは交渉し、あるいはおもねり、あるいは契約することで、我々魔導師は彼らを自在に操り超自然的な現象を起こすことができる。これらの一般に魔法と言われる事象について基礎理論をまとめたのもガエリアスである。この学院はガエリアスの残した偉業をまとめ発展させるため彼自身によって創設されたものだ。難関であるこの学院の入学試験に合格し、君達も晴れてガエリアスの業績を引き継ぐ、塔の魔導師の仲間入りをしたわけだ。しかしこれはただの始まりに過ぎない。君達は今後あらゆる誘惑に打ち勝ち勤勉の精神を持って、この塔の1000階、魔導師の頂点でもある『天空の住人』を目指し邁進しなければならず……」
ここは入学式の会場。一堂に集められた新入生達が椅子に座り、壇上で話している学院長の話を聞かされていた。
リンはぼんやりしながら話を聞いていた。ちゃんと聞かなきゃいけないと思いながらもいまいち集中できない。先ほどすれ違ったユヴェンという少女の言っていたことが気になっていた。
——貴族でもない、まともな師匠もいないあなたが、はたしてそんなに上手くいくかしら——
(あれは一体どういう意味なんだろう)
考えてみても答えは一向に出ない。彼女の言ったことはリンの頭の中からなかなか離れずグルグル回っていた。
「私からは以上だ。では諸君の健闘を祈る」
学院長が厳かに言って壇上から降りる。
(ようやく話が終わったか)
リンはようやく退屈な時間が終わるとホッとした。
「次はマヌエンヌ先生からのお話です」
(まだ続くのか)
リンはうんざりしたが、壇上に立ったのが唇に真っ赤なルージュを塗ったふくよかな美女なのを見ると、気持ちを切り替えて全神経を壇上に集中させる。
「皆さんこんにちは。お話させていただくマヌエンヌです。私も学院に入りたての頃は皆さんと同じようにこうして入学式に参加していました。昨日のように懐かしいですね。さて前置きはこのくらいにして、私からはこの学院の基本的なルールや構造についてお話させていただきますね」
マヌエンヌはにこやかな表情を浮かべながら、よく通る明るい声で説明を始める。親しみやすそうな先生だな、とリンは思った。
「皆さん、この塔では魔導師のレベルに合わせて各階に入場制限がかけられていることはご存知ですよね。ローブの色や手の甲に刻まれた身分証明書によって皆さんはエレベーターでの移動を制限されています。もし入場制限を破って自分の許可されていない階層に侵入すれば、皆さんはまずそんなことしないとは思いますが、もし侵入すれば身の安全及び生命の安全は保障できません。さらには我々魔導師協会の人間から罰則が科されます。なので絶対に入場が禁止されている階層には侵入しないようくれぐれも注意してくださいね」
彼女はにっこりと笑いながら言った。
「現在、学院生であるみなさんは50階から99階にわたり形成されている学院都市、アルフルドに新たに出入りすることができます。もちろん今まで通り50階層以下の地域にも問題なく出入り可能です。ただし、学院に入りたての皆さんが受講できるのは初等クラスの授業のみです。中等クラス以上の授業を受けるには初等クラスの該当単位を取得している必要があります。今皆さんが中等クラス以上の教室に行っても特別の許可がない限り門前払いになってしまうので注意してくださいね」
(ということは特別な許可があれば初等クラスでも中等クラスの授業を受けられるのか)
リンは妙に冴えた頭で考えた。
「最後に。学院生としての資格を失えばアルフルドへの出入りを禁止されてしまいます。その場合、レンリルに引き戻された上で、50階層以上には二度と戻れなくなるので注意してくださいね」
「では次に今年度高等クラス首席であるティドロ・サンジェスからの祝辞の言葉です」
すると壇上に赤髪の精悍な顔つきの学院生が現れる。リンはその顔つきを見て一目で実力者だと分かった。自信に満ちた表情と落ち着き払った重厚な物腰にはすでに一廉の人物を思わせる風格が備わっていた。彼は学院長よりも魔導師として上なんじゃないだろうかとリンは思った。
「えー、新入生の皆さん。入学おめでとう。同じ道を歩む仲間が新たに増えて嬉しいよ。この学院に入学しようとする動機は人それぞれだ。この塔のできるだけ高い場所を目指そうとする者、故郷や地方に任官して役に立とうとする者、あるいはまだ進路について決めかねている者。正直たいそうな志なんて無く、なんとなく魔導師になろうとしている者もいるだろう。しかし……」
ティドロは一旦言葉を切って会場を見回した。彼の鋭い眼光に晒された新入生達になんとも言えない緊張感が走る。リンも思わず背筋を伸ばした。
「そんな中途半端な奴らは放っておいて、志ある者はさっさと高位魔導師を目指し研鑽を積むべきだ」
会場が静まり返る。ティドロはにっこりと笑って話を続けた。
「いつまでも歩みあぐねている者に構っていても仕方がないからね。君達はまだ1年目だ。だが1年目だからといって遠慮することはない。君達が受講することができる科目の中には中等クラス、高等クラスの授業と合同で行われるものも存在する。特に魔獣蠢めく『ヘディンの森』探索チーム、これは是非とも皆に目指して欲しい。本来『ヘディンの森』に入ることができるのは高等クラスの魔導師のみ。しかし学期末テストの成績上位者には特別に『ヘディンの森』の探索チームに加わる権利が与えられる。初等クラスの君達が魔獣や精霊と接触できる機会はそれくらいだ。僕の所属するギルド『マグリルヘイム』も有望な新人を常に募集している。学期末テストの成績上位者をスカウトするつもりだ。我こそはと思う者は是非この特権を勝ち取ってくれたまえ。他にも上階層の魔導師と交流する機会はいくらでもある。これらに参加して刺激を受けるのもいいだろう。とにかく人よりも頭角を表したいと思うのであれば先手先手を打つことが大切だ。是非早く君達の力を見せてくれ。それが僕たちの刺激にもなる。僕からは以上だ」
ティドロは一礼して壇上から降りる。会場からは拍手が湧き起こった。みんな間違いなく今までで一番真面目に耳を傾けていた。
(やっぱり首席ともなると凄い人なんだな)
リンは少し圧倒されながら話を聞いていた。同時に不安と焦りを覚える。なんとなく魔導師になろうとしている者とは、まさに自分のことではないか。一方で新しく湧いた意欲もあった。
ティドロの話はよく分からなかったけれど、とにかく学期末の試験で好成績を取れば他の生徒より一足先に高位魔導師と交流できるということは分かった。
(『ヘディンの森』の探索チーム……、そこに入ることができればアトレアに会えるのかな)
「では次に科目選択についての説明があります。こちらは別室で行われますので皆さん手元の書類の指示に従って移動してください」
次回、第13話「迎えに来てくれる人」
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