第89話「アトレアの霊獣」
リンとアトレアはどちらも目を丸くしながらお互いのことを見やった。
「リンじゃない。何してるのそんなところで」
「アトレア。君こそどうして空に浮かんでるの?」
「これから出張なの。『出航の季節』だから」
「『出航の季節』?」
「そうよ。一年に一度レトギア大陸を巡航する飛行船が塔から出航する季節」
そう言うや否や白いローブを着た一団が上空から下りてきて、アトレアの背後を通り過ぎる。
彼らはリンとアトレアには脇目も振らずそれぞれの飛行魔法を駆使して下の方へと降りて行く。
同時にリンの足元が振動で揺れる。
リンが壁にしがみつきながら下方を見ると、ちょうど50階の場所あたり、おそらくアルフルドから飛行船が飛び立つところだった。
「飛行船って。まさかここからあれに乗り込むの?」
「ええ、私はこれからラドス行きの飛行船に乗り込むところ。500階以上に所属する魔導師はタダで飛行船に乗れるの。いいでしょ」
「500階以上……ってことはやっぱり君は評議会のメンバーなの?」
「うーんちょっと違うかな」
「アトレア!」
突然、彼女を呼ぶ声がした。
リンが声の方を見ると、そこにはアトレア同様白いローブを着た三白眼の青年がいた。
彼のその迫力からリンは一目で相当の実力者だと分かった。
「何をグズグズしているんだ。今回の任務。火山の精霊を鎮めるには君がいなければならないんだぞ」
「ちょっと待ってファルサラス。知り合いの子と話しているの」
青年、ファルサラスのせっかちな様子に反してアトレアは何事もないかのようにリンと話を続けた。
「それはそうとリン、そこ100階層よ。あなたまだ学院魔導師でしょ。ダメじゃないの100階に上がっちゃ」
アトレアは近所の子供に注意するような調子で言った。
「ハメられたんだよルシオラっていう200階クラスの魔導師に。知り合いの墓参りをしようってことで臨時ギルドを持ちかけられたんだけど、罠だったんだ。なんとかルシオラは撃退したけど、彼女の出現させた迷宮に迷い込んじゃって。それで指輪の光を頼りに危険な道を避けてたらここに……」
「ふーん。そうなんだ。大変だね。じゃあ頑張って」
そう言うとアトレアは踵を返して行ってしまおうとする。
「ちょっ、待ってよ」
リンがそう言うとアトレアは素直にその場で止まった。
「ルシオラの迷宮から出られないんだ。友達ともはぐれちゃったし。なんとかアルフルドに帰還したいんだけど、その……どうにかならいかな」
「うーん。助けてあげたいのは山々だけど……あなた飛べないんでしょう? 私も忙しいし」
「そんなこと言わず頼むよ。もう魔力も大してないし」
「200階クラスの魔導師が出した迷宮なんてどうせテンプレートな迷宮でしょう。そのくらい自分でなんとかしなきゃ。塔の頂上を目指すんでしょう」
「そんなこと言ったって〜」
リンが弱音を吐く。
その様子を見てアトレアはため息をついた。
「しょうがないわね。今回は特別よ」
「おい、アトレア。急がないと飛行船が加速してしまう。加速した飛行船に乗り込むのはいくら俺達でも至難の技だ。早く行かないと」
ファルサラスがイライラした調子でいう。
「はいはい。もう少し待ってよ。せっかちさん。『召喚魔法』。おいでチーリン!」
アトレアが空中に魔法陣を描くとそこから鹿の胴体、龍の顔、3本の角に馬の蹄、牛の尾を生やし、身体中を水色の鱗に覆われた獣が現れる。
リンはその獣の神々しさに瞬きした。
「チーリン、リンのことを助けてあげて」
「かしこまりました」
チーリンはリンの足下にかしづく。
「これは……君の魔獣?」
「魔獣とはちょっと違うかな。霊獣っていうの。魔獣と精霊の間の生物よ。チーリンは精霊とほとんど同じようなものだから、使えば迷宮内をどこでもすり抜けて偵察できるわ。それじゃあね」
「アトレア。ありがとう」
「リン。安全な道ばかり進んでいては辿り着きたいところには辿り着けないわよ。たまには危険な道も進みなさい」
アトレアはリンにヒントを授けた後、ファルサラスと一緒に飛行船の方へと降りていく。
「おい。なんだあいつは。お前、学院魔導師に知り合いなのているのか?」
落下しながらファルサラスはアトレアに詰問するように話しかけた。
「リンっていうの。面白い子よ。塔の頂上を目指してるんだって」
「……お気楽なやつだな。それよりもいいのか。あんなやつに霊獣を預けたりなんかして。今回の任務に差し支えたらどうする?」
「大丈夫よ」
「あんまり図にのるなよ。『大精霊の巫女』の地位を保証しているのは評議会だってこと。忘れたわけじゃないだろうな」
「あなたこそ。いつまでも評議会議員で居られると思わないことね」
「なんだと。おいっ」
アトレアはファルサラスが全てを言い終わる前に振り切って飛行船に取り付いてしまう。
その後、魔法を使って船内に入り込む。
アトレアは船の中に入る前、一度だけリンの方を振り向いた。誰にも気づかれないくらいほんの少しの間だけ。
リンの方でもアトレアがどんどん小さくなっていくのを立ち尽くして見ていた。
やがて彼女は輪郭がわからなくなるくらい小さくなってしまう。
アトレアとファルサラスが中に入った少し後、飛行船は加速して、地平線の彼方まで飛んで行った。
テオ達はセレカの導きの下、道を戻っていた。
彼女はテオから事情を聞くとアルフルドまでの案内役を申し出た。
テオ達も彼女が敵ではないと分かり、助けを借りることにした。
セレカはテオの方をちらりと見る。
(彼は工場で魔法陣を描いていた方の子だな。もう一人のおとなしそうな子はここにいないのか)
ユヴェンはセレカの少し後ろを歩きながら彼女に疑りの目を向けていた。
まだセレカのことを信用していなかった。
「ねえ。あなた上級貴族よね。どうしてこんなところにいるの?」
「ここは無魔の霧を採取できるからね。今開発している魔道具の材料に必要で……おっとここか」
セレカは先ほどまでテオ達がいた迷宮の入り口までたどり着く。
「君たちの言っていた迷宮というのはこれだね。なるほど確かに中々の規模だが、攻略できないことはない」
「本当か?」
「ああ、これは『メデューサの迷宮』。アイテムで出現させることができる、テンプレートなダンジョンだ。内部の構造は決まっている」
セレカは迷宮の壁に触れながら言った。
「魔導師が迷宮を出現させるには一定の条件を満たす必要がある。まずどれだけ複雑であろうと必ず入り口と出口を作ること。次に迷宮を維持・管理する魔獣を住ませること。そして罠や魔獣に引っかからない正解の道筋を作ることだ。この迷宮にも罠はあるが正しい道を進めば、罠を避けて危険なく出口にたどり着けるはず」
「危険よりも時間がないんだよ。アルマの症状がやばい。一刻も早く医務室に行かなきゃ。そのためには迷宮をクリアしている時間はないんだ」
「歩いて間に合わないのなら乗り物を作ればいい」
セレカは帽子の中から魔法の苗を取り出すと、呪文を唱えて木を作り出し、光の剣で切断して丸太を作る。
「質量魔法『圧力』」
彼女が呪文を唱えると丸太に圧力がかけられ中央がへこむ。
そうしてすぐに人間が中に入ることができる木の箱が完成した。
「誰か鉄を持っていないかい? 車輪を作るのに必要なんだ」
「そんなもん持ってるわけ……あ、そうだ鍋があったよな」
テオはアルマの帽子から鍋を取り出す。
セレカは鍋を冶金魔法で柔らかくした後、質量魔法で成形し、元の鉄に戻して車輪を作った。
木箱の底を車輪についた棘で突き刺し、反対側に出た棘をまた魔法で形を変えて固定させる。
こうして簡単なトロッコが完成した。
「トロッコなんてあっても線路がないと意味ないじゃないの」
ユヴェンが言った。
「線路は光魔法で代替する」
セレカが指輪を光らせる。
(私にはイリーウィアのように光の橋で大人数に空中遊歩させるような真似はできない。けれどもトロッコの進路を誘導するくらいなら……)
セレカの指輪が光線を放ち、線路のような魔法陣が地面に描かれていく。
光の線路は迷宮内を走って行く。
(これは、ルシオラも使ってた位相魔法? いいえ、それよりも高度な……)
ユヴェンはセレカの魔法陣がルシオラのものよりも緻密なことに気づいた。
セレカはトロッコを杖で操り、光の線路の上に乗せる。
「これでいいだろう。後は質量魔法で車輪を回せばいい。どれだけ飛ばしても光の線路が脱線せずに導いてくれるはずだ」
「随分親切なのね。どうしてここまでしてくれるの?」
ユヴェンが探るように聞いた。
「同じ塔で修行する魔導師同士だ。より高位の魔導師が悩み迷っている下位の魔導師を導くのは当然のことだと思うけれど?」
(こいつ……真面目か)
ユヴェンは天然記念物を見るような目でセレカを見つめた。
「地図を貸して」
セレカはテオの地図を受け取ると、また呪文を唱えて『メデューサの迷宮』と迷宮内の線路、罠や魔獣のいる場所を書き加える。
「バツ印のある部分は魔獣かトラップのある場所だ。レールはそれらを避けるように敷設してあるから。間違っても罠のある場所に行ってはいけないよ」
「ありがとう。助かったよ」
「礼には及ばない」
「セレカ様。そろそろお時間です」
先ほどからあまり目立たないようにしながらセレカに付き従っている黒いローブの男が言った。
「わかっているよ。トロッコの強度だけには気をつけて。この中で冶金魔法を高度に使えるものはいるかい?」
「俺使えるよ」
「そうか。それは良かった。留め金の部分は少し進むたびにチェックして。壊れそうになったら補強するんだ。あまり急ぎすぎてはいけないよ」
「ありがとう。本当恩にきるよ。俺はテオ。君は?」
「セレカ……」
「セレカか。本当ありがとうな。また今度」
「あの……」
セレカは何か言いかけて口をつぐんだ。
「?」
「いや、なんでもない。仲間が重症なんだろ? 早く行ったほうがいい」
「ああ、悪い。バタバタしちまって」
セレカはリンのことについて聞きたかったが、今はそれどころじゃないな、と思って止めておいた。
テオ達はトロッコに乗り込んで迷宮の中に入っていく。
車輪の軋む音を立てながら、一行を乗せたトロッコは光の線路に導かれるまま進んで行く。
リンは再び迷宮の中に入るとチーリンを放ち、迷宮の中を探らせた。
リンがしばらく待っているとチーリンが偵察を終えて帰ってきた。
「どうだった?」
「ダメですね。全く安全な道というのはありません。この位置からでは出口にたどり着くまでに必ずなんらかの罠か魔獣に遭遇してしまいます」
「そっか」
「ただ、ご友人方は安全に帰還できそうです」
「えっ? テオ達を見かけたの?」
「いえ、しかし迷宮内の安全なルートに光の線路が敷設されていました」
「光の線路?」
「はい。おそらくトロッコで迷宮を走破するつもりかと。罠を避けていたので迷宮の全容を把握しているようです。おそらく高位魔導師の協力を得られたのでしょう」
「そうか。じゃあテオ達は無事なんだね」
「ええ、あれなら今日中にアルフルドに帰還することができるでしょう」
「アルマはひとまず安心。となると残るは僕達の方か」
リンは地図を広げてチーリンに罠と魔獣のいる場所にバツ印を打ってもらう。
「アルフルドに帰還するエレベーターへのルートは3つあり、それぞれに魔獣が待ち構えています。一つにはメデューサ、一つにはミノタウロス、一つにはキマイラがいます」
「その中で戦ったことがあるのはキマイラだけだな」
(キマイラやケルベロスもイリーウィアさんやユヴェンの援護でどうにか勝つことができた。一人で勝てるかな)
「ねえチーリン。それらの中で一番強いのはどれ?」
「メデューサです。一見人間の女ですが、宝石のように輝く瞳、蛇の髪、青銅の腕、背中には黄金の羽を持っている厄介な魔獣です」
「魔獣を倒すとアイテムを手に入れられる。一番貴重なアイテムを手に入れられるのは?」
「それもメデューサですね。メデューサの血は瀕死の人間を蘇生し、黄金の翼は天馬ペガサスの材料に、青銅の腕は巨人クリューサーオールの材料になります。またその瞳は様々な『魔法の盾』を作る材料になりえます。さらにメデューサの瞳とミノタウロスの角、キマイラの爪を用いれば『メデューサの迷宮』を出現させる魔石を作ることができます。現在、魔導師協会の取引相場において最も高価なアイテムもメデューサの瞳です」
「やっぱり高い戦果を手に入れるためには危険を犯さなきゃいけないってことだね」
リンは覚悟を決めるように深呼吸すると言った。
「チーリン。メデューサはヴェスペの剣で倒せるかな」
「倒せますよ。ただメデューサの邪眼も危険です。見た者を石に変えてしまう効果があります。メデューサを倒すには、目が合う前に仕留める必要があります」
「分かった。じゃあ、目を瞑りながら進むよ。誘導してくれるかな」
「承知しました。背中にお乗りください」
「メデューサが射程内に入ったら合図を出して。その瞬間、光の剣を放つから」
リンはチーリンの背中に乗りながら目を瞑った。
何も見えないままチーリンの背に揺られてしばらく進む。それは想像以上の恐怖だった。
「チーリン。まだかな」
「お静かに。これ以降はいつメデューサが現れてもおかしくありません」
リンは口をつぐんで準備した。
その後はチーリンのかすかな足音以外何も聞こえない、全くの静寂が訪れた。
少しの間だったが、リンには永遠にも感じられる時間だった。
あまりに長い間何も起こらないから、自分はすでに石にされて死んでしまったのではないか、と思ったほどだった。
(まだか。まだなのか)
指輪に光をためれば準備になるが、敵にこちらの存在を察知される恐れがあった。
突然、胸元のレインが急激に震えだす。
それが合図だった。
リンは指輪に光を溜める。
「リン様。上です!」
チーリンの声に反応してリンは指輪を上にかざした。
メデューサが上空から襲い掛かり、髪の蛇がリンの頭に噛み付くよりわずかに早くヴェスペの剣が彼女の頭部を貫いた。
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