第55話「ユヴェンの決意」
王室茶会の帰り、馬車から降りた後、リンとユヴェンは90階層のエレベーターステーションに歩いて行った。
ユヴェンはお茶会の会場にいた時に比べて表情は落ち着いていたが、相変わらず無口だった。
リンはなんとか彼女を元気付けようといろいろ声をかけてみたが、彼女は何も返事をしてくれなかった。
とうとうリンも匙を投げてしまう。
(まあ無理もないよ。あんな扱いされちゃあね)
一方、これで良かったとも思う。
(いい薬だよ)
今までのユヴェンの振る舞いを思い返すとそう思わざるを得ない。
パーティー会場の人々やデュークの態度は冷ややかだったが、一方で常識的だともリンは思った。リンなんかに目をかけるイリーウィアが変わっているのだ。
確かにリンは王族の暮らしに憧れはあったが、身の破滅を招いてまで立身栄達の望みを持とうとは思わない。
(これでユヴェンも分かっただろ。闇雲に上昇志向を持ったところでいいことはないって)
リンはここ最近自分の身に起こった奇妙なことを思い返した。思えば変な体験をしたものだ。マグリルヘイムに加わって、王室茶会に招待されて。夢見心地のようであったが儚い夢だった。そして夢はもう醒めた。
(上流階級の社会を少しだけでものぞくことができてラッキーだった。そう思わなくっちゃね)
リンは自分にそう言い聞かせた。
(僕もユヴェンも自分のいるべき場所に還るんだ。僕はアルフルドで細々と暮らして、ユヴェンは下級貴族の子弟と結婚すればいいよ。下手な野心を持たずささやかな幸せで満足するんだ)
しかしそのあとユヴェンの言ったことはリンの予想に反することだった。
「私、塔の頂上を目指すわ」
「なんだって?」
リンは驚いて聞き返す。
「私、今日のこの惨めさを忘れないわ。必ずあいつらよりも上の階層へたどり着いて仕返ししてやるんだから。絶対にあいつらよりもえらい魔導師になって、あいつらを茶会に呼んで惨めな思いをさせてやるわ」
「ユヴェン。君は……」
(君は何度世界に傷つけられ、打ちのめされたとしても塔の頂上を目指すんだね)
リンはこの時初めユヴェンに尊敬の念のようなものを抱いた。
今日一番傷ついたのは彼女のはずだ。
それなのに彼女はまだ上階を目指すという。
確かに彼女が彼らを見返すには彼らより上の階層に到達するしかないだろう。
リンは自分がケアレにいた時のことを思い出した。
戦争によって荒廃しきった故郷でなす術もなく無力感に苛まれ、ただ佇んでいた自分。
ユインによって拾われるまで何もできずただ傷ついていた。
けれどもユヴェンは自分の力で立ち上がろうとしている。
リンは無性にユヴェンを応援したい気持ちに駆られた。
「うん。いいと思う。野心のある人は素敵だよ」
リンとユヴェンを乗せたエレベーターは学院入り口の駅にたどり着いた。ここからそれぞれ別々のエレベーターに乗り込んで帰宅する。
エレベーターから降りる頃リンは覚悟を決めたように前を向いていた。
(俺も少しはユヴェンを見習ってみるか)
リンとユヴェンが自分たちの住居へ帰るエレベーターにそれぞれ乗ろうとしているとテオとばったり会ってしまう。
テオは狐につままれたような顔をしていた。
「テオ。なにやってんの。こんなところで」
「おお、リン。いや今、例の密輸の件で協会の方に行ってきた帰りなんだけどさ」
「密輸って……あんたらそんなことやってたの」
ユヴェンが顔をしかめる。
「それで、どうだった? やっぱり怒られたよね。何か罰とか……」
「いや、なんか褒められた」
「えっ? どういうこと?」
「いや、実はかくかくしかじかでさ」
テオは協会で言われたことについてかいつまんで話しだした。
「素晴らしい。自分でエレベーターを造り運用するとは。塔は君のような人材を求めていたんだよ」
「は、はあ」
テオは協会の担当者に自分のやったこととその正当性を訴えた後、思わぬ返事が返ってきて面食らった。
向こうが頭ごなしに説教してこようものなら「こんなところ出ていってやる」と返すつもりだったのだが。
「あの、エレベーターって塔の協会しか管理しちゃダメなんじゃあ……」
「いや、そんなことはないよ。確かに現在動いているエレベーターのほとんどは協会の管理下にあって、貨物を運ぶ場合徴税がかけられるが、決して個人がエレベーターを作って運用してはいけないという法律はない」
(そ、そうだったのか)
「一応、エレベーターの運用とアルフルドでの商業活動には登録が必要というルールはあるが、まあそのくらいどうとでもなることだ。手続きはこちらでやっておこう。君がエレベーターの運用を始めた時点までさかのぼって登録しておくよ」
協会の担当者は手元の引き出しから紙を取り出して手際よく書類を作成していく。
「あの、じゃあ今まで通り商売やっててもいいんですか」
「もちろんだ。それよりも学院卒業後の進路はもう決まっているのかね。もし決まっていないのならぜひより上の階層を目指したまえ。なんなら私の方から有力なギルドに推薦してもいい」
「というわけで、怒られるどころかむしろ背中を押された」
テオは腑に落ちない表情をしていたが、その一方で満更でもなさそうだった。
「テオ。じゃあ……」
「ま、そうだな。せっかく評価してもらえたことだし、俺も塔の上層を目指してみるかな。行けるところまでだけどな。やれるだけやってみるさ」
リンは嬉しくなってきた。
少なくともテオと一緒に居られる時間が長くなるのだから。
「ふん。あんたじゃあ大して上にはいけないと思うけれどね」
ユヴェンがいつも通りテオをけなす。彼女もすっかり元の調子に戻っていた。なんだかんだ言ってテオが塔にいるのが嬉しいようだった。
「どうかな。金さえ稼げれば課金アリの授業を受けることができる。貴族に対抗することもできるはずだぜ。なあリン」
「えっ?」
「なんだよ。お前は塔の上層に所属するような偉い魔導師になりたいんだろ?」
「僕は……」
「俺は商売さえできればそこまで塔の上層に行けるところまで行けばいいけれど、事業で稼いだ金でお前の塔攻略をサポートできる。どこまで上に行けるかはわからないけれど、行ける場所までは一緒に、塔の上層を目指そうぜ」
テオとユヴェンがリンの方を見る。
リンはまっすぐ二人の方を見つめ返した。
「うん。そうだね。みんなで、三人で塔の頂上を目指そう」
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