第54話「イリーウィアの憂鬱」
魔石から放たれる光の色が変わる度にパーティー会場は異なる表情を見せていった。赤やオレンジが強くなると火山の火口のように、緑色が強くなると密林の奥深くやエメラルドの海ように、青色が強くなると深海や宇宙のように姿を変えていく。
それらのいずれも見たことのないリンはただただ会場の幻想的な雰囲気に酔いしれるばかりだった。
とはいえいい加減リンもこの光景に飽きてきてしまった。
ユヴェンはこちらの席に来てからもずっと無口で何を話しかけてもうなだれているばかりだった。
そしてついに先ほど一人で会場の外の、おそらく化粧室に行ってしまった。
リンは一人になってしまった。
イリーウィアの方を見るが彼女の挨拶も一向に終わりそうにない。
せっかく招待されたお茶会、リンはイリーウィアに言われた通り、高位魔導師や上級貴族と繋がりを持つために勇気を出してこの場にいる子達に話しかけてみることにした。
手始めに先ほどから一人でいる自分と同じくらいの歳の男の子に近寄ってみる。
しかし彼はリンが笑顔を振りまきながら近づいていくと目をそらして離れていき他のグループに加わってしまう。
(ちょっと人見知りな子だったんだろうな。気にせず次に行こう)
リンは二人組の女の子に話しかけようとしたが、彼女達はリンの服装を見るなりぎょっとしてやはり離れていく。
仕方なく別の子に話しかけようとして、背の高い青年とすれ違う。リンはとっさに彼に声をかけてみたが、彼はジロリとこちらを睨むだけ無視して早足で歩いて行ってしまう。
しばらくの間あちこちのテーブルに行って話しかけていたリンだが、結局誰からも相手にされることはなかった。
リンはすっかり意気消沈して元の薄暗い席に戻る。
(あーあ。やっぱりみんな同じ身分の者同士で話がしたいのかな)
リンは暗がりからきらめく世界をぼんやりと見つめる。
みんな思い思いにパーティーを楽しんでいる。リンの方に近づいてくる人間なんていやしない。
とはいえリンにはもはや寂しさや居心地の悪ささえ感じないくらいに疲れてしまった。お茶会というのがこうも精神的に疲れるものだとは思わなかった。これなら工場で働いていた方がまだマシだった。
リンはふとこちらをチラチラと見てくる少女がいることに気づいた。
灰色の髪に銀縁眼鏡で異様に眼光の鋭い女の子だった。5、6人ほどでテーブルを囲んでいる一団の中にいるにもかかわらず、グループの話には加わらずこちらの方へと遠慮がちに視線を送ってくる。
(もしかして僕と話がしたいのかな)
リンはそう思ったが、こちらから話しかけることはしなかった。
自分の勘違いかもしれない。他の参加者同様リンのことを訝しがっているだけかもしれない。話しかければまた無視されたり、睨まれたりするかもしれない。リンにはもう危険を冒して声をかける気力はなかった。
彼女もしばらくするとリンから目をそらせてテーブルの会話に加わり始めた。
リンはやはり気のせいなのだと思って忘れるようにした。
しかし彼女は、セレカはその後もリンの方にしばしば注意を向けた。
セレカはリンのことが気になっていた。
彼女はリンに見覚えがあったからだ。
(気のせいだろうか。あの子はもしかしてあの時、イリーウィアが光の橋を出した時、工場にいた子じゃ。人違いかな。それにしても似ている。でもだとしたら平民階級の子がどうしてこんなところに……)
セレカはリンに問い詰めたくて仕方がなかったが、彼は疲れているように見えた。声をかけると迷惑かもしれない。ただでさえ先ほどデュークによって彼に声をかけないよう釘を刺されたところだ。
セレカはじれったい思いをしながらテーブルを囲む会話に加わらなければならなかった。
上流階級との交流を諦めたリンは気を取り直して食事を楽しむことにした。
(せめて美味いもんだけでも食って帰ろう)
リンはそう割り切ることにした。暗闇にいる召使の人達に美味しいものを持ってきてもらうよう頼む。
お茶会に出されている食事はどれもこれも美味だった。どれだけ食べても飽きることはない。
そうこうしているうちにユヴェンが席に戻ってきた。
「あ、ユヴェンおかえり。これ美味し——あっ……」
リンは戻ってきた彼女を見てハッとした。
彼女の目元は赤くなっていた。
涙の痕だとわかる。
彼女は化粧室で泣いていたようだ。
リンはいたたまれない気持ちになる。
(付いてこなけりゃよかったんだ。こんなところ)
リンはこういう扱いに慣れているが、彼女には耐えられないだろう。
リンはきらびやかなパーティー会場を忌々しげに見つめた。
今すぐ全てをぶち壊してしまいたい気持ちだった。そうすれば少しは彼女の気も晴れるかもしれないじゃないか!
「リン様」
傍の暗闇から声をかけられる。
「はい。何ですか」
「お楽しみのところ申し訳ありませんが、今宵のパーティーもお開きの時間が近づいてきました。混雑を避けるため順番に帰宅していただきとうございます。まずはリン様とお連れの方から。出口まで案内させていただきます」
「わかりました」
リンは促されるまま立ち上がった。ユヴェンも黙って付いてくる。
二人は招待客の賑わいを避けるように広間を迂回して暗闇を進んだ。頼りになるのは指輪のかすかな光だけだった。
「リン殿」
リンは出口から出たところで呼び止められた。
デュークの声だった。
「忘れ物ですよ」
デュークはリンに向かってレインを投げてよこす。リンは手のひらでレインを受け取った。レインは乱雑に扱われたにもかかわらず、ぐっすり眠っていた。何か魔法をかけられたようだ。
「では、帰り道にお気をつけて」
「あの、デュークさん。指輪をありがとうございました。お返しします」
「指輪は返さなくても結構。その代わりもう二度とここに立ち入らないように。」
そう言うとデュークは扉をバタンと閉めてしまった。
リンが建物の外に出ると馬車が用意されていた。
外から建物を見るとまだお茶会の会場だった場所はいまだに煌々と明かりが付いている。召使はもうお開きと言っていたが、お茶会が終わる気配は一向になかった。
リンは少しだけ明かりを見つめた後、馬車にユヴェンと二人で乗り込んだ。
馬車の中でリンはユヴェンの顔をチラリと見たが薄暗くて彼女の表情はよく見えなかった。
リンは今日一日あったことを反芻してみた。
煌びやかな会場、暗闇からの声、イリーウィアの微笑み、ユヴェンの涙、手に入れたのはちっぽけな指輪だけ。
リンにとって、上流階級と交流は、初めて飲む紅茶やブドウ酒のように苦い思い出になってしまった。
デュークはイライラとしながらパーティー会場を歩き回っていた。
彼はリンに近づこうとする者達に釘を刺すため奔走していた。
彼らはリンが何者なのか、イリーウィアとどういう関係なのか、デュークを呼び止めては聞きだしてきた。
デュークはいちいち彼らに言って聞かせた。
リンはもうここに来ない。彼に取り入ってはいけないし、特別な関係を築いてもいけない。彼とイリーウィアの関係についていたずらに噂を立ててもいけない。
「全く何を考えているんだ。どいつもこいつも。イリーウィアもイリーウィアだ。リンとかいうあの子供。奴隷の子じゃないか! あんな奴に目をかければどうなるかなんてわかっているだろうに」
デュークは彼女に挨拶するため長蛇の列を作っている招待客を忌々しげに見る。
彼らは誰も彼もイリーウィアに懇ろに声をかけられて感激している。先ほど冷ややかな言葉を浴びせられたにもかかわらず。デュークには彼らの気持ちが手に取るようにわかった。つまりこういうことだろう。
イリーウィアは確かに『取るに足りない者達』と言った。しかし自分だけは違う。
「そりゃあそうだ。彼女に微笑みを向けられれば誰もが思うだろう。自分は特別なのだと。だがそれは彼女の恐ろしさを知らないからだ。彼女に声をかけられるだけで、兵士は喜び勇んで死地に赴く。商人は秘境まで品物を仕入れに行く。そして魔導師は塔の頂上へ。愚か者どもが! 弄ばれているとも知らないで。そうでもない限り彼女がお前たちごときに声をかけるわけなんてないだろう」
デュークは自嘲気味に笑った。
「俺を見てみろ。彼女の言葉に乗せられたばかりに自由を失ってこのザマだ。身の丈に合わない野心を持つからこうなる。さあ帰れ。どいつもこいつも自分のいるべき場所に帰ってしまえ。お前たちもだ妖精ども。魔力に惹かれて浅ましく群がりやがって。自分の持ち場に帰れ!」
デュークは集まっている妖精達に杖を振り回して追い払う。妖精達は彼の剣幕と怒鳴り声に怯えて散り散りに逃げていく。
「ええい、どいつもこいつも鬱陶しい。少なくともお前達は自由だろ! 何が不満なんだ。さっさと自分にふさわしい、あるべき場所に帰ってしまえ!」
「ふう。疲れましたね」
お茶会が終わり、イリーウィアは自室に帰ってベッドに寝転がった。結局、彼女の一日は招待客への挨拶だけで終わってしまった。
「シルフ。教えてちょうだい。今日のお茶会であったこと。特にリンのことについて」
彼女は部屋で一人になってからシルフの話を聞くことが習慣になっていた。
その日、イリーウィアのあずかり知らぬところで起こった出来事についてまとめて話させるのだ。
風の精霊が姿を現してイリーウィアの耳元に口を寄せて囁く。
彼女はイリーウィアに今日お茶会で起こったことについてすべて教えた。
表向きのことだけではなく、暗闇で蠢いていた人々の行動と思惑、その裏側まで。
「そう。やはりデュークが陰でいろいろやってたのね。リンを先に帰したのか……。まったく。本当に無粋な男ですこと」
イリーウィアは招待客からの贈り物や美術品の数々を横目で物憂げに見る。これらはお茶会が終わった後、自室にあらかじめ運び込まれた。イリーウィアは贈り物と部屋の隅にいるカラットと見比べる。
贈り物の蓋を開けて中身を開けようか、それともカラットと遊ぼうか。結局イリーウィアはカラットに声をかけることにした。
「おいで。カラット」
イリーウィアが声をかけるとカラットが素直に駆け寄ってくる。イリーウィアはカラットの首元をつまんで自分の顔の近くまで持ってくる。
「つまらないお茶会だったわ。ねえリン、高価な贈り物もうわべだけの美辞麗句ももうたくさんよ。私はもっと楽しいことがしたいの」
イリーウィアはカラットにウィンガルド語で話しかける。カラットは首を傾げる。なぜ彼女はいつも通り自分にもわかる魔法語で話しかけてくれないのか。
「リン。このくらいでひるんでいるようでは私と本気で遊ぶことはできませんよ? ああ、退屈だわ」
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