第32話「魔獣の森とお姫様」
リンは朝早くから起きて下層へ行くエレベーターに乗り込んだ。今日はいよいよマグリルヘイムの一員として魔獣の森の探索に参加する日だった。
リンはエリオス達とレンリルの街で待ち合わせして、塔の外に出て魔獣の森へ行くためのトロッコに乗り込んだ。
魔獣の森はちょうど塔の北側に茂っていた。
「どうだリン。自分だけ授業をサボった感想は?」アグルがニヤニヤしながら聞いてくる。
「格別ですね」リンもニヤリとしながら答えた。
魔獣の森への探索は一週間の泊まり込みの合宿だが、その間、授業は通常通り行われている。
課外活動という扱いで探索に参加する者のみ授業を欠席することが認められた。みんなが授業を受けている最中に自分だけ屋外に出て別のことをしているというのはなんとも不思議な気分だった。
「リンは初めてだっけ? 魔獣の森に行くのは」エリオスが聞く。
「はい。ここはまだ魔獣の森ではないんですか?」
リンたちの乗るトロッコの周りにはすでに鬱蒼とした木々が生い茂っていた。
「違うよ。ここはまだ普通の生態系だろう? 魔獣の森は長年魔力の影響を受けているから普通の森では見られないような特殊な木々が生えている。まあ入り口に着けば分かるよ」
トロッコに揺られて1時間ほど経つと魔獣の森の入り口に到着した。魔獣の森の入り口付近を見てリンはエリオスの言った意味が分かった。普通の森は茶色と緑を主色にした暗く地味な色調で鬱蒼としているが、魔獣の森は赤と青、緑の入り混じった極彩色でカラフルに構成されていた。その毒々しい色合いから一目で通常の森にはない危険が潜んでいるとわかる。
トロッコの終着点と魔獣の森の入り口の間には辺り一面木々が伐採され肌色の地面がむき出しになっている場所があり、普通の森と魔獣の森の緩衝地帯のようになっていた。くつろぐためのベンチ代わりの丸太や風雨をしのぐためのロッジも建てられている。魔獣の森を探索するギルドはここで集合してから入ることになる。
リン達が到着するとすでに大勢の生徒たちがたむろしていた。それぞれ丸太に座って談笑したり、地図を広げて何か相談したりしている。皆今日は学院生の証である紅のローブではなく白色の狩装束を着ていた。シーラもいつもは垂れるに任せているその長い黒髪を後ろでくくってポニーテールにしている。リンは普段見れない彼女の首筋付近の肌をついつい盗み見てしまう。
リンはティドロを探したが見当たらなかった。
「ティドロはまだ来てないようだね」エリオスが周りを見回して言う。リンのために探してあげているようだ。
「他にマグリルヘイムのメンバーは……。あっ。イリーウィアだわ。おーい。イリー」シーラが知り合いを見つけて声をかけた。
シーラが丸太に腰掛ける栗色の豊かな髪をたたえた女性に話しかける。
(あっ、この人……)
リンは彼女に見覚えがあった。例の工場で上級貴族が暴れていた時、光の橋をかけた人物だ。
(マグリルヘイムのメンバーだったのか)
「あら、シーラさんおはようございます。エリオスさんとアグルさんも」
イリーウィアと呼ばれた女性がリン達に向かって微笑みを向けてくる。
リンはイリーウィアのその微笑する仕草だけで参ってしまった。その優雅さと奥ゆかしさはまさしく上流階級にふさわしものだった。彼女もリン達と同じ学院規定の狩衣を着て、髪を三つ編みにしてまとめていたが、それでも内側から滲み出る気品は隠しようもないものだった。
(やっぱりこれが本当の貴族だよなぁ。ユヴェンとは大違いだ)
イリーウィアはシーラの側に彼女がいつも一緒に行動しているエリオスとアグルの他に見慣れない少年がいることに気づいた。
「シーラさん。この子は?」
「紹介するわ。この子はリン。初等部にしてマグリルヘイムの探索隊に選ばれた噂の子よ」
「まあ、あなたが?」
イリーウィアはジッとリンのことを見つめてくる。
リンはいつも通り顔を赤くして俯いた。
「リン。粗相しちゃダメよ。彼女はやんごとなき身分の方なんだから」
「知ってますよ。上級貴族なんでしょう? 以前、工場で上級貴族の方々と一緒に光の橋を渡っているのを見かけました」
「それどころじゃないぜ」アグルがニヤリと笑う。これはいつも彼が人を驚かそうとしている時の仕草だった。
「?」
「リン、彼女はウィンガルド王国第5位王位継承者、イリーウィア・リム・ウィンガルドよ」シーラがアグルをたしなめるように咳払いしながらいう。
「えっ? それって……つまり……」
「彼女は王族。いわゆるお姫様ってやつよ」
(お姫様……)
リンは目を丸くした。目の前にお姫様がいるというのが信じられなかった。リンにとってお姫様なんていうのは雲の上の存在で、その言葉は童話の本以外で人生において関わることのないものだった。
「冗談ですよねシーラさん。お姫様がこんなところにいるなんて」
「あー、何よリン。私の言うこと疑ってるの?」
シーラが頬を膨らませてみせる。
「彼女は本当にお姫様よ。貴族階級だって魔導師になるため塔にやってくるんだから王族がいてもおかしくないでしょ」
リンはシーラの言葉を聞いて愕然とした。そして恐れおののいた。
「ど、どうしよう。僕、お姫様だなんて知らなくって。気安く話しかけて無礼な態度を取ってしまって……」
リンは傍目にもおかしいくらい動揺した。
「ふふ。大丈夫ですよ。気にしないでください」
イリーウィアはあくまで柔らかい物腰で対応する。
「王族と平民とはいえ同じ学院魔導師です。塔においての身分は生まれ持っての身分ではなく、何階層に所属しているかによって決まります。私達はお互い50階層に所属する学院魔導師。だからどうかあなたも気安く接してくださいませんか」
「そうよリン。私達だってイリーとは友達関係なんだから。あなたも遠慮することないわ」
シーラが言った。
「は、はあ」
リンはシーラにそう言われてもイリーウィアに対して対等に接することに抵抗があった。
確かに学院は魔導師である限り生徒を平等に扱うことを建前にしているが教室には平民と貴族の間で厳然とした身分の壁があった。
それにシーラ達は平民階級だが、リンは奴隷階級出身だ。
イリーウィアがこういう態度をとるのもリンのことを平民階級と思っているからで、本当のことを知ったらユヴェンのようにあっさり態度を変えるのではないだろうか。
彼は学院でそのような体験を何度もしてきた。それは貴族階級との間だけでなく平民階級の子達との間でもしばしばあることだった。
「お、ティドロが到着したようだぜ」アグルがティドロを見つけていった。
リンがアグルの視線の先を追うとティドロが魔獣の森の中から出てきているところだった。
(あ、あれ? なんでもう森の中に入ってるの……)
リンは戸惑った。森の中に入る予定時間にはまだなっていないはずだった。
「全く、ティドロのやつまた独断先行してるわ」シーラが呆れたように言った。
「先手先手が彼のモットーだからね」エリオスも諦め気味に言う。
ティドロの姿を認めるとイリーウィアは立ち上がった。
「では、私はこれで失礼しますね。ティドロさんが到着したということはもう直ぐ集合がかけられるはずですから」
「ええ、リンのことをお願いね」シーラが身内を預けるように言った。
「はい。ではリン。一緒に行きましょうか」
リンは心の整理がつかないまま、イリーウィアと一緒にマグリルヘイムの集合場所に向かった。
行くまでにイリーウィアの後ろについていくべきか横に並ぶべきなのか分からなくてギクシャクした歩き方になってしまう。
「おお、リン。来たか」
リンの姿を認めるなりティドロが声をかけてきた。
「はい。今日はよろしくお願いします」
「ヘイスール。リンに例のアレを」
「はい」
マグリルヘイム・学生部の副リーダーであるヘイスールがリンの横に寄って肩に手を置く。
「?」
リンが訝しんでいるとヘイスールが呪文を唱えた。肩に獅子の紋章が浮かび上がる。
「これは……」
「それはマグリルヘイムの紋章だ。君はまだ仮入団という扱いだからみんなとは違うものだけれどね」
試しにリンが他の団員の紋章と見比べてみると、確かに微妙に色合いやシルエットが異なっている。
「リン。君の身分のことについては聞き及んでいるよ」
ティドロが厳かな調子で言った。リンはなんと返せば良いかわからずティドロの次の言葉を待つ。
「学院の教室ではきっと身分のことについてずいぶん思い悩んできただろう。初等クラスにはまだ閉鎖的な雰囲気があるからね。しかしここ、マグリルヘイムで大切なのは身分よりも実力だ」
「はい……」
「君は仮入団だが、だからといって特別扱いするつもりはないよ。僕は君の働きに期待している。ここで成果を挙げればクラスメイト達の君を見る目も変わるはずだ。今日は是非とも大物の魔獣を狩って、君の実力を見せてくれ。」
「……っ。はい。頑張ります」
リンはティドロのまっすぐな視線に気後れしながらもはっきり答えた。
「よし。ではいつも通り組み分けから始めよう」
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