第114話「エディアネル公」
立派な貴族のお屋敷。
その中にある暗くて狭い密室。
そこでフローラは作業していた。
室内には換気口があるだけで窓はおろか外が見えるものは何一つとしてない。
部屋の中央に配置してある台には顔に布を被された人間が横たわっている。
周りにはハサミやメス、注射器などが置かれている。
その様はあたかも手術室のようだった。
フローラは先程からこの人間の裂かれたお腹の中に詰め物をする作業をしていた。
扉が開いて女性が入って来た。
「どう?作業は進んでいるかしらフローラ」
「エディアネルさん……」
「あら。全然進んでいないじゃないの。もっと急がないと」
「あのっ。私もうこれ以上こんなこと……」
「できないっていうの? 困ったわねぇ」
エディアネルは柔らかい笑みを浮かべた。
フローラはギクリとした。
エディアネルはこの穏やかな表情を見せている時の方が機嫌が悪い事をフローラは知っていた。
「じゃあここから出て行くことにする?」
「あの……弟は……」
「貴方の弟を解放するわけにはいかないわ。出て行くなら一人で出て行ってね」
「う、分かりました。続けます」
「そう。いい子ねフローラ」
リンはカロと一緒にギルドの結成に向けてメンバーを募集していた。
新聞に載せて広告を出すとすぐにそれなりの人数が集まった。
リンは自分に影響力があるというカロの言葉を実感した。
一人の青年はリンに期待の目を込めて握手を求めてきた。
「聞きましたよ。貴族の不正と戦うとか。頑張って下さい。応援していますから」
二人は成果の確認と今後のことについて話し合った。
「思った以上に人が集まりましたね」
「ええ。やはり私の目に狂いはなかった。あなたにはリーダーの資質があります」
カロはおだてるように言った。
「この分だと次はもっと大きな箱が必要になりますな」
「そうですね。それもなんとかしないと」
今二人が使っている場所は数十人程度しか人を入れることができなかった。
施設に入りきれなかった人々は登録するのに道端に並んで待ってもらわなければならなかった。
「あとは組織化ですな」
「組織化?」
「そう。大人数で一つの目標を目指す際に必要なのが組織化です。せっかく人が集まってもてんでバラバラに動いているようでは威力を発揮できませんからね」
「なるほど」
「役職を定めてピラミッド型の組織を作り、給与を支払う必要があります。そのために必要なのが財源の確保と人材の選定、規約の策定です。財源の確保はリン殿の講座からいくらか集金できればと思うのですが……」
「うーん。なるべく貧しい人でも受けられるように講座料は取らないようにしたいのですが……」
「いやしかしですな。やはり全くの無料というのはどうかと思いますよ。ありがたみが薄れますからな」
「なるほど。一理ありますね。講座料は必要かもしれません。ただやはり組織と活動の理念からして、下層に位置する人でも受けられるように、なるべく低い料金設定にしたいです」
「分かりました。講座の料金設定と財源の確保はリン殿にお任せしましょう。あとは人材の選定と規約の策定ですが、それは私の方でやっておきましょう」
「そうですね。ではそちらの方はよろしくお願いします」
(組織の人事さえ押さえておけば後はこちらのものですからね。平民派の未来のために働いてもらいますよ、リン殿)
カロは内心でリンの脇の甘さにほくそ笑んだ。
「おっともうこんな時間か。僕はこれから用事があるので」
リンは腕時計を確認しながら言った。
「ええ。構いませんよ。後片付けはこちらでやっておきましょう」
リンは幾分後ろめたい思いをしながらそそくさとその場を後にして馬車に乗り込んだ。
何度か乗り継いでだれも追跡できないようにした上で、町の外れの倉庫まで辿り着く。
リンはヘルドと一緒に非正規のルートで流れる虹蚕の絹を闇商人に売り捌く手筈を整えていた。
「外国に出荷する分は、ここアルフルドから港まで運ぶんだ。信頼できる人間でないといけないから僕達二人でやるよ」
「はい。分かりました」
リン達は箱詰めされた絹を荷馬車に積み込んで私用のエレベーターまで運び込む。
しかし私用のエレベーターで行くことができるのは50階までだった。
街から街へと移動するには巨大樹のエレベーターか、協会に登記されている監視されたエレベーターを利用する必要があった。
「ここからはどうするんですか?」
「次元魔法を使う」
ヘルドが指輪を光らせると魔法陣が出現して異空間の扉が開く。
(まさか。50階分の距離を次元魔法で移動するのか?)
「僕は次元魔法の維持に専念するから運び出すのは君がしてくれるかな」
「分かりました」
リンは荷馬車を牽いて積荷を1階のウィンガルド専用倉庫まで運び出す。
次元魔法での移動は、エレベーターでの移動よりも長い時間がかかってしまう。
リンは何度か往復し、荷物を引き下ろすのに日暮れまでかかってしまう。
(凄いな。ヘルドさんの次元魔法。馬車一台分通り抜けられるなんて。ルシオラやイリーウィアさんの次元魔法よりも広大な空間だ)
二人は全て運ぶと今度は大きめの荷馬車を使い港まで牽いて行く。
ヘルドは長時間広大な次元魔法を維持していたため、消耗してグッタリとしていた。
額には脂汗が浮き出ている。
「大丈夫ですか?」
「ああ。だがさすがに疲れたな」
「あれだけの次元魔法です。仕方ありませんよ。休んでください」
「そうだね。悪いけれどそうさせてもらうよ。馬の手綱は君が握ってくれるかい?」
二人は馬車で港まで向かった。
普段はなりふり構わず道を急ぐ商人達も王室の印がついた馬車を見ると進んで先を譲る。
「ここにある分でどのくらいの値打ちがあるのでしょう」
リンは馬車に積まれた絹を見ながら言った。
「おそらく10億レギかは下らないだろう」
「10億……」
まさしく国家予算の一部だった。
それを思うと平民派としての活動が心細くなる。
果たして本当に貴族の支配を揺るがすことなんてできるのだろうか。
港には得体の知れない商人が待っていた。
その風貌からはどこの国から来た人間とも分からない。
二人は荷物を引き渡す。
「分かってはいると思うが、捕まったとしてもくれぐれも……」
「へへ。分かっていやすよ。どこから受け取ったとか、過去にどの貴族様と付き合いがあったかなんてこたぁ一切口に出しやせん」
釘をさすように言うヘルドに対して密輸商人はニヤリと口元に笑みをながら返した。
「そうか。ならいい。行け」
船はその日のうちに出向して海の彼方まで出て行った。
ヘルドはそれを見て安堵のため息を漏らす。
「ふー。ここまで来れば安心だ」
リンも緊張が解けて力が抜ける。
「どうにか終わりましたね」
「ああ。今日は本当に助かったよ」
ヘルドはリンの肩をポンと叩く。
「これで君は僕と一蓮托生。貴族派の仲間入りだ。裏切っちゃダメだよ」
リンが初めて密輸の片棒を担いだ次の日、ヘルドはイリーウィアの屋敷で雑用をこなしていた。
ヘルドは順調にデュークの執務を引き継ぎつつあり、イリーウィアの屋敷に出入りすることは日常的な事となっていた。
「次回の王室茶会の手配完了いたしました。イリーウィア様」
ヘルドが報告を済ませる。
「そう。ご苦労様」
イリーウィアは気の無い返事をしながら窓の外を眺めている。
彼女はデュークの前では隙を見せないようにしていたが、ヘルドの前ではこのように油断していることも多かった。
それは信頼の証だった。
「本日の予定では学院長とお会いすることになっています。ご準備を」
「ええ。今行きます」
「どうかなさいましたか? 何か思い煩われているように見えますが……」
ヘルドが心配そうに尋ねてもイリーウィアは外の景色から目を離さず無言でいた。
「リンのことですか?」
ヘルドがそう尋ねるとイリーウィアはようやく反応してヘルドの方を見、気怠げに口を動かし始める。
「ねぇ。ヘルド。リンは何を考えているのでしょうか。聞きましたか? 彼が平民派として活動していること。魔導競技に参加したと思ったら、今度は政治遊び。彼はまだ騎士団に入る決心がついていないと言います。彼は私の下に来るつもりはないのでしょうか」
イリーウィアは憂鬱そうにため息をついた。
「それならばご安心ください。すでに手は打っております」
「本当ですか?」
イリーウィアの顔がパッと弾んだように明るくなる。
「はい。彼にはウィンガルド王室とより深く関わってもらうための仕事を手伝ってもらっています。平民派としても穏健な活動に終始するよう約束を取り付けています。このまま貴族派に取り込んで行けば彼も自ずと運命を受け入れるはず。早晩、活動家などという火遊びからも身を引くようになるでしょう」
「まあ」
イリーウィアは感激したように立ち上がってヘルドの手を取った。
「ありがとうございます。本当にお仕事が早いですね」
「いえいえ。このくらいの事。姫の臣下として当たり前のことですよ」
「そんなことはありません。素晴らしい才能です」
「才能……。なるほど才能ですか」
「ええ。やはりあなたをデュークの後釜に選んだのは正解でした。この点デュークは本当に融通が利かなくって。猟犬のように私の周りを嗅ぎ回るばかり……」
イリーウィアは憂鬱そうに髪をいじりながら言った。
「時に姫様。一つお尋ねしたい事がございます」
ヘルドは改まって言った。
「ふむ。なんでしょう」
「私はこの魔導師の塔で何階まで辿り着くことができるでしょうか」
「そうですね。300階くらいまでなら行けるでしょう。運と適切な援助があれば評議会にも。もちろん私は今まで通りあなたを援助し続けるつもりですよ」
「ではリンは?」
「うーん」
イリーウィアは少し目を泳がせた。
「彼はとても頑張っているのですが、やはり200階が限界でしょうね」
イリーウィアは困ったような笑みを浮かべながら、言った。
「でもだからこそ、騎士団に入れてあげるのです。あ、もちろんそれであなたの昇進の道が妨げられたり、遅れたりするということはありませんよ」
イリーウィアはヘルドの機嫌を取るように言った。
ヘルドは満足気に笑みを浮かべる。
「それさえ聞ければ満足です。これからも私はリンと共にあなたを支えることになるでしょう」
ヘルドは退室した。
イリーウィアに顔を見られる心配がなくなった途端、厳しい顔付きになる。
(イリーウィアの援助の元、評議会に入ったとしたら見返りとして臣従することを余儀なくされる。それでは意味がない。いつまでもあの女のオモチャでいてたまるものか。自由になるためには必ず自力で500階まで辿り着かなければ)
ヘルドは野心と決意に満ちた顔をした。
(邪魔な奴は全員排除する。そのためにも……せいぜい踊ってもらうよ。リン)
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