第18話「握られた手」
ある日、リンとテオが次の授業の教室に移動するため廊下を歩いていると向こう側から歩いてくるユヴェンとすれ違った。
こういうことはしばしばあった。
ユヴェンは二人とは異なる授業をたくさん受けていたが、まだお互い初等クラスなこともあって教室は近いため、教室移動しているとしばしばすれ違うのだ。
ユヴェンは例の如くテオに絡んできた。
「あら?テオじゃない。今日も舎弟を引き連れてご機嫌ね」
テオはうんざりした様子で彼女を睨んだ。
「ユヴェン、リンは舎弟じゃない。友達だ」
「あらそうなの。あなたも大変ね。テオの友達になんかなっちゃって」
「えっ?」
リンは急に話しかけられて慌てた。
どう返せばいいのかわからない。
「だってそうでしょう?毎日毎日、テオに連れまわされて。そのせいでろくに友達も作れていないじゃない。あなたの学院生活が充実していないのはテオのせいよ。そう思うでしょう、テオのお友達さん?」
「僕は別に彼を連れまわしてなんかいない。単に住んでる部屋が同じで受けてる授業が一緒だから同行することが多いだけだ」
「そんなことないわ。テオ、あなたは目つきが悪いから気づかないかもしれないけれどね、彼はあなたの粗野で乱暴な言動に怯えているわ。あなたは自分でも気づかないうちに彼を無理矢理連れまわしているのよ。ね、そうよね、テオのお友達さん?」
「だから連れまわしていないって言ってるだろ。それに僕の目つきは関係ないだろ!いい加減にしろ」
「そんなことないわ。関係あるわよ。だいたいあなたはいつもいつも……」
二人はテオがリンを無理矢理連れまわしているかどうか、リンがテオに怯えているかどうかについて喧々諤々の議論を始めた。
リンはただただポカンとして二人のやり取りを聞くしかなかった。
「ねえあなたはどう思う?テオのお友達さん。あなたも私と同じ意見よね」
「えっ?」
リンはまた急に話を振られてどう答えていいのか分からなかった。
どうしてこの子はいつも急に話を振ってくるんだろう。
「おい、ユヴェン。いい加減さ、その『テオの友達』っていうのを止めろよ。人のことは本名で呼べ」
「あら?どうしてテオが怒ってるの?私が今話しかけてるのはあなたのお友達の方なんだけれど?」
「君が僕の友達に無礼な態度をとっているからに決まってるだろ。友達を馬鹿にされて黙っていられるかよ」
「それはあなたの勝手な思い込みでしょう?テオの友達は私の態度を無礼だなんて思っていないわ。ねぇ、あなたは怒ってないわよね、テオの付き人さん?」
「えっ?」
リンはいきなり呼び名が変わった上、話を振られて狼狽した。
どう答えればいいのかわからない。
「おい、リン。何とか言ったらどうだい?馬鹿にされてるのは君なんだぞ」
「えっ、えーっと……」
(そんなこと言われても)
リンは何と言って良いのかわからず目を泳がせた。
リンは女の子にからかわれた時どう振る舞えばいいのかなんて分からなかった。
何せ初めての経験だった。
エリオスさんならどうするんだろう。
こんな時うまく意趣返し出来るのだろうか。
リンの優柔不断な態度を見てユヴェンの目がキラリと輝いた。
これはいいオモチャを見つけたと言わんばかりだった。
リンをからかえばテオをイライラさせられると気付いたのだ。
「ねぇ、あなたは私の味方よね。テオの恋人さん」
ユヴェンが両手でリンの右手を握って顔を近づけながら甘い声で囁いてくる。
「はっ?えっ?恋人?」
リンは急に手を握られたうえ、またもや呼び名を変えられて混乱した。
彼女の普段と違う甘い声にも当惑する。
おまけにユヴェンの愛らしい小顔が目と鼻の先にある。
「ね、黙ってないでなんとか言ってよ。あなたは怒ってなんかいないわよね。テオのシッポ」
(また呼び名が変わってる……)
「ねえ、どうなの?私のこと怒ってるの?」
ユヴェンが潤んだ瞳で見つめてくる。
リンは頭がクラクラしてきた。
「僕は……、怒ったりなんかは……」
「ほうら見なさい。彼は怒ってないって言ってるわ。私の方が正しかったわね」
ユヴェンはリンからパッと身を離しテオに向き直る。
その声と喋り方はすっかり普段の挑発的な調子に戻っていた。
リンは正気に戻る。
(あれ?僕は今何を言って……)
テオがリンのことをを恨みがましい目で見てくる。
それを見てようやくリンは自分がいつの間にかユヴェンの味方をしてしまっていることに気づいた。
ユヴェンはまたリンの方に向き直る。
「テオの舎弟で友達、テオの付き人にして恋人でシッポ」
ユヴェンは歌うように口ずさむ。
「たくさんあだ名ができてよかったわね。あなたは一生テオの奴隷よ。これだけ呼び方があればあなたの名前を覚える必要はないわ。それじゃあまたね。『テオの』。機会があればまたからかってあげるわ」
ついにリンは省略形にされてしまう。
ユヴェンはそれだけ言うと足早に立ち去っていってしまった。
リンは恐る恐るテオの顔色を伺ってみた。
普段はどれだけイライラすることがあっても平静を装っているテオだがこの時ばかりはよほど腹に据えかねたようだ。
「あの俗物がっ!」と言って近くにあったゴミ箱を蹴り、プンスカしながら一人で立ち去っていってしまった。
リンは仕方なく溜息をつきながら、こぼれ落ちた紙くずをひとつまみし、ゴミ箱の中に戻しておいた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?