第66話「テオ、スパイを放つ」
テオは難しい顔をしながら学院を歩いていた。
(参ったな。どうしよう)
彼は、先ほど取引先の商会の人間からロレアの対応について忠告を受けてきたところだった。
「気をつけてください。彼女は自分の要求を飲まない相手に対し、力に任せて襲撃してくるでしょう」
「暴力を振るうってことか? でも学院の魔導師に対して魔法で攻撃するのは禁止されているはずじゃ……」
「ええ、その通りです。ですが、どうも彼女には学院の監視の目をくぐり抜けて邪魔者を排除する手段があるようです」
「どういうことだ?」
彼は話してくれた。
以前にもテオと同じように徴税を避けて商品を売買していた人間はいた。
しかしある程度規模が大きくなったところでロレアに呼び出される。
その後、ロレアからの脅しに屈し大人しく事業を畳む者もいれば、ロレアに反抗しあくまで事業を続ける者もいた。
しかし続けた者達はみんな例外なく行方知らずになってしまった。
「彼女がどのような魔法を使うのか、詳しいことは分かりません。しかし今回も同じ手を使ってくるのは間違いないでしょう。どうかくれぐれもお気をつけください」
(なるほどそういう手段があるのか)
テオは焦った。商売に関する競争なら負ける気はしないけれど魔法での戦闘に関しては向こうの方に一日の長がある。
(相手の方が強いからどうにか先手を打ちたいところだけれど、下手に仕掛けても返り討ちにされるのがオチだ。……となれば相手が仕掛てきたところを逆襲する方が得策か)
しかしそれも簡単なことではない。いつどのように来るかわからない襲撃に備え対応するのは至難の技だ。
(せめて相手が襲撃してくる日さえ分かれば……。スパイを放つか)
テオが難しい顔をして腕を組みながら歩いているとそこにリンが現れた。
「おーい、テオ」
「リンか。……ってどうしたんだいその格好」
テオがリンの服装を訝しそうに見つめる。
リンはパリッとした燕尾服にシルクハットとステッキ、口にはパイプ、肩にはレインを乗せ、口元にはなぜかちょび髭をつけていた。
一見、正装のようでいながら仮装パーティーに出るような格好で道化じみていた。
「これからとある女性と食事に行くところでね」
「ああ、そう」
(なんかこいつ急にチャラくなったな)
テオには今のリンが彼本来の姿ではないように思えた。
(ユヴェンの悪影響受けすぎだよ……)
テオは急に変わった友人を複雑な心境で見つめた。
「まあいいけどさ。それで? 今日は誰とデートするんだい。ユヴェンか。それとも最近君につきまとってるリレットとかいう女の子」
「ロレアさんだよ」
「そうか。ロレアとデートするのか。……はっ?」
「先日、学院でたまたまロレアさんに会って少しだけ話したんだ。今度お食事でもしましょうって。和解を進めてるんだけどいいよね」
テオはしばらくあんぐりした後、すぐに愉快そうに笑った。
「アハハハハハ。そう、そうだよリン。それこそ僕の望んでいたことだ。流石はリン」
きょとんとしているリンに対してテオは続けた。
「いいかい、リン? ロレアさんにうちの会社の情報を彼女の望む限り全部教えてあげるんだ。僕たちが彼女に逆らう意思はないってことを示すためにね」
「なるほど。それはいい方法だね」
「ところでリン、例のイリーウィアさんだっけ、彼女にちょっと相談したいことがあるんだけれど。取り次いでくれることってできるかな」
ロレアはリンとの待ち合わせ場所に来たものの落ち着きなく足踏みをしていた。
あの後、数日と待たないうちにリンから食事に招待する手紙が届いた。
「お返事を待つと言っていたのに急かしてしまい申し訳ありません。
どうしても早くロレアさんとお話ししなければいけない気がして」
手紙にはそう書かれていた。
その後には店の名前と日時とが記載されている。
ロレアの行ったことのない店だった。
彼女は好奇心に抗いきれず、誘いにオーケーしたもののいざ来てみると不安が頭をもたげ始めた。
(本当にここに来てよかったのかしら。敵と仲良く食事に行くなんて)
リンが自分を陥れようとしているとも限らない。
彼女は早くも後悔の念に駆られていた。
リンが陽気な感じでやってきた。
「やあやあ。ロレアさん。ご機嫌麗しゅう」
「ええ、おはよう」
リンが声をかけても彼女は目を合わせることすらしない。
彼女は周りの目を気にしてきょろきょろと神経質そうに見回した。
その後もリンは色々当たり障りのない話題を振ってみたが彼女は一向にリラックスしてくれない。
リンはすぐに自分と一緒に歩いていて周りにどう見られているのか気にしているのだと気付いた。
「ロレアさん。店まで馬車に乗って行きませんか?」
馬車の中なら周りの目を遮ることができる。
リンがそう言うと案の定ロレアはすぐに安心してパッと顔を明るくさせた。
「ええ、そうね。それがいいと思うわ」
「では一番高い馬車に乗りましょう」
リンは広場で一番高級な馬車に向かって駆けて行き馭者に声をかけ、ロレアの目の前まで馬車を引っ張って来させた。
ロレアはリンのこの計らいに感激した。
リンは馬車の中でもロレアを喜ばせ続けた。
「ロレアさん。僕は思うんです。僕達がロレアさんの傘下に入りさえすれば全て上手くいくのではないかと」
ロレアは顔を輝かせる。
「あなたもそう思う? 実は私もそう思っていたのよ」
「ええ、あなたほど支配の上手な人を僕は見たことがありませんからね」
「嬉しいことを言ってくれるわね」
「いえいえ。決してお世辞や大げさな表現ではありませんよ。これだけの徴税をかけられるのはあなただけです。魔導師協会の財政が潤っているのはあなたのおかげと言っても過言ではないでしょう」
ロレアはついついほおを緩ませてしまう。
「あなたがアルフルドの流通を支配すれば全ては上手くいくでしょう。そのためにもこの和解、是非とも上手くいかなければいけません」
「ええ、そうね。その通りだわ」
彼女は馬車にいる間中、始終ご機嫌だった。
(不安だったけれどこの分なら大丈夫そうね。リンの恭順ぶりは本物だわ)
しかしいざ店の前に来てみるとロレアは不審そうな顔をした。
「ちょっと。この店ウィンガルド貴族専用って書いてあるわよ。大丈夫なの?」
「大丈夫ですよ。僕はウィンガルドの王室茶会にも顔を出しているので」
リンは自分の家の庭にでも入るかのように店に入って行った。
「やあマスター。こんにちは」
リンは気さくに店番をしている男に声をかける。
「ああ、リンさん。いらっしゃいませ」
(またこいつか)
店の主人は表面上にこやかに振る舞ったが、内心ウィンガルド人ではないリンが店に入ることを苦々しく思っていた。
(ワシより身分は低いくせに。この成り上りめ)
とはいえ彼もリンがイリーウィアのお気に入りであるのを知っていたため、無碍に扱うわけにもいかない。
「マスター。席は空いていますか?」
「もちろんでございますとも。どうぞどうぞ。リン様が来たとあれば、たとえ満席でも席を空けないわけにはいきません。お連れの方と一緒にいつまでもごゆっくりお過ごしください」
「では。入りましょう。ロレアさん」
「えっ、ええ。そうね」
(この子……一体何者なの?)
ロレアはリンに一種の恐れを含んだ視線を向けた。
リンはテオに言われた通り、自分達の会社の内情について包み隠さずロレアに打ち明けた。
ロレアはリンの話を聞いて顔を強張らせる。
(こいつら……こんなに稼いでいたのか)
どうりで徴税額が減るはずだと納得する一方、再びテオに対して危機感を募らせる。
リンはロレアの表情の変化を見逃さずにすかさず彼女を安心させる言葉を入れた。
「大丈夫ですよ。僕もテオもロレアさんの軍門に下ることは決めています。こうして会社の内情を包み隠さず晒しているのが何よりの恭順の証拠。条件さえ折り合えばすべてうまくいきます。それで僕達はあなたの支配下に収まり、あなたのために働く手駒となるでしょう。そうすればアルフルド中の富があなたの元に流れ込むはずです」
「そう……そうよね」
ロレアはリンの言葉を聞いて落ち着きを取り戻す。
そしてリンとテオを自分の手駒としてコキ使う未来を想像して早くもほくそ笑む。この二人を働かせればどれだけの富を手に入れることができるだろう。
「それで? あなたは一体いくらで事業を私に譲り渡そうというの?」
「2億レギカでいかがでしょうか」
「にっ、2億?」
ロレアは思わず言葉を詰まらせた。
(そんなお金用意できるはずないじゃない)
彼女はどうにか弱みを見せないように平静を装った。
「ちょっとした大金ね。もちろん用意できないこともないけれど。おいそれと簡単に出せるような金額でもないわ」
「そうですね。では筆頭株主になっていただくというのはどうでしょう。僕達はもう直ぐ会社を株式化する予定です。株式の5%を1000万レギカで買っていただけませんか?」
ロレアの頭の中は真っ白になった。彼女はこういった計算が大の苦手だった。
「えっ、えーと。うん。まあそうね。その条件でいいような悪いような……」
「おや? 料理が来たようです」
リンが扉の方を見るとウィンガルドの宮廷料理が運ばれてくる。
「ロレアさん。すみませんが、今のお話は持ち帰って検討してくださいませんか? どうも僕は料理を食べている時は難しいことを話すのが苦手でしてね」
「えっ? そ、そう? まああなたがそう言うならしょうがないわね。この話はまた今度ということにしましょう。仕方ないからあなたに合わせてあげるわ」
ロレアはそう言いつつも内心話の腰が折れて年下の男の前で面目を保てたことにホッとするのであった。
「さあ。冷めないうちに召し上がってください。ウィンガルドの山海珍味、贅と美を尽くした料理の数々ですよ」
リンはウィンガルドの料理について薀蓄を語り出した。まるで自分が
ウィンガルド料理に詳しい者であるかのように。
その日はとにかくロレアがテオと和解すること、そして『テオとリンの会社』を買収することを確認するだけで終わった。
そして二人は明日も食事に出かけることを約束してその日は別れた。
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