第22話「ヴェスペの剣」
指輪魔法の実技授業も終わりにさしかかりつつあった。ほとんどの生徒は実技を披露し終えて、残っているのはリンだけになった。
教室には弛緩した気怠げな空気が流れていたが、リンだけは『ルセンドの指輪』に久しぶりに触れることができる高揚感に胸を高鳴らせていた。
「あら、リンの番が来たみたいだわ。リーン、頑張って〜」リンが指輪の前に進み出ているのを見てシーラが声援を送った。
リンは少し恥ずかしかったがシーラに手を振って感謝の気持ちを示す。
「あいつで最後みたいだな」
ギャラリーの中の誰かが言った。
「そうなの?」
「最後くらいきちんと見ますか」
リンで最後の生徒ということが分かるとギャラリーで退屈そうにしていた上級生達にもいくらか関心が戻ったようだ。何人かがリンに注目する。
リンはそっと指輪に手をかざした。すると指輪も反応して 手の隙間から光が溢れ出してくる。
リンには予感があった。以前よりもこの指輪を上手に使いこなせるという予感が。リンはここ半年何度も杖を振って重いものを運んだり、エレベーターを操作したりしているうちに自分の内側から出てくる魔力の波動をおぼろげながら感じられるようになっていた。リンは目をつぶって意識を集中させる。
(僕はここに来て毎日のように杖を振ってきた。魔法語もたくさん覚えたし、魔力に対する感覚も鋭くなってる。きっと以前よりもこの指輪と深いところで会話できるはず。さあ、教えておくれ。君の力を引き出す魔法の呪文を)
かくして指輪は応えてくれた。
——ヴェスペ——
リンの頭の中に低く、しかしはっきりとした声が響くや否や、まばゆい光がリンの身体を包む。
破裂音が鳴り台座の前にある岩石が真っ二つに割れた。
岩にはリンの身長のゆうに2倍はある大剣が突き刺さっている。
一瞬の静寂の後、教室は割れんばかりの歓声と拍手に包まれた。
「『ヴェスペの剣』だ。あいつ『ヴェスペの剣』を発現したぞ」
ギャラリーの誰かが叫んだ。
「まさか。リンが?」エリオスが驚きの声を上げた。
「へぇ。初めてでヴェスペの剣とは。やるじゃん」クルーガが感心したように言う。
「やったわ。私のリンが一番だわ」シーラが嬉しそうに言った。
リンは何が起こったのか分からずキョトンとしている。
「おお、素晴らしい。リン君、『ヴェスペの剣』はこの指輪で発現できる最上の剣だよ。もはや君にこの授業で教えることは何もない」ウィフスが興奮したように言う。
「えっ?っていうと……」
「指輪魔法の単位取得だよ。おめでとう」
リンがギャラリーの方を向くと上級生の人達がみんな自分に向かって拍手している。エリオスは驚きの表情を浮かべ、シーラは手を上げて喜んでいる。クルーガやティドロまでが笑みを浮かべてリンに拍手を送っている。
リンはようやく周りの雰囲気が自分を祝福しているのだと気づき、喜びに満たされていく。
「やった。やったよテオ」
リンはテオのもとに駆け寄って喜びを表そうとしたがその動きをはたと止める。
他の生徒達が自分に対して苦々しい顔を向けていることに気づいたからだ。
(そうか。この授業はマグリルヘイムの選抜も兼ねているんだっけ。じゃあ僕が授業でいい成績を出すのは面白くないよね。みんなマグリルヘイムに入りたいわけだし。あっ……)
リンは思い出した。今日のこの授業で誰よりも成果を出すことに拘っていて、誰よりもマグリルヘイムに選抜されたがっていた女の子がいたことを。
突然、彼は背中に悪寒を感じた。誰かが自分に冷ややかな視線を注いでいる。振り向いてはいけない。そう直感したがリンはついつい振り向いてしまった。
そしてやはりリンは振り向いたことを後悔した。そこには全くの無表情でこちらを見つめるユヴェンがいた。
リンは急いで顔を背けた。怖かった。まさか女の子の無表情があんなに怖いなんて思いもしなかった。
ギャラリーの上でティドロは満足げだった。その顔から先ほどまでの不満げな様子は微塵も感じられない。
「ふっ。誰が先遣隊に加わるべきか決まったようだな。へイスール。彼の、リンの元に我らがマグリルヘイムへの招待状を届けてくれ給え」ティドロが満足気に言った。
「はっ。分かりました」
「有意義な時間だった。さ、引揚げよう」
それだけ言うとティドロ達マグリルヘイムの面々はくるりと背を向けてさっさとギャラリーから立ち去ってしまう。
リンがユヴェンからの視線に萎縮する一方でテオはここぞとばかりに彼女を煽った。
「イヤッフーイ。流石はリン。ただ一年長くいるどっかの上流階級気取りとはモノが違うな」
テオはリンと肩を組み全力でリンの快挙を祝福する。
「流石は俺の友達でかつ付き人、俺の恋人にしてしっぽだな。なあ、お前もそう思うだろユヴェン。なあ」
「ちょっ、テオそれくらいに……」
他の子達はポカンとしていたが、3人の間ではこれが誰に対する当てこすりかは明白だった。
「ねぇ、あなた……」
リンはそのあまりに無機質な声にハッとする。できれば逃げ出したかったが話しかけられた以上振り向かざるをえなかった。
「はっ、はい」
振り向くと声の主はやはりユヴェンだった。顔は半笑いだった。笑っているのに目は笑っていなかった。怖かった。
「どーだ。これがお前が無視し続けた男の実力だぜ」
テオはそう言ってユヴェンを指差し挑発するが、ユヴェンは無視してリンに話しかけ続けた。
「あなたいつもテオにひっついてる子よね。あまりに存在感がないから名前も覚えてないわ」
「は、はあ」
リンは何と答えて良いかわからず生返事をする。
「ずるいじゃないの。そんな風に実力を隠しておくなんて。私はてっきりテオさえマークしておけば他は雑魚ばかりだと思っていたのに」
「いや、別に……僕は隠すつもりなんて……」
「ずっと私の邪魔をするタイミングを狙っていたのね。私が今日のこの授業をどれだけ大切にしていたか知って、こんな風に私のチャンスを潰すだなんて。怖いわぁ。あなたっておとなしそうな顔をして大した策士さんなのね。やってくれるじゃないの。ドブネズミの分際で!」
ユヴェンが怒りに肩を震わせながら声を荒げる。
彼女の被害妄想はどんどん膨らんでいった。どうやら一度思い込むと止まらないタイプらしかった。
「いや、そんなつもりは……」
「あんた名前はなんて言うの?」
「えっ? リンだけど」
「名字は?」
「えーっと……」
リンは見栄を張った。
「名字は気にしなくていいよ。僕はただのリンだから」
「なるほど。私如きには名字すら教えるのも惜しいというわけね。さすが初めての実技授業でヴェスペの剣を発現させる大魔導士様だわ」
「えっ、いやっ、ちがっ……」
(なぜそんな解釈に?)
リンは慌てて訂正しようとしたが、ユヴェンはその暇を与えてくれなかった。
「こんな屈辱初めてよ。まあいいわ。リンっていうのね。覚えておくわ。……忘れないから」
彼女は踵を返して早足に去っていく。最後の方の「忘れないから」という言葉には底知れぬ恨みが込められていた。リンは呆然とユヴェンの後ろ姿を見送る。
「あいつ、本当にリンの名前覚えてなかったのか」
テオが呆然としたように言った。
リンは力が抜けたようにがくりと膝をつく。
こうしてリンはようやくクラスで一番可愛い女の子に名前を覚えてもらえたのであった。
ただし何かの敵(かたき)として。
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