第42話 エリオスの卒業
魔獣の森での合宿から戻ったリンはまた普段の生活サイクルに戻った。
授業を受け、図書館で自習し、工場で働く。
リンはマグリルヘイムの活動について聞きたがるクラスメイトの間でしばらく引っ張りだこになった。リンは魔獣の森やマグリルヘイムのメンバーの様子について聞かれる度に何度も同じ事を話した。
一つ変わったのはリンに小さな相棒ができた事だ。魔獣の森から連れ帰って来たペル・ラットだ。ペル・ラットは、授業中も工場にいる時もいつもリンにくっついてきて時にはリンの肩に乗り、時には服の中に隠れるなどしてリンから片時も離れなかった。
リンはペル・ラットにレインと名付けた。レインはリンが同級生よりも一足早く魔獣の森を探索した生きた証となった。地味に女子ウケも良かった。レイン目当てで話しかけてくる子もいた。そのうちレインはリンのトレードマークのような存在となっていく。
「次はいつマグリルヘイムの活動に参加するの?」
リンはこの質問に首を傾げた。次はいつ呼ばれるのだろう。
(そう言えば何も聞いていないな)
「まあそれはおいおい連絡がくると思うよ」
リンはそう答えておいてはぐらかした。
リンが学院の授業に戻ってしばらくは多忙を極めた。
同級生に引っ張りだこだったことに加え、マグリルヘイムの活動に参加している間も授業は続き、課題は出続けていたため、リンは遅れを取り戻さなければならなかった。そんなリンを助けてくれたのはやはりエリオス達だった。彼らはわざわざリンのために自分達の過去のノートまで引っ張り出して手伝ってくれた。
「すみません。エリオスさん。卒業試験が近いっていうのに」
「気にしないでくれ。それよりも君の課題の方が先決だ」
エリオスはもうすぐ学院を卒業する。とはいえ卒業試験の対策はある程度目処が立っているようだ。
リンがマグリルヘイムの一員に抜擢されて以来、エリオスのリンを見る目は変わっていた。以前まではせいぜい自分に懐いている可愛い後輩に過ぎなかった。その時から色々と世話を焼いてくれてはいたが、以前にもましてエリオスはリンに期待するようになった。
「僕は君の実力を測り損ねていたようだ。以前から見所があるとは思っていたが、まさかマグリルヘイムのメンバーに選ばれるなんて。今まで平民階級でマグリルヘイムのメンバーに選ばれた生徒はいない。はっきり言って快挙だよ」
エリオスは熱っぽく語った。
(僕は奴隷階級なんだけれどな)
階級意識は学院の生徒の間でも出身国や地域によってマチマチだ。貴族階級とそれ以外に身分の差があるのは誰もが認めるところだったが、平民と奴隷の違いについては人によって見解に差があった。リンの同級生にもリンの階級について意識する生徒と意識しない生徒がいた。平民階級と奴隷階級の差について「一緒じゃね?」と言って大して気にしない生徒もいれば「君はもう少し振る舞いに気をつけたほうがいいよ」と平民階級でもリンとの階級差を強く意識する生徒もいる。
テオはリンの階級を気にしたことなんてない。エリオスもリンのことを平民階級と考えているようだった。
「君には才能がある。君なら塔の上階層にだって到達することもできるだろう。僕にできることなら何でも言ってくれ。君が学院を卒業できるように惜しみない援助をするよ」
リンはエリオスのことを尊敬していたのでこういう風に言葉をかけられて嬉しかった。
「いいかい。魔導師として身を立てたいなら学院の授業をとにかく熱心に受けて試験で高得点を取ることだ。先生や年長者のいうことをよく聞いて規則を破ってはいけないよ。長い目で見ればその方が必ず報われるんだ」
リンは首を傾げた。
(ティドロさんの教えとは正反対だな)
ティドロは先生の言うことを聞くだけではダメだし、時にはルールを破らなければならないと言っていた。果たしてどちらの教えが正しいのだろうか。
リンはエリオスの考え方に従うことにした。彼にはエリオスの教えの方が性に合った。
リンにとってエリオスは模範だった。リンがやたらと本を読むようになったのもエリオスの勧めによるものだった。
「魔導師にとって知識は地力のようなものだ。たくさん本を読むんだよ。その分君の力になるんだから」
エリオスはこうも言った。
「平民階級には人材が不足している。優秀な人材が必要なんだ。だから僕自身身を立てたいと思っているし、君やテオのように将来有望な後輩も応援したいんだ」
リンはエリオスの期待に応えたいと思った。
ユヴェンは相変わらずリンに素気無くしていたが、一度だけ彼女とマグリルヘイムの活動について話す機会があった。
ある日、リンが教室で席に座ると彼女が自分の方をチラチラと見ていることに気づいた。リンが彼女の方を見ると彼女はサッと視線を外した。彼女もリンの話を聞きたがっているのだと思った。リンは久しぶりにユヴェンに話しかけてみることにした。
「ユヴェン。久しぶり」
「あら、リンじゃない。帰ってきてたのね」
ユヴェンは驚いたような顔をする。まるで今リンがいるのに気づいたとでもいう風な反応だ。リンは心の中で苦笑した。
「マグリルヘイムの活動お疲れ様。それで何か人脈はできたのかしら? 誰か上級貴族のお茶会に呼ばれたりした?」
「いや、そういうのはないね。でも自分より力のある魔導師の人たちと接することができてとても勉強になったよ」
「それは残念だったわね。無駄足ご苦労様。まあ仕方ないわよ。あなたの身分ではね」
そう言うとユヴェンはさっさと向こうに行ってしまう。彼女は相変わらずお茶会のことしか頭にないようだった。
(相変わらずだなぁ)
リンはそれで済ますことにした。
学院での生活はレンリルで見習い魔導師をしていた頃に比べると信じられないくらい多忙だった。リンが学院での授業、工場での労働、アルフルドでのバイトをこなしていくうちに季節は巡っていく。そうこうしていく内にエリオスが卒業試験に受かり塔の100階へと進む権利を取得した。
リンはエリオスが99階、試練の間から100階へと進むところを見届けに行った。そこにはシーラやアグルだけでなく、普段からエリオスと仲の良い友人や彼を慕っている後輩がたくさん集まっていた。クルーガもいる。
「エリオスさん。おめでとうございます」
「リン。君もわざわざ来てくれたのか」
リンが声をかけるとエリオスも笑顔で応じる。エリオスは100階層の魔導師の証である水色のローブを着ていた。こうして見るとエリオスはもう学院の生徒ではなく、独り立ちした魔導師なんだと実感した。
「もちろんですよ」
「ということはテオもいるのかい?」
エリオスはテオの姿を探してキョロキョロする。
「あっ、テオはですね。ちょっと忙しいみたいで……」
リンははぐらかした。本当のところ単にテオはめんどくさくて来ていないだけだった。
リンは塔の上層に興味があるけれどテオは興味がないからエリオスが100階に行こうが何階に行こうが大した問題ではなかった。
(テオのやつ。こんなに目をかけてもらってるっていうのに……)
「そうか。それは残念だ。しばらくは100階より下には来れないからね」
エリオスは本当に残念そうにする。彼はテオのことを高く評価して期待している。一方でテオの方はといえばそこまでエリオスとの関係を重視していなかった。
「やっぱりしばらく帰ってこれないんですか」
「ああ、100階以上は学院や魔獣の森とは比べ物にならないくらいの難関だ。とてもじゃないがしばらくはレンリルや学院に顔を出すことはできないと思う」
「頑張ってください」
「君たちもね。勉強をサボってはいけないよ。塔の上階で待っているからね。テオにもそう言っておいてくれ」
「うっ、は、はい」
「おーい。エリオス。そろそろ時間だぞ」
集まっている人間の一人がエリオスに声をかける。
「ああ、わかっている」
100階に行くためのエレベーターはいつでも乗ることができるが、あまり遅くなると危険になるらしい。リンにも詳しいことは分からなかったが、初めて行く場合にはなるべく早めに出発したほうがいいという話だった。
最後に乗り込む前にシーラやアグル、クルーガといった仲のいい人間が声をかける。
「気をつけてね。エリオス」
「無理すんなよ」
「ああ、大丈夫さ。……クルーガ。君も来てくれたのか」
エリオスが意外そうに言った。
「当たり前だろ。何せ親友の晴れ舞台だからな」
クルーガが何でもないように言った。
「全く。お前ってやつは。俺がまだ90階の授業でてこずってる間にさっさと卒業しやがって」
実際のところエリオスは破格のスピードでの卒業だった。同期の間では最も早い卒業で、歴史ある学院の中でも久しぶりの駿才ともっぱらの評判だった。
「君は寄り道しすぎだよ」
「にしてもお前の卒業する速さは異常だっての。学問の魔導師ゼウルスでもびっくりのペースだぜ」
「よせよ。大袈裟だな」
二人は和やかに会話する。
リンは二人のやり取りから本当に認め合ったもの同士の絆を感じた。
「エリオス。最後に一言皆になんか言え」
アグルがいよいよ別れの時間が迫っているのを確認して催促する。
「わかった。みんな聞いてくれ」
エリオスが集まった人たち全員に向かって声をはりあげる。
「僕が卒業を急いだのは他でもない。平民階級の地位向上のためだ。塔の上階に在籍する魔導師は明らかに貴族階級に偏っている。それが塔の内部、そしてその他の場所でも様々な形での格差につながっていると思うんだ。そして平民階級から偉大な魔導師が輩出するのを妨げている。だから僕は同じ志を持つものを募るためにギルドを立ち上げる。今は、学院を卒業したばかりの魔導師に過ぎない僕のギルドに来てくれる人はいないだろう。でもこの上、100階層以上のところで成果を上げることさえ出来れば状況は変わってくるはずだ。僕では偉大な魔導師になれないかもしれない。けれども一つ一つの行動が重なってきっといつか平民階級から偉大な魔導師が輩出されるようになるはずだ。それが当然の社会を僕は目指したい」
集まった人達から拍手が巻き起こる。
リンもエリオスの志に感心した。
(さすがエリオスさんだな。自分のことだけでなくみんなのことも考えてるなんて)
ふとクルーガのことが気になった。彼はやんごとなき上流階級の子息だ。この演説を聞いて不快に思わないのだろうか。
リンがクルーガの方を見ると彼は喜ぶでもなく、苦々しい表情をするでもなく、何の表情もなしに聞いていた。まるで話そのものに興味がないとでも言うように。リンはクルーガのこの態度に何となく違和感を感じた。
「それじゃ行ってくるよ」
最後にエリオスはシーラとアグルと抱擁してエレベーターに乗り込む。
「エリオス!」
クルーガが呼び止めるように名前を呼んだ。
「? なんだい」
エリオスが訝しげにクルーガの方を見る。クルーガはしばらく沈黙した後、「……いや、なんでもない。気をつけてな」と言った。
エリオスは涼やかに笑い、「君も早く来いよ。100階まで」と言ってエレベーターに乗り込んだ。
エリオスを乗せたエレベーターは重々しい音を立てて100階層まで上がっていく。
「エリオスさん、大丈夫でしょうか」
リンはなんとなく不安になってシーラに話しかける。
「大丈夫よ。エリオスはいつも誰よりも早く成長したんだもの。100階層でだって同じよ。きっと一段とたくましくなって私たちの前に戻ってきてくれるわ」
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