第79話「新学期」
新学期が始まった。
リンは加速魔法の授業を受けるため、演習場に来ていた。
チラリと集まっている生徒たちの顔ぶれを見る。
初等クラスから進級した顔なじみの者もいれば、見ない顔の生徒もいる。
その中にはスピルナやウィンガルド、ラドスからの編入生達もいた。
彼らは新しく学院に来た生徒達特有の場慣れしない雰囲気を備えていたため、誰の目にも彼らが来たばかりだということが明らかだった。
彼らに注目しているのはリンだけではなかった。
クラスのほとんどの者達が彼らのことを気にしていた。
皆露骨に見ることは避けてもチラチラと見ては視線を泳がせている。
リンが彼らの顔を一つ一つ横目で見ているうちに教員のグラントが教室に入ってきた。
「では授業を始めるぞ。ここにいるものならば既に予習は済んでいることかと思うが、加速魔法はすでに運動している物質に魔法をかけてさらに速度を増したり、あるいは減速させたりする魔法だ。呪文だけで発動させることができるが、その威力はどれだけ物質の重心を的確に捉えられるかで決まる。高位魔導師であれば呪文の詠唱も無しに大砲から発射された砲弾並みの速度を出すことも可能だ。まずは去年も受けていた者からやってみてもらおうか。そうだな……」
グラントが生徒を見回して一人に目を留める。
「シーラ。やってみろ」
「はい」
シーラが前に進み出る。
「ってあれ? シーラさん。まだ中等クラスだったんですか?」
リンが意外に思って言った。
「う、うるさいわね。加速魔法は難しいんだから。つべこべ言わず見てなさい」
シーラがレーンの前に立つ。
レーンには鉄球が置いてあり、その先には鉄板が設置されている。
シーラはレーンの上に乗った鉄球に向かって杖を向けると回転の呪文を唱え始めた。
鉄球が転がり始める。
さらにシーラが別の呪文を唱えて鉄球を杖で叩く。
すると鉄球は急激に速度を上げ、鉄板に向かって転がっていく。
鉄球は勢いをつけて鉄板に衝突した。
ガァンという音を立てて、窪みが出来る。
おおっ、と歓声が上がる。
「うむ。よかろう。単位取得できる速度まであと一歩というところだな」
グラントが満足げに言う。
「はい。ありがとうございます」
シーラが控えめに言った。
(すごい威力だな。通常の質量魔法に加速魔法を加えるとこんなにも違うのか)
リンは加速魔法の威力に驚いた。
「このように、加速魔法は鉄板でもへこませることができるばかりか極めれば大砲と同等の威力を発揮することもできる。学院を卒業した兵役義務のある魔導師ともなれば必須の魔法というわけだ」
グラントは生徒に向かって、特に新顔の生徒に向かって解説した。
「さて。では折角だから入ってきたばかりの編入生にもやってもらおうかな」
グラントが各々の国で寄り集まっている編入生の方に目をやる。
「ではラディアット・ベルカ。やってみろ」
「ハイ」
ラディアットは自らの意欲を示すように威勢良く返事をすると前に進み出る。
教室内の視線が彼に集中する。
(スピルナからの編入生にして上級貴族、ラディアット・ベルカ。向こうの学院から来た成績書によると優秀な生徒だったようだが……。果たしてどの程度のものか。お手並み拝見といこうか)
グラントは教員として彼を公平に評価する姿勢をとりながらも、内心では彼のことを身分の色眼鏡で見ずにはいられなかった。
ラディアットが鉄球の前に立ち呪文を唱え始める。
リンは彼の表情を見て背筋がぞくっとするのを感じた。
傍目にもすさまじい集中力であることが見て取れたからだ。
ラディアットが呪文を唱え杖で打つと、反応した鉄球はキィンという鋭い金属音を出しながら弾かれたように加速して、目にも留まらぬ速さで進み、轟音とともに鉄板に衝撃を与えた。
教室内にいたものは耳を塞いだ。
鉄板はへこむどころかひしゃげている。
グラントも驚きに目を見開く。
ラディアットが「どうだ」と言わんばかりの尊大な態度でグラントの方に向き直る。
「う、うむ。素晴らしい威力だ。単位を授けよう」
グラントはラディアットの視線にハッとすると取り繕うように言った。
(す、すごい。本当に大砲みたいだ)
リンは呆気にとられて鉄板にめり込んだ鉄球を見た。
ラディアットはというと、なんでもないように元いた場所に戻って行った。
加速魔法・移動の授業。
「加速魔法は物質だけではなく自分自身にもかけることができる。魔法の靴と組み合わせれば高速移動も可能。しかしただ速く動ければいいというわけではない。重要なのは加速することに加えて減速することだ。いくら高速で動けても思い通りの場所で止まることができなければ意味がない。各自魔法の靴は用意しているな。では実際にやってみろ」
先程とは違う授業、教室でグラントが声を張り上げた。
それぞれ20メートルほどの車線上で加速・減速の練習を始める。
しかし実際には思うように加速できなかったり、加速できても思い通りに静止することができずに20メートルのラインを超えて、壁に激突したりしている。
「ブハッ」
アルマが派手に壁にぶつかった。
「大丈夫か?」
テオが床に倒れこんだアルマを引き起こして助ける。
「イテテ。難しいぜこれ。タイミングを計って減速しないと」
「かと言って速く減速しすぎると十分に加速できないし……」
リン達がそう言っていると向こうの方でざわめきが起こるのが聞こえた。
ざわめきの方を見るとスピルナの上級貴族、ナウゼが車線のスタート地点に立っているところだった。
みんな一時自分の練習を取りやめて彼に注目する。
ナウゼが腰を屈めると次の瞬間、彼の姿が消えた。
かと思うとその次の瞬間には車が急ブレーキをかけたような音を響かせて車線の終点で停止した。
彼の両靴のつま先はちょうど車線の終着点にかかっていて、すぐ後ろには黒いタイヤの跡のようなものが付いている。
文字通り飛ぶような速さだった。
またざわめきが起きた。
「あいつ、20メートルぴったりのところで止まったぜ」
「しかも結構すごいスピードだったような……」
「すごいどころか……下手すりゃチーター並みの速さだったぜ」
見ていた生徒たちが口々に感想を言い合う。
「おいおい。なんつー加速力だよ」
テオが呆れたように言った。
「しかもあの速度の後、体勢を少しも崩すことなく急停止したぜ」
アルマが言った。
リンも驚きに目を丸くしていた。
(すごい。あんなに速く動けるなんて)
あれだけの急加速からの急停止。
魔法の靴と衣服で体を保護しているとはいえ、相当の負担が体にかかっているはずだ。
にもかかわらずナウゼは体勢を少しも崩すことなく着地した。
肉体的な鍛錬も相当積んでいるに違いなかった。
ナウゼは着地体勢から元の姿勢に戻るとグラントの方に向き直った。
「どうですか。先生」
ナウゼはこれだけの魔法を見せた後にもかかわらず涼しい顔をして落ち着き払った態度で尋ねる。
「う、うむ。いいだろう。単位取得だ」
また呆気にとられていたグラントが我に返って言った。
「ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げて一礼した。
ラディアットとは対照的に礼儀正しい態度だった。
「すげーなあの二人。加速魔法の他に軍団指揮、野戦築城。その他軍事系の単位ガンガン取りまくってるぜ」
アルマが関心したように言った。
スピルナから来た二人は既に学院中の話題になっていた。
戦闘力だけで言えば100階層で通用するレベルじゃないかともっぱらの噂だ。
「さすがはスピルナ出身の魔導師だね。軍事大国というだけのことはあるよ」
テリムものほほんとした調子で合わせる。
「私が見る限りあの二人はきっと出世するわね」
ユヴェンがしたり顔で言う。
「ねえリン。あんたあの二人と仲良くなってきなさいよ。それで私に紹介して。あんたそういうの得意でしょ」
ユヴェンがリンに悪巧みをけしかけるように言った。
彼女は早くもあの二人に接近する腹を決めていた。
「うん。僕もあの二人と仲良くなりたいと思っていたところなんだ」
リンも乗り気になって言った。
「つーかなんだこのメンツ」
テオはカフェで机を囲んでいるメンバーに違和感を禁じえなかった。
テーブルにはリンとテオ、ユヴェン、アルマ、テリムがいた。
「『トリアリア・アリント同盟』よ。私達は三大国に比べて魔導後進国だからね。こうして集まって連携しようというわけよ」
この会合の主催者であるユヴェンが言った。
(なんだかなぁ)
「ただスピルナの奴らってさ。なんか閉鎖的じゃねぇ? スピルナ人だけで固まってそれ以外誰ともつるまねーし」
アルマが言った。
実際、スピルナからの編入生達は他の学院生に対して妙によそよそしく、彼らは彼らだけで固まって常に行動していた。
「きっとシャイなのよ。そういうのに限って優しくすれば急に心を開くものだわ」
ユヴェンが妙に自信ありげに言った。
「テリムは何か繋がりとかないの?」
リンがテリムに話を振った。
「ごめん。僕もスピルナの知り合いはいないんだ」
「うーん。どうすればいいんだろうね。ねぇテオ。何かいい考えはないかな」
リンが今度はテオに話を振る。
「悪いけど、僕はあいつらと仲良くなるつもりはないよ。それじゃ」
テオはそう言うと机の上に小銭を置いて店から出て行った。
「何だありゃ」
アルマが怪訝な顔をして出て行ったテオの方を見る。
「テオはまだ貴族のこと敵視しているのかなぁ」
テリムが特に傷ついた様子もなく言う。
「ふん。どうせつまらないプライドでしょ。小事にこだわって大局を見逃す。小物の常道よ。あんなやつほっといて私達は作戦会議を続けましょう」
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