第50話 王室茶会への招待状
「うー、さぶっ」
リンはアトレアと別れた後、ずぶ濡れになりながら自室までの道を歩いていた。
(アトレアの魔法を見れたのは良かったけど。このままじゃ風邪ひいちゃうよ。)
リンが震えながらアルフルド行きのエレベーターの前で待っていると別のエレベーターがたどり着いて一人の学院生が降りてきた。
見知らぬ人だったのでそのまま通り過ぎていくとリンは思ったが、意外なことに彼はリンに話しかけてきた。
「おや? もしかして君はリンじゃないか? 初等クラスにしてマグリルヘイムに抜擢されたという」
「えっ? はい。そうですが。あなたは?」
リンは声をかけられて初めてそこにいる人を見る。
知らない人だったが背の高さで自分より上級生だとわかった。
全体的に上品な雰囲気を漂わせており、落ち着いた声で話す人だった。
留め金は金色だから平民階級のようだ。
「僕はザイーニ・シトラ。学院3年目の中等クラス魔導師だ。しかしそれにしてもずぶ濡れだね」
リンは指摘されて顔を赤らめる。
「突然雨が降ってきたもので……」
「ちょっと待ってて」
そういうとザイーニは杖を向けてくる。質量の杖だった。
訝しがるリンをよそにザイーニが魔法を発動させる。
「リンの衣服、肌の表面及び髪の毛に付着している水滴よ。この杖の切っ先に集まれ」
ザイーニが呪文を唱えるとリンにまとわりついている水滴がモゾモゾと動き出し、幾つかの塊になっていく。
やがて十分に大きくなった塊は帯状になってザイーニの杖の切っ先に集まっていった。
ザイーニは毛糸を巻き取るように杖をくるくると回して水の帯を巻き取る。やがて水分は彼の杖の切っ先で水の玉となった。
リンの体はずぶ濡れ冷たさから解放され温かさに包み込まれる。
「水の玉よ。塔の外へお行き」
ザイーニがそう言うと水の玉は一人でに塔の外に向かって飛んで行った。
(形のない水を質量の杖で操るなんて。一体どうやって……)
普通火や水のような形や重さのないものは妖精の力を借りて操るものだ。しかしこの場に妖精の気配は感じられない。ザイーニは杖の力だけで水を操っているようだった。
「なに驚くことはない。簡単な仕組みだよ」
ザイーニが驚いて目を丸くしているリンに対して説明を始める。
「僕の杖は微細なもののみ動かせるように調整してある。それにより衣服を動かさずに微細な水滴だけを吸い取ることができるのだ。このように工夫すれば質量の杖でも水を自在に操ることができる。水にも重さがあるからね。僕はこういう細かい作業が得意なのだ」
「ほえ〜。そんなやり方があるんですね」
リンは素直に感心した。よく見ると確かにザイーニの杖の先には魔法陣が刻まれている。力を制御する魔法陣で杖の出力を調整しているようだった。
(この方法を知っていればアトレアとの勝負ももう少しマシなものになったかもしれないな)
リンは遅ればせながら自分の勉強不足を悔やんだ。
そうこうしているうちにアルフルド行きのエレベーターが到着する。
「あの。どうもありがとうございました。おかげで風邪をひかずに済みそうです」
「油断するのはまだ早い。なるべく早く部屋に帰ることだ。水は体温を奪うものだからね。僕の治癒魔法で君の体の血行は良くなっているが、それは一時的なものだ。部屋に帰ったらもう一度温めなおさないといけないよ」
「治癒魔法までかけてくださったんですか。それは重ね重ね……」
「気にするな。それより早く乗らないとエレベーターが行ってしまうよ」
「はい。本当にどうもありがとうございます」
リンは再度お礼を言うとエレベーターに乗り込んで呪文を唱える。エレベーターはリンを乗せて動き出した。
「ああ、そうだ言い忘れていたが……」
エレベーターに背を向けて離れようとしていたザイーニが思い出したように振り返る。
「ウィンガルド王室のお茶会に招待されたそうだね。おめでとう」
「えっ?」
リンがザイーニの言葉の真意を聞く前にエレベーターは彼を猛スピードで上階へと運び去ってしまう。
リンはエレベーターの中で先ほどのザイーニとのやり取りを反芻した。
短い間のことだったがリンはザイーニに対して好感を覚えた。
(感じのいい人だったな。少し奇妙なところのある人だったけれど。王室のお茶会? なんのことだ?)
リンは自宅への道すがら知り合いに会う度にお茶会について聞かれ首を傾げた。
王室のお茶会に招待されたというのは本当か。だとしたら一体どういう伝手なのか。どの王国のお茶会に招待されたのか。
リンは質問をされる度にいちいち否定しなければならなかった。
「王室茶会なんかに招待されるわけないじゃないか。僕は下級貴族ですらないんだから。どうして王族のお茶会に招待されるっていうんだい?」
リンが自宅に帰る頃には否定のしすぎですっかり疲れ切っていた。
(一体なんだっていうんだ。誰がこんな事実無根の噂を撒き散らしているんだか)
リンがようやくのことでルームシェアの宿に辿り着くと寮母さんに呼び止められる。
「リンさん。あなた宛に郵便が届いていますよ」
「あ、どうも」
リンは郵便を受け取ると自分の部屋に戻って封を切り中身を確かめる。
中からは妙に高級な便箋が出てきた。宛先は無論リンになっている。差出人には『イリーウィア・リム・ウィンガルド及びウィンガルド王室茶会』と書かれている。
リンは首をひねって少し思案したあと一つの可能性に思い至った。
(ははーん。さてはテオのいたずらだな)
彼はちょくちょくこういう手の込んだいたずらをした。初めのうちはリンもまんまと引っかかってからかわれたものだ。
(そういえばテオに魔獣の森でイリーウィアさんとペアを組んだ時の事について詳しく話したっけ。それにしても事実無根の流言まで流すなんて。全く不謹慎なやつだな。エリオスさんの訃報からまだ数日も立っていないっていうのに)
おそらくエリオスの訃報を受け取る前に下準備しておいて忘れたのだろう、とリンは予想をつけた。
(その手には乗らないぞ。中身を見れば一発でわかるもんね)
リンは魔獣の森で彼女に手紙や公式の文書にするサインを見せてもらっていた。彼女の守護精霊シルフでなければ打てない複雑な字体のサインだった。
本当にイリーウィアからの手紙ならそのサインがあるはずだった。
封筒の封を切って中身を取り出す。
中からは王室茶会への入場チケットと招待状が出てきた。いずれにもウィンガルド王国の国花であるユリの花の意匠が施されている。
招待状には以下のように書いてある。
『親愛なるリン殿
拝啓
この度、ウィンガルド王室では毎月定例のお茶会をアルフルドにて開催することになりました。
ご存知の通りグィンガルドの塔とウィンガルド王国の間柄には並々ならぬものがあり、王室では月に一度塔内に所属する最も位の高い者によって茶会が主催される習わしとなっています。
今回は、イリーウィア・リム・ウィンガルドによって主催されます。
王室と縁故のある方々、塔内の実力者、及び常日頃から主催者と親しみのある方々をお呼びする予定です。
つきましてはリン殿にも是非ご出席していただきたく云々……』
招待状には茶会の日時と場所が記されており、参加にあたっては正装するようになど注意書きが添えらえれており、末尾にはイリーウィアのサインが、かくしてシルフにしか打てない複雑な字体で打ち込まれていた。
(ファッ!?)
リンは自分の見たものが信じられずもう一度招待状を一番上から読むことにした。
しかし何度読んでも書いていることは同じである。
王室茶会が開かれる。リンを招待したい。日時場所と注意事項。そしてイリーウィア本人にしか打てないはずのサイン。
(ど、どういうことだ。なぜイリーウィアさんが僕を王室のお茶会に。そしてなぜ当事者の僕が知る前に噂が立っているんだ)
リンは嫌な汗が出てくるのを感じた。手が震えてくる。リンはまだ自分の見ているものが信じられなかった。自分は目が悪くなったのか、あるいは何かの幻覚を見ているのではないだろうか。
そこにテオが帰宅してきた。
「おーい、リン。なんか知り合いに会う度に君が王室茶会に招待されたのかって聞かれて鬱陶しいんだけれど。君は一体いつから王侯貴族になったんだい」
テオはうんざりした様子で自分のベッドの方へ行こうとする。
「て、テオ。これ……」
「ん? それは……」
テオは目を細めてリンが震える手で持っている紙切れを凝視する。
「王室茶会の招待状に見えるね。本物の」
翌日、リンが学院に行くと噂はすでに学院中に知れ渡っていた。
皆がリンのことを遠巻きに見てくる。
リンが目の前を通れば顔がこわばり、人々はヒソヒソとささやき声で話し始める。
リンには彼らがどんな噂話をしているのか知る由もなかったが、有る事無い事言われているのは間違いなかった。
彼らの視線はもはや嫉妬や羨望の眼差しなどではなく不気味なものを見る目になっていた。
彼らの視線は物語っていた。
どういうことだ。一体こいつはなんなんだ。なぜこいつだけこうも定期的に宝くじに当たるんだ。
しかしリンとて自分の身に何が起こっているのか全くわからない。
何が起こっているのか一番説明が欲しいのは他でもないリン自身であった。
リンは憂鬱だった。
彼が最も恐れているのはユヴェンの反応だった。
リンがマグリルヘイムに抜擢された時の様々な嫌がらせを思い起こさずにはいられない。
あの時は四六時中付きまとわれてメンタルを削られた上、有る事無い事吹聴された。
彼女にとってお茶会への招待はギルドへの勧誘よりも重大だろう。
きっと以前よりも過酷な嫌がらせを受けるに違いなかった。
果たして今度はどんな悪口を言われ、どんないわれのない陰口を叩かれるのか。
タイミングの悪いことに今日は物質生成の授業でユヴェンと同じ教室だった。
リンは鬱々とした気分で教室に入る。
ところがユヴェンの反応は思いもよらないものだった。
彼女はリンが教室に入るやいなや目をキラキラさせながら飛んできた。
「聞いたわよリン。あなたウィンガルド王室のお茶会に招待されたんですってね。やるじゃないの。イリーウィアに取り入るなんて。私はあなたのことを誤解していたわ。あなたって野心のある人なのね。野心のある人って素敵よ。見直したわ」
そして抜け目なく以下のように付け加えるのであった。
「ところでもうお茶会に連れて行く女性は決まっているのかしら。クラスにいるその辺の女子よりも私を同伴した方が見栄えがいいと思うんだけれど?」
彼女は相変わらず顔を輝かせながらリンからの返答を待っていた。
断られるとはつゆとも思っていないようであった。
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