第77話「艦隊の季節」
リンは師匠のユインと月に一回の面会を行っていた。
授業選択の相談と今後の進路について話し合うことが目的だ。
まずユインが口を開いた。
「では早速面会を始めよう。まず聞きたいんだが、君はこの塔で何を目指しているんだい?」
「はい。師匠。僕は塔の頂上を目指しています」
「ほう。それはどうして?」
「えっと……立派な魔導師になるために……」
「立派な魔導師なら別に、例えば500階くらいでもいいんじゃないかい?」
「え、えーと……」
リンは言葉に詰まった。
「まあ、そんなことだろうと思ったよ」
ユインはため息をつく。
「まず君はこの塔のことについて最低限の知識を得ないとね」
「あの、師匠。
そもそもなんでみんな命を賭けてまで塔の上階を目指すんですか。
特に貴族の子達なんて親からすれば大事な跡取りでしょう。
いくらある程度の安全が保障されているとはいえ死ぬ危険もある場所に送り込むなんて……。
一体どうして」
「金と名誉、そして権力のためだね」
「金と名誉に……権力?」
「100階以上に所属する魔導師にはその階層に応じて、俸給が支払われる。
そして所属している階層が上であればあるほどその魔導師は世界中で尊敬される。
特に500階以上に所属する魔導師は高位魔導師とみなされ、世間から無条件の賞賛を受ける」
「なるほど。
お金と名誉についてはよくわかりました。
けれども権力とは?
塔の上階に所属することが一体何の権力につながるんです?」
「世界のことについて決める権力が手に入る」
「世界のことについて?」
「そう、この塔はレトギア大陸に属する国家群のパワーバランスを担っているのだ。
現在のレトギア大陸ではウィンガルド、スピルナ、ラドスの三大国が勢力で拮抗しあっているのは君も知っているね」
「ええ」
「この塔上層もその三国出身の貴族が大半を占めているんだ。」
「!」
「今や戦争で魔導師とその技術を利用しない国なんて存在しない。
国に在籍する魔導師の数と質が戦争の行方を左右するのだ。
そしてこの塔は世界で最も魔導師が多くおり、しかも常に最新の魔道具を開発し、世界各地に輸出している。
どんな国もこの塔を頼りにしなければ戦争すらままならないのだ。
それはすなわちこの塔を支配する者がそのまま世界の支配者ということになる。
三大国が隆盛したのは三大国が優れていたからではない。
この塔が三大国を選んだからだ」
「塔が……国を選ぶ……? そんな一体どうしてそんなことが……」
「それを理解するにはこの塔の成り立ちから理解しなければならない。よろしい。では今日はまずそのことから話そう」
ユインは話し始めた。
この塔の成り立ちと歴史について。
「まだ魔導の基礎理論が確立せず、世界が無知と蒙昧の闇に覆われていた頃、魔法は悪用され、魔導師は不吉な者とされ、いわれのない迫害を受けていた。
世を憂えた大魔導師ガエリアスは、魔導師の保護と待遇の改善のために行動を起こした。
彼は魔導の基礎理論を確立してそれまでまとまりのなかった魔法を知識として体系化し、学院を開いて啓蒙しようとする。
それだけではない。
彼は魔導師のための街をつくり、一つの機関の下、魔法と魔導師を管理しようとしたのだ。
世界中に散らばる魔導師を一箇所に集めるとともに、あらゆる国家や権力の介入・干渉から逃れるため、巨大な街をいくつも内包可能な、天高くそびえ立つ難攻不落の塔の建設を計画した。
世界で初めて造られた魔導師の街は瞬く間に発展し、経済・軍事の両面で他の地域に比べ突出するようになっていった。
無論、時の支配者たちはなんとかこの塔を我が物にしようと常に食指を伸ばし武力によって手中に収めようとしてきた。
しかしどの国も支配者もこの塔を陥落させることはできなかった。
ガエリアスは国家による塔への侵略を予見していたのだ。
彼はこの塔内の街から街、各階層から各階層へとつながる通路を魔導師でなければ通れないようにした上で、飛空船の建造を指示し、レトギア大陸のどこにでも魔導師の軍団を派遣できるようにして、塔に対して敵対行動をとった国を即座に攻撃できるよう軍備を整えた。
幾度となく塔を支配下に抑えようと数多の国家が侵略を繰り返したが、塔の魔導師達はガエリアスの期待に応え常に彼らを撃退してきた」
「国家を相手にして撃退するなんて。
そんなに塔の軍事力は高いんですか?」
「ああ、文字通り圧倒的だよ。
魔法文明が世界各地に輸出された現代においてもそれは変わらない。
10隻もの飛行船、数十万人を超える魔導師を抱え、レトギア大陸の隅々までくまなく睨みを効かせられるのはこのグィンガルドの塔だけだ。
三大国のうちで最大の国力を持つウィンガルドの魔装騎士団でさえせいぜい1000人程度」
「そんなに……」
「塔に敵対した国家は一つの例外もなく衰退・滅亡の憂き目にあう。
やがて国々は塔への不可侵を暗黙の了解とし、塔は一種の権威と聖性を帯び始める。
塔も大国への影響力を強めていき、塔における上位魔導師が国際的社会において強い影響力を発揮するようになった。
いつからか塔は人々から聖域とみなされるようになり、魔導師は人々から畏敬の念を持たれるようになる。
塔の魔導師が世界のバランスを担い始めたこの頃から、魔導師は各国の貴族階級に並ぶ新たな身分となったのだ」
「……」
「こうして確かな権威を手に入れるのみならず、世界各国に影響力を及ぼすようになった魔導師の塔だが、各国の支配者達は塔の支配を諦めなかった。
武力による征服が無理と悟った国家の君主達は、逆に塔に接近して結びつきを強くし、その影響力を利用しようと画策した。
国家の君主や貴族達は自国生まれの資質ある者を塔に送り込み、塔内で影響力ある地位につけて、自国に都合よく塔を動かそうと試みた。
この試みもそう易々とは成功しなかった。
例え、上階に住む高位魔導師であったとしても露骨に特定の国家のために便宜を図ろうとすれば、塔内で顰蹙を買い、場合によっては追放の憂き目にあった。
三大国の時代となった今でもそれは変わらない。
基本的に上階に住む魔導師ほど塔のことを最優先に考えて行動しなければならず、塔よりも国家のために動いたとみなされれば非難され、場合によっては罰を受ける。
しかし、いくつかの国は塔とのパイプ作りを諦めなかった。
塔の独立と中立を保とうとする勢力の抵抗に遭いながらも着々と自国生まれの高位魔導師を輩出し、また機を見て塔のための経済的、軍事的援助を申し出ることで塔に恩を売り着々とパイプを作って行った。
徐々に塔と国家間の結びつきは強くなり、塔も結びつきの強い国家に対して優先的に魔道具を供与するなど便宜を図るようになっていった。
次第に塔への魔導師の送り込みは競争となり、塔と結びつきの強い国家とそうでない国家の枠組みができ始めた。
この魔導師送り込み競争に勝利したのが現三大国、ウィンガルド・スピルナ・ラドスだ。
ウィンガルド・スピルナ・ラドスは積極的に塔の高位魔導師を上級貴族として自国へ受け入れ、塔の影響力に服属する形で魔導文明を受け入れた。
魔導文明を受け入れた国家は日増しに成長し、非魔導文明国との間で軍事的・経済的摩擦が生まれ始める。
やがて塔に味方する側と敵対する側の国家間で大きな戦争が起こった。
レトギア大陸の覇権をかけて勃発したその戦争は数年間続いた後、塔側の国家群の大勝利に終わる。
この時も塔側の国家は発展し、塔に敵対した国家は衰退・滅亡した。
ウィンガルド・スピルナ・ラドスは大国への道を突き進み、時代は三大国とそれに従属する小国家の下、勢力均衡が保たれる三大国の時代を迎えた。
この戦争とその後の魔導師誘致・送り込み競争の結果、魔導文明国と非魔導文明国の格差はますます広がり、それはそのまま現在の魔導先進国と魔導後進国の括りとなっていく。
そして塔内での勢力図がそのまま各国の勢力図になると判明した今、各国による塔上層部への自国魔導士の送りこみ競争はより加熱している。
貴族からしても塔の上層部に自分の息子や娘を送り込むことができれば、自国での影響力や発言力が高まる、要するに権力の増大につながるから子弟を塔上層部に送り込むのに躍起になっているというわけだ。
これが貴族達が命懸けで塔の上層部を目指す理由だね。
ちなみに、高位魔導師を自国に受け入れ上級貴族として迎える慣習は今もなお生きている」
「えっ? じゃあ……」
「そう。500階以上に在籍する魔導師のみ参加できる『評議会』。
魔導師協会の上部組織にして世界中の魔導師を束ねる塔の中枢であり最高決定機関。
その評議会に在籍した者は、生まれ育ちのいかんに関わらず、あらゆる国から上級貴族の待遇を持って迎えられる」
リンは思わず生唾を飲み込んだ。
手が震えてくる。
(上級貴族になれる。500階に到達しさえすれば、僕でも……)
「三大国を含む国家は、なるべく優秀な魔導師を囲い込む国際競争に勝とうと躍起になっている。
どの国も国家の命運を賭けてこの塔に魔導師を派遣しているのだ。
また貴族達は恐れている。平民が塔の上層に到達し自分の地位に取って代わられることを。
貴族の子弟にとって、上層に到達し高位魔導師となるのは家運と国運を賭けた使命なのだ。
分かるかねリン君。
君が塔の頂点を目指すというのは、国家の命運を背負った貴族達との競争に打ち勝つということだ。
何の身寄りもない君が単独で塔の頂上を目指そうというのは、それこそ君一人で世界と戦争して勝利しようとするようなものだ」
(そんなに大変なことだったのか)
リンはここに来てようやく自分の考えがいかに大それたものかに気づいた。
それと共になぜユインが急に態度を軟化させたのかも理解できた。
彼も三大国の一つである、ウィンガルドの王族、イリーウィアとのつながりが欲しいのだ。
「どうかね。リン君。これでも君は塔の頂上を目指そうというのかね」
ユインはこの塔に来たばかりに見せた嘲るような笑みを見せた。
しかし今度はリンも怯むことはなかった。
「師匠。塔の頂上を目指すのがどれだけ難しいことかよくわかりました。けれども僕はできるだけ高い場所に行きたいと思っています。
僕はどうすれば今より高い場所に行くことができますか」
リンがこう言うとユインは面白くなさそうな表情を見せた。
リンのリアクションが思ったものと違い拍子抜けしたようだった。
「フン。まあ、いいだろう。君ができるだけ塔の高い場所に行くために必要なものを教えてあげよう」
リンはいよいよ本題に入るのだと思って、集中し、全身を耳にするようにしてユインの話に聞き入った。
「どうすればなるべく高い場所に行くことができるか。
それは我々魔導師の力の根源について考えてみれば自ずと答えは出るはずだ」
「力の根源……」
「鈍い君でもそろそろ気づいているだろう。我々魔導師の力の源が移動と輸送にあることを。
入り組んだ地形と魔獣や盗賊が人々の移動を阻むレトギア大陸において、わずかな装備で自由自在に移動し、大量の物資を輸送することができるのは我々魔導師だけだ。
土地と法律に縛られ移動の自由がない奴隷や平民はもちろん、王侯貴族さえも国境を飛び越えて自由に移動することなどできはしない。
彼らは我々魔導師の力を借りてようやく遠隔地に移動したり、他国で生産される品物を手に入れることができるのだ。
塔の攻略においても考え方は同じだ。
まず塔内を移動するための魔法を覚えなければ何も始まらない。
そのためには指輪、質量、妖精、冶金などの基礎魔法だけでは不十分だ。
ダンジョンの探索および塔の内部を効率良く移動する魔法も覚えなければならない」
「あ、そうか」
「ダンジョンの探索と言っても一概にどの魔法を覚えれば良いという答えもない。
塔の内部は年々増改築されている。
それに伴い必要な魔法も変化していく。
とりあえず高速で移動する加速系の魔法、空中を移動する飛行系の魔法、離れた場所を異次元の空間で結ぶ次元系の魔法は必要不可欠だね。
その他にも森や河川、沼沢を効率良く移動するために必要な精霊魔法、魔獣を手なずける魔獣魔法、橋梁や船舶を建造する建築魔法、戦闘系の魔法などなど。
必要なものをあげればキリがない。
まあ目下必要なのは100階層を攻略するための魔法だ。
エリオスの二の舞にならないためにもね。
それについてははっきりしているからリストを送っておこう」
「分かりました」
「今日の面会はこれくらいにしておこう。
また来月、学習の進捗状況について報告するように。
それと王室茶会のことについても私に報告するんだ。
君が上流社会で粗相をしないように監督するのが私の役目だからね」
「あの、師匠」
話を切り上げて立ち上がろうとしたユインをリンは呼びとめた。
「ん? なんだい」
「よかったら。師匠もイリーウィアさんのお茶会に参加しませんか? 僕なら師匠がイリーウィアさんに近づけるよう取りなすことも……」
ユインは不快そうにジロリとリンを睨んだ。
(おっと。余計なこと言っちゃったかな)
リンはにっこりと媚びへつらうような笑みを見せた。
僕は決して調子に乗ってなどいませんよ、とでも言うように。
貴族のプライドというのはリンにとって未だに理解しがたいものだった。
「師匠。
僕は決して師匠に恩を売ろうとかそういう考えではなく、師匠に来ていただければいろいろ心強いかと思っただけで……」
「フン。
取りなしなど必要ないよ。
君は何か勘違いしているのかもしれないが、別に私はお茶会に参加したいわけじゃない。
君はただウィンガルド貴族どもの様子を私に報告すればいいんだ」
ユインはリンの浅はかさを笑うように言った。
リンは首を傾げた。
(あれ? 師匠はイリーウィアさんとお近づきになりたいわけじゃないのか)
「もう用事がないようなら私は行かせてもらうよ。君も余計なことはせず勉学に励むことだ」
そう言うと今度こそユインは椅子を立ち上がる。
ふと室内全体に微弱な揺れが伝わってくるのをリンは感じた。
「? 何でしょうこの揺れ。地震?」
「いやこれは飛空船が到着した際に発生する揺れだ。艦隊の季節だからね」
「艦隊の季節?」
「塔に所属する飛空船はレトギア大陸の季節風に合わせ、1年をかけて各地を巡行する。例年この時期には、戦闘態勢にない全ての飛空船が帰還する習わしになっている。それが艦隊の季節だ。それに乗って三大国の編入生も来るはずだ」
「編入生……」
塔50階の空港では入港する飛行船を入港管理局のものが出迎えていた。
飛行船は無事着陸し、中からゾロゾロと乗船者が降りてくる。
その中にスピルナの編入生達の一団もいた。
入港管理局の者達が彼らを出迎える。
管理局の者はその中の先頭を歩くリーダー格らしき少年に声をかけた。
「魔導師の塔へようこそ。我々は君達を歓迎するよ」
少年は入国管理局の者に向き直ると、杖を立て直立不動の姿勢となり、威圧的な声で話し始める。
「出迎えご苦労。私はスピルナの上級貴族、ベルカ家の長子ラディアット。同じくスピルナ上級貴族にしてミットラン家の次男、クルーガの元に案内してもらいたい」
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