第52話「きらびやかな世界」
王室茶会は見たこともないくらい美しい備品で埋め尽くされていた。
テーブルは真っ白なクロスに銀色の食器で統一され、七色の光を放つ魔石がそこかしこに配置されている。
魔石はゆっくりと点滅して、輝きを強めたり弱めたり、色彩を濃くしたり淡くしたりを繰り返し、互いに互いの光を際立たせつつ、ひとつの色が目立ちすぎないよう交互に彩度が調節されていた。
さらに部屋中のいたるところに妖精が飛び交い、佇んで、キラキラと光の雫をこぼしている。
妖精は基本的に魔力の強い場所に引き寄せられるが、リンはこれほど魔力の充満した場所、つまりこれほどたくさんの妖精がいる場所を他に見たことがなかった。妖精たちはみな居心地良さそうに思い思いの活動をしている。
この部屋にランプや照明、太陽石の光は必要ない。
そんなものがなくてもこの部屋に輝いていない場所を見つける方が難しかった。
魔石と妖精の光は銀色の食器と白いテーブルクロスに反射して瞬き複雑な色合いの輝きを放ち、テーブルの上の豪華な食事や飲み物を照らしている。
しかしこれらの装飾は所詮脇役に過ぎない。
この部屋でリンの目を最も驚かせたのはパーティーに参加している人々の装いである。
人々は皆誰もが何かしら輝くものを身につけている。
指輪やイヤリング、ネックレスに腕輪。それらはいずれも光魔法の力で特殊な輝きを放ち、装備者の容姿を美しく飾り立てている。
また誰も彼も摩訶不思議な衣服を着ていた。そのシルエットは通常の服装と特段変わりはなかったが、模様が常に変化しているのである。そしてやはりぼんやりと光り輝いていた。
おそらく服の模様に魔法をかけて変化させているのだろう。
リンは目の前を通った女性の服に魔力が弱まった一瞬、魔法陣のようなものが浮き出ているのが見えてしまった。
何れにしても会場にいる人々は部屋の装飾に負けず劣らず美しい装いをしていて強烈な存在感を示している。
何も光る魔道具を身につけていないのはリンとユヴェンくらいのものであった。
リンは渇いた笑いを漏らした。
もっと高い服を着ていくべきかと迷っていたが、そんな悩みはバカバカしいものだったと気付いたのだ。彼が多少奮発しようがしまいがこの部屋にいる人々からすれば大した違いはない。
学院の初等クラスで高嶺の花を気取っているユヴェンの服装ですらこの部屋では地味で野暮ったいものに見えた。
リンとユヴェンが部屋の雰囲気に圧倒されていると脇のわずかな暗闇からささやき声が聞こえてきた。
「もし。リン様ではありませんか?」
「えっ? はい。そうですが」
「私、ウィンガルド王室に仕える召使でございます。イリーウィア様からの申し付けによりリン様にこのお茶会についてご案内させていただきます」
「はあ」
リンは少し困惑気味に返事したが、気にせず召使は話し始めた。
「この王室茶会で、招待客ははじめに主催者の元に、今回はイリーウィア様の元に挨拶に行くのが習わしでございます。あちらの主催者席へ続く列に並ぶようお願いします。喉が渇いているようでしたら脇のテーブルから飲み物をご自由にどうぞ。その後、イリーウィア様によって席が指定されるので指示に従ってください」
リンが闇から伸びてきた指の先を見ると上座と思しき場所に向かって人々が列を作っている。列の先にイリーウィアがいるようだった。人々はすでに飲み物や軽食に手をつけていて談笑しながらイリーウィアへの挨拶の順番を待っている。
「わかりました」
「では、お気をつけて」
「あの、あなたのお名前は?」
「私はウィンガルド王国に仕えるしがない召使の一人。名を名乗るほどの者でもありません」
リンは声をかけた人間の顔を見ようとしたが暗闇でよく見えない。声のしわがれた調子から老齢と思われたが、男性か女性かもはっきりしなかった。
「それよりも暗闇を避けて進むよう気をつけてください。あなた方は何も輝くものを身につけていませんゆえ、暗闇に居ては我々とぶつかる危険があります。」
リンは言われて気がついたが部屋には意図的に光が届かないよう暗くしている場所があった。暗闇に目をこらすと、そこでは給仕の人間が黒子のように目立たないよう立ち働いていて、妖精には運べない重い食器やグラス、食事を並べたり取り換えたりしている。
「どうかお客様方は光り輝く道を進みますよう」
それだけ言うと声の主の気配は暗闇の中に消えてしまう。
リンはイリーウィアへの挨拶を順番待ちする間、何とも言えず居心地が悪かった。
他の招待客の視線が痛々しい。
彼らはリンとユヴェンをジロジロ見た後、皆一様に戸惑いや侮蔑の表情を浮かべてくる。
少なくとも歓迎されていないことは明らかだった。
イリーウィアに挨拶を済ませた人々が一人ずつ列から外れていった。いよいよリンの番になる。
リンはイリーウィアに久々に会うことに緊張した。
本当に自分はこの場にいていいのだろうか。彼女は以前と同じように接してくれるだろうか。
「あら、リン。よく来てくださいました」
イリーウィアは上品に微笑んで見せる。その微笑みは以前森を一緒に探索した時と変わりないものだった。リンはひとまずホッとした。
とはいえ、彼女の服装を見てまた緊張してしまう。
彼女の服装はこの会場を彩る魔法の衣服の中でも一際豪華なものだった。
イリーウィアのドレスはシックな黒い生地に夜空の星々を表す輝きがそのまま映って運動していた。星々は赤色や青色、黄色にきらめいており、宇宙の雄大さと無限の儚さが同居して強い存在感を放っているにも関わらず、それでいて彼女の生来の美貌を一つも損ねることなく引き立てていた。一体どれだけの技術と労力、魔法の知識を積み重ねればこれだけの美しい衣服を作り出せるのだろうか。
彼女は豪華な彫刻と鮮やかな刺繍を施された3人掛けのソファにゆったりと腰掛けていた。目の前のテーブルには今宵の招待客から送られたであろうプレゼント箱や美術品がうず高く積まれ、テーブルに乗りきらない分は床に置かれている。
その光景は彼女がこの茶会の主役であり、女王であることを嫌が応にも示している。
リンはユヴェンの方をちらりと見た。
案の定、彼女は俯いて恥ずかしがっている。
リンには彼女の気持ちがよく分かった。イリーウィアの美しさはできることなら遠くから眺めていたい種類のものであった。こうして近くで会話を交わしてしまえば自分の卑しい身分をいやでも意識せずにはいられなかった。
「ご招待ありがとうございます」
リンは定型通りの挨拶をした。
「あなたとはもう一度お会いしたいと思っていました」
イリーウィアは微笑みながらリンにそう声をかけてくれた。
リンは曖昧な笑顔を浮かべる。正直なところ彼女の真意を測り損ねていた。リンはこの塔に来て以来の様々な経験から人の言うことには裏表があることを学んでいた。特に高貴な身分の人が言うことには……。彼女の言うことをどこまで真に受けていいのだろう。彼女はなぜ自分のようなものを招いてくれたのだろうか。
「あなたがマグリルヘイムにもう呼ばれないと聞いて残念に思っていたのですが、あなたが貴族のお茶会に参加したいと言っていたのを思い出してお招きしようと思いついたのです」
「 まさか本当に誘っていただけるとは思っていませんでしたよ」
「ふふ。驚いたでしょう? あなたを驚かせたくて色々と考えたのですよ」
彼女は口元に手を当てて上品に笑ってみせる。お茶目なのは相変わらずのようだった。
「それより知りませんでしたよ、リン。あなたにあんな厄介な病気があったなんてね」
イリーウィアは全てを見透かしているかのようにくすくすと笑う。
リンは恥ずかしくて俯いてしまう。
「これからはあなたを呼ぶ時はそちらの……ええと……ユヴェンさんでしたっけ? 彼女も一緒に呼ぶようにしますね」
イリーウィアはユヴェンに対しても微笑んでみせる。
ユヴェンはというと今後も自分が呼ばれることが確約されたたというのに控え目に会釈するだけでしおらしくしていた。
彼女はすっかり場の雰囲気に萎縮してしまっていた。
無理もなかった。
ここまでお茶会を楽しむどころか場違いな人間であることを思い知らされるばかりなのだから。
見栄っ張りの彼女のことだ。
本当は恥ずかしくて今すぐにでも帰りたいに違いなかった。
「リン、ユヴェンさんもあなたと一緒で相当な恥ずかしがり屋さんのようですね」
「えっ? ええ。はい。まあ、そうですね」
彼女の普段の姿を知っているリンは曖昧に返事するだけにしておいた。
「リン。こちらに座りなさい。あなたも」
イリーウィアがリンとユヴェンを自分の座っているソファと対面のソファに招き寄せる。
招待客の人々がざわついた。
今までイリーウィアに挨拶に来た人々は皆一様に立ったまま一言二言交わしただけで退けられていた。自分のそばに座らせるというのは明らかに特別な厚遇だった。
「どうしました?」
リンがまごついているのを見てイリーウィアが尋ねる。
「あの。いいんでしょうか。僕達なんかが座らせてもらって」
「構いませんよ。私が許可しているのです。他に誰が反対するというのですか?」
確かにこの場で彼女に反意を唱える者などいはしない。
この場で最も身分が高いのはイリーウィアなのだから。
しかし……
(イリーウィアさんがよくても、周囲の妬み嫉みのしわ寄せが僕に来るんですが……)
人々は早くもリンに対して羨望と嫉妬の眼差しを向け始めていた。リンも人々の視線から敏感にそれを感じ取っていた。
とはいえイリーウィアからの申し出を断るのもそれはそれで憚られた。
リンは周囲の目を気にしながらもイリーウィアの言うとおりにする。
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