第105話「モラトリアムの終わり」
魔導競技の結果、軍事系の単位を多数取得したリンは順調に高等クラスに進学していた。
ついに高等クラスになってしまったがなってみればあっという間だった。
初等クラスの頃は高等クラスの人間というだけでカッコよく見えたものだが、いざ自分がなってみればあっけないものだった。
果たして自分はあの時から比べて幾らかでも成長できたのだろうか。
リンにはよく分からなかった。
リンが学院の廊下を歩いていると向こうからイリーウィアが歩いてくるのが見えた。
「イリーウィアさん」
「あら。リン」
リンが名前を呼んで駆け寄っていくと彼女は微笑みかけてくれる。
その微笑みは初めて会った時と一つも変わらない優雅で奥ゆかしいものだった。
しかし二人の関係は微妙に変化しつつあった。
リンは空色のローブに包まれた彼女の姿を改めて見つめる。
彼女は学院を卒業して、今は100階層の魔導士になっていた。
「イリーウィアさんがここにいるということは……もしかしてラージヤ先生の授業を受けに来られたんですか?」
「ええ。彼の授業は特別ですからね。学院魔導士だけでなく高位魔導士もたくさん受けに来ていますよ。リンもラージヤ先生の授業を受けるのですか?」
「はい」
「では一緒に課題に取り組むこともあるかもしれませんね」
「ええ、その時はよろしくお願いします」
リンは新鮮な気分になった。
イリーウィアと同じ授業を受けるのは初めてのことだった。
「イリーウィア様。時間です。ヘルドが待っていますよ」
いつも通り彼女の後ろに付き従っているデュークが言った。
「ええ、今行きます」
「リン。あんたは第2演習場よ」
アイシャがリンに声をかける。
「ではリン。また後ほど」
「はい。また」
イリーウィアとリンは手を振って別れる。
リンは彼女の後ろ姿を見ながら魔導競技直後のことを思い出した。
魔導競技の後に開かれた王室茶会ではいつもながらのイベントに加えて、リンが表彰される一幕があった。
スピルナの上級貴族ナウゼに勝利したことを直々に讃えられる。
リンはイリーウィアから直接新しい衣服、指輪、勇者の証である宝飾用の剣、その他高価な品々を下賜される。
彼は公の場でイリーウィアのお気に入りの者であることを示され、より一層その立場を強調された。
パーティーの間中彼女の隣に座らされ、挨拶に来た人達によって声を掛けられる栄誉に預かる。
彼を見る人々の視線は以前とやや違っていた。
ナウゼとの戦いぶりからリンのことを見直す人々が多くなっていたのだ。
一方で、一回戦を勝ったくらいで重用されることに皮肉のこもった冷笑、嫉妬の視線を向けてくる者も相変わらずいた。
それらはちょうど半々くらいだった。
ともあれ王室茶会における人々のリンを見る目は明らかに好転していた。
イリーウィアは公の前でリンをギルド『王国騎士団』に勧誘した。
しかしリンは辞退する。
「僕にはまだそれだけの実力がありません。どうかよりふさわしい方にその役職を」
リンのこの態度は人々をよりいっそう感心させた。
(これでいいんだよな)
リンは人々のまなざしが変わるのを感じながらも自分の将来が他者によって導かれているような不安と安心を同時に感じる奇妙な感覚を覚えていた。
というのもこの一連のやりとりはヘルドの書いた筋書きだった。
リンは彼の指示した通りのセリフを喋ったに過ぎない。
彼は既にリンをの地位を固めるべく策動していた。
このようなことが起こっているのはリンだけではなかった。
上級クラスになり卒業を間近に控えて、急にみんな慌ただしく将来のことについて話し始めた。
誰々がどこのギルドに内定しているとか、誰々が何階層の魔導師と繋がりがあるとか。
皆いよいよ塔の上層を目指すために本格的な準備を始めていた。
そのような学院の空気は、リンにモラトリアムの終わりが着々と近づいていることを感じさせずにはいられなかった。
「リン。どうでしょう。何か欲しいものはありますか? あなたの望むものならなんでもあげますよ」
挨拶を一通り終え、人の流れも固まって落ち着いてきた頃、イリーウィアはおもむろにそう言った。
「ありがとうございます。ですが良いのでしょうか。こんなに良くしてもらえて」
「良いのです。貴方はそれだけの勇気を示したのですから。賞賛されてしかるべきです」
「では。少し難しい相談をしても良いでしょうか」
「ええ構いませんとも」
「『星屑のレンズ』について何か知っている事はありますか?」
流石のイリーウィアもキョトンとする。
「ふむ。予想外の答えが返ってきましたね。まさか七大秘宝とは」
「七大秘宝?」
「ええ、世界に二つとない7つの魔導具。古代の遺物がほとんどですが、現存していなかったり紛失したものがほとんどです。しかし困りましたね。貴方をそばに置くのに『星屑のレンズ』が必要だとは。これは私もお手上げです」
イリーウィアは悲しげに目を伏せる。
「あ、いえ。そんなつもりじゃ……。もちろんイリーウィア様の側にはずっと居させていただきますよ」
リンは慌てて付け加えた。
そう言うとイリーウィアはにっこり微笑む。
それを見て先ほどの悲しげな様子が演技だと気づく。
リンは苦笑した。
(敵わないな。この人には)
いつもいつの間にか操られている。
(でもそうか。やっぱり王族でも手に入れるのは難しいものなんだな)
リンはアトレアの目指している場所の高さを改めて実感せずにはいられなかった。
果たして自分は彼女とどれくらいの差があるのだろう。
自分の辿っている道の先に彼女はいるのだろうか。
イリーウィアはリンと別れた後、デュークとヘルドと一緒に学院の一角にある部屋にいた。
ウィンガルド人用に貸切にされた部屋で、秘密の話をするのにもってこいの場所だった。
彼らはナウゼの事後処理について話し合いをしていた。
「策動お疲れ様でした。デューク、ヘルド」
イリーウィアが二人をねぎらう。
「今回はほとんどヘルドの働きのおかげです」
「ヘルドの?」
「はい。ヘルドは彼の持ち得る人脈を使いアルフルドの名士のみならず高位魔導師など方々を駆け回り、ナウゼの魔導競技への出場資格を剥奪するため尽力しました」
デュークはヘルドを持ち上げるように言った。
彼としてはリンよりもヘルドが重用された方が都合が良かった。
(リンよりはウィンガルド上級貴族のヘルドの方がマシだからな。イリーウィア様もヘルドを取り立てた時のことを思い出してくれれば良いのだが)
「ヘルドの働きに比べれば私は何もしていないも同然です」
「まあ。ヘルド。そんなに働いてくださったのですか」
イリーウィアは感動したように言った。
「ありがとうございます。私はあなたの働きに対してどう報いればよいのでしょう」
「大したことではございません」
「そんなことありませんわ。私が頼りにできるのはあなただけです」
(フン。誰にでもそう言ってるくせに)
ヘルドは心の中で冷笑した。
「これからも私に仕えていただけますか」
「もちろんです。イリーウィア様に仕えることだけが私の望みです」
「デューク。彼に虹蚕の絹でできた衣を。最上級のものです」
イリーウィアは自らの手でヘルドの肩に袈裟をかける。
アルフルドの魔導師でこの衣を所持しているのはリンとヘルドだけだ。
「ヘルド。側へ」
ヘルドはイリーウィアの側にさらに近づく。
彼女の息遣いが届きそうなくらいの場所へ。
イリーウィアは他の誰にも聞こえないようヘルドに耳打ちした。
「デュークの役職と土地ですけれどね。あなたにあげますよ」
ヘルドは驚きに目を見開く。
歓喜で震えが止まらなくなってしまう。
デュークの役職と土地が手に入れば彼にとって悲願であるお家立て直しが果たされる。
「まだ正式には決まっていませんけれどね。あなたがデュークよりも上の階層に辿り着きさえすれば文句を言う人もいないでしょう」
「はい。精進させていただきます」
デュークは二人の親密な様子を遠巻きに見ていた。
彼には二人の会話が聞こえなかったが、どういうやりとりをしているか大体想像できた。
彼は諦めの念を持ってこの扱いを受け入れざるを得なかった。
彼は若かりし頃を振り返る。
野心と志を胸にこの魔導師の塔にやってきたあの日のことを。
その頃、彼は周囲から期待され、イリーウィアからも寵愛を受け、立身栄達を信じて疑わなかった。
しかし結局のところ、彼はこの塔において大した志を果たすこともできず、イリーウィアの側にいることもできず、惨めな思いで帰国の途につくことになりそうだった。
リンはアイシャと一緒に演習場まで歩いていた。
騎士団への入団を断ったものの、いずれ入る事は既定路線なので、それに備えて訓練しておく必要がある。
今日は彼女との訓練初日だった。
「ちょっと見直したわ」
演習場までの道すがらアイシャは唐突に言った。
「えっ?」
「『杖落とし』でのことよ。あんたは戦えないやつだと思っていたんだけれどね」
アイシャはため息をつく。
「ウィンガルドの王宮にもたくさんいるのよ。王族に取り入るばかりで戦う気概のないやつが。あんたもその類だと思っていたけれど、そうではなかったようね」
「アイシャさん……」
アイシャは言ってから恥ずかしくなったのか、照れを隠すようにリンから顔を背ける。
「さ、無駄口はここまでよ。ウィンガルドの騎士団に入るんでしょ。騎士団員はグリフォンに乗りこなせなければ務まらないわよ」
演習場の扉を開けると、そこにはリンのために用意されたグリフォンが待っていた。
早速リンのグリフォンに乗る訓練が始まる。
(さて。こいつに乗りこなせるかしらねぇ)
グリフォンは気難しい生き物のため、高度に意思疎通する必要があった。
それこそ幼い頃から獣と遊んでいるような。
ウィンガルド貴族は幼少から兄弟のように魔獣と戯れる風習があるため、誰もが自然と一流の魔獣使いになっていくが、そういった訓練を受けていないリンに果たしてグリフォンを乗りこなせるのか。
(ま、姫様からの特命だし。付き合うほかないわ)
アイシャは少し渋い顔をしながらグリフォンの背中に乗って四苦八苦しているリンを見つめた。
リンはアイシャとの特訓が終わった後、クルーガにも会っていた。
クルーガの方からリンに話したいことがあるということだった。
「卒業おめでとうございます」
「ああ、やっと卒業だぜ」
クルーがは解放されたように言った。
彼は先日、卒業したばかりだった。
イリーウィア同様、空色のローブを着ている。
「それよりもお前の方こそ聞いたぜリン。姫様から『王国騎士団』に誘われたそうじゃねーか。出世したな」
「いやあ。まぐれですよ。辞退しましたし」
リンは照れたようにうつむきながら言った。
「クルーガさんの方はどうですか。ギルドを立ち上げたって聞きましたが……。やっぱり100階層は大変ですか」
「ああ、なんとかなってはいるが、気は抜けねーよ。学院の授業とは違うし。新しく何か始めるとなるとな。それに……」
突然クルーガは何かを思い出すように俯いた。
「エリオスの分も頑張らなきゃいけないしな」
「クルーガさん……」
リンは少し感傷的な気分になった。
彼も彼なりにエリオスの死をひきづっているんだな、と思って。
「悪い。湿っぽくなっちまったな」
「いえ、そんな」
「今日、お前を呼んだのは他でもない。ナウゼのことで詫びがしたいと思ってな」
「お詫び……ですか?」
「『飛行魔法』を教えてやろう」
「『飛行魔法』を!?」
「塔の攻略をするためにも空を飛べるようになることは重要だ。アルフルドで俺より飛べる奴はいない。俺の『飛行魔法』を身につければ塔の攻略に有利だぜ。どうだ。やってみるか」
「はい。ぜひ」
クルーガが杖で自分の靴を叩くとフワリと浮かび上がった。
「飛行魔法と言っても原理は簡単だ。質量の杖で魔法の靴を浮かすだけ。ただその際体に加わる風圧と重力の負荷から体を保護しなくちゃならない。そのため妖精魔法で風を、そして力学魔法で重力を操らなければならない。これらの魔法を複合的に使う総合力が必要なわけだ」
「なるほど」
「んじゃまずは体を浮かせることからだ。やってみろ」
(どうせこいつにゃ習得できねーしな)
飛行魔法は小さい頃からの厳しい鍛錬が必要だった。空中感覚、空中姿勢、そしてそれらを支える筋力。
(ナウゼもそれはわかっているはず。リンもお人好しだし、習得できなくてもキレたりはしねーだろ。あとはリンが100階層に来るのを諦めてくれりゃあ万事平和裡に片付くんだがな)
クルーガは練習に励むリンの様子を厳しい目で見る。
リンの練習に取り組む姿は真剣そのものだった。
上階へ行くことへの迷いは微塵も見られない。
(そうすんなりはいかねーか)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?