”おひとり様”に憧れて

今、世の中に浸透してきた”おひとり様”という言葉、私は”ぼっち”の丁寧語のような気がして違和感を感じています。
私が思う”おひとり様”は寂しいわけではなく、あえて孤独を愛し気高く自己肯定感が高い…そんな方々への呼称として欲しいのです。
しかも、近頃はおひとり様同士を繋げようとする、おひとり様ツアーやおひとり様会なるものでパートナーを見付けさせようとしている。
つまりは”おひとり様”は寂しい者という前提です。
日本という国は、なぜ個人の存在を尊重してくれないのでしょうか。
もちろん、出会いがなかった方、パートナーとの死別など何らかの理由で独りになってしまい、お相手を求めたい方はいらっしゃると思います。
でもそういう方々には”おひとり様”という言葉ではなく、今まで通りお見合いパーティという体でいいのではないでしょうか。
私が思う真の”おひとり様”はそのようなツアーや会に参加しなくてもパートナーもいるし友人もいます。
決して寂しくはないはず。

そんな私は約半世紀を生きてきた今、うつ病を発症した高齢の母の看病と猫の世話を兼ねて都心近郊の実家で二人と一匹で暮らしています。
それまでの約十年間は快適に一人暮らしを楽しんでいました。
貯金と大型雑貨店でのアルバイト、自身のネットショップという二足のわらじで食い扶持は確保出来ていたので、経済的に困るということはないし、僅かながらも貯金が出来ていたし、休みの日は山登りをしたり買い物したり美味しいものを食べに出掛けたりしていました。
ある日、都内に住む弟から母がうつ病を発症したため家事が出来なくなっている事、飼い猫の面倒がみれなくなって家の中が大変なことになっていると連絡があり、急遽開催された一時間ほどの姉弟会議の結果、私が実家に帰ることになりました。
家の中は想像以上に荒れていて、猫も体調を崩していたので治療してもらい、家事をこなしながら、週5日仕事に行くという、いきなりの重労働を課せられる事になったのです。
その程度で重労働と言うなと思われるかもしれませんが、元々自由気ままに自分のことだけを考えて生活をしていた私にとって、母の介護と二人分の家事に加えて初見の猫の世話をしなくてはならないという状況に陥ったことは、精神的にも肉体的にもきついものがありました。
元々猫は飼っていたので世話自体は慣れていましたが、今の子は弟が友人から貰ってきた子だったので、お初にお目かかった子で最初はお互いに探りを入れながら徐々に距離を縮めていった感じでした。
常に誰かが傍にいないと不安になってしまう性格の母は、猫がいたとはいえ一人で暮らすことにかなりの無理をしていたのだと思います。私が帰ってきたことによって少しづつ快方にむかっていきました。
逆に、私が少しづつストレスを感じ始めてきました。
猫がいなければ、次に体調を崩すのが私だったかもしれません。

娘から見ても他人依存が強めの母に多少のストレスを感じていました。
何でも誰かにやってもらう、何かを決めるときには必ず誰かの意見を聞きその通りにする、分からないことは誰かに調べてもらう。
今思うとモラハラだった父に何かを頼んだり何かを相談できなかったのでしょう、相談を持ち掛ける度にバカにされ大声で罵詈雑言を浴びせられては私の部屋で泣いていました。
そんな母を見ていた私は、子供ながらに母を助けるのは長女の私の役目だと考え、代わりに何でもしてあげていました。
晩御飯の献立が決まらないから考えて、買い物に行くけど何を買っていいか分からないから代わりに行ってきて、リビングの電球を変えて、携帯電話が壊れてるから直して…など。
そのうちに私は一人で何でも決めて行動できる子供になりました。
学校でバイト先で仕事先で、誰かが何かが出来ない、手伝ってと言われると率先して行動していました。
私がいないと誰も何も出来ないのね…最初はそんなことを思って出来る自分に優越感を抱いていましたが、私のようにいろいろなことが出来る人を見かけるようになると、私が特別なのではなくて世の中には自分で考えて行動したり調べたりすることが苦手な人が一定数いるんだ、と思うようになってきました。

それは自身の結婚観にも関わってきました。
自分で稼ぐことが苦手な人が、パートナーを見付けて食い扶持を稼いでもらい、子供を産んだら老後は子供に面倒を見てもらうことで、自分の将来の安心を旦那と子供に依存するという人が結婚という制度を選んでいるかもしれない。
でも私は自分が食べる分くらい自分で稼げるし、自分のことは自分で出来るし、将来のことも自分で決めることができるから、結婚は私には必要ない。
そんな風に考えるようになりました。
それに自分の生活のリズムや習慣を崩されたくないということもあり、結婚という言葉を遠ざけ続け、気付けばこの年齢になっていました。
周りの友達は結婚し子供を産み家庭をもったり、離婚したり、私と同じように独身だったり。
幸いなことに、両親、親戚、友人誰一人として、私に結婚の強要をしてこなかったのです。その理由は聞いてはいけない気がして未だに聞いていません。

自分で稼ぐことに関しては、手に職をつけなければと躍起になっていた時期がありました。
子供の頃に読んだ童話が今でも忘れられなくて今の私を創りあげたと言っても過言ではない、バイブルになっています。
バイブルと言いましたが、題名や作者名も覚えていないので、ざっくりとしたあらすじを記しますが、これを読んだ方でご存じの方がいたら教えていただきたいです。

『とある国の王子様がお妃様選びをしに国中を自ら探して回ります。やがて、ある村に辿り着いたときに美しい娘に一目惚れしてお妃候補にしようとしますが、その娘は手に職を持っていない人は嫌だと断ります。
娘を諦めきれない王子はその村伝統の刺繍を勉強して自分の城を刺繍したハンカチを持って娘に会いに行きます。
刺繍の美しさと勉強してまで自分のことを思ってくれた王子様の愛情に感動して結婚することになりました。
ある日、隣の国との戦争で領地を奪われた国は、王子と王妃の刺繍したハンカチを売って国を再建して幸せに暮らしました』…というような話です。

童話から手に職を持つという大切さを知るきっかけを与えてもらいました。
文字通り手に職を持って、その道の職人になるということも考えましたが、手に職を持つことなどなかなかできることではありません。
自分に何ができるか、何をしているときが楽しいか、どんなことが得意か…そんなことを長い間毎日頭の中のどこかで考えていた気がします。
そのうち自分の好きなものであふれた自分のお店が欲しいと考えるようになったのもここ数年のことです。
今はまだ道半ばですが、まずはネットショップからコツコツと始めています。

”おひとり様”はある程度年齢を重ねた自立出来ている大人、すなわち五十代以降の人々に与えられる称号になっているように思います。
世間一般が思う自立している人とは、精神的にも経済的にも何でも自分でできる人だと思われがちですし、確かにそうかもしれません。
でも、一人の人間が出来ることには限度があります。
自立している人は、自分の強みと弱みを分かっていて自分に出来ないことは他人を頼り、むしろ自分一人では何も出来ないということを理解しているのではないでしょうか。
自分の好きなものに囲まれ、好きなことを楽しむことで心に余裕が出来るから自分の時間を大切にできるし、他人と自分との関係も大切にする。
大切だと思っている時間を無駄にはしたくないので、その大切に過ごす時間の概念を崩してくるようなモノ、他人、事は出来る限り除外する。
一人の時間も大切にするけど、感性の合う友人知人と会うかけがえのない時間の大切さも分かっている。
自分の周りには自分を大切にするモノ、他人、事しか置かない。
その潔さを持っていれば、たとえパートナーがいても相手に振り回されることなく一人の時間とパートナー、家族との時間を楽しむことが出来るのではないでしょうか。
もちろん暮らしに必要なコミュニティを形成していく上で欠かせない人付き合いもあります。でも自分に無理のない範囲で付き合い方を選ぶことも出来るはずです。
そういう人は、いずれ”ひとり”になることがあっても自活ができる。

私が結婚というものに対して後ろ向きなのはなぜなのか時々考えてることがあります。
すると、自分の家族を人並みに幸せにしていく自信、子供を育てる自信、家事や子育て、仕事に追われ四面楚歌になって壊れていくであろう自分に自信が持てないから、自分のことだけ考えていればいい”おひとり様”という楽な選択肢を選んでいるのだろうという結論に毎回至ります。
これでは、私が理想とする”おひとり様”にはなれません。
未だ実家にお世話になっているし、精神的にも経済的にも自立しているとは思えません。
まだまだ”ひとりで生きていける覚悟”が出来ていないのです。
”おひとり様”という存在に勝手な一種の憧れに近い思いを持っているので、いかに近づいて生きていくかが私の今後の課題でもあります。
壇蜜さんが結婚発表したときに『(前略)ひとりで生きられないから結婚するのではなく、自分ひとりでも生きられる自信がついたから誰かと一緒に居られるようになった』と仰っていたのを聞いて、頭の中にずっと留まっていた靄がすっきりと晴れ渡った思いがしました。
自信が目指すスタイルが見えた気がしたのです。
とはいえ、”おひとり様”でありがちな孤独死問題が嫌でも頭をよぎるし、避けては通れませんが、私はそんなに不安を感じていないのです。
あと数年もすれば、高齢の”おひとり様”が世にあふれます。
そして全国に点在している、高度経済成長期に建てられたマンモス団地の空き家問題を解決すべく、我々おひとり様仕様に改築して単身者専用の集合住宅や、高齢者住宅も入居年齢を早めに設定したり、地域の病院と連携したり、これから迎える高齢化社会に向けて新たなビジネスモデルを水面下で進めている企業がたくさんいると信じています。
なんなら私達で作ってもいいよね!
仲のいい友人たちと食事をしながら、こんな話題で少し先の将来を前向きな会話で楽しんでいます。
これは、心の中にある一抹の不安を消し去るように期待をもっているだけかもしれませんが。
学校やバイト先、会社など今までの集団生活で関わってきた人たちに無意識に気を使ってきた私たち。
残りの人生は自分にわがままに自由気ままに生きていきたいものです。
おひとり様の未来は明るいですよ、寂しくなんかないはずです、きっと(笑)


#エッセイ部門
#創作大賞2023

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