見出し画像

何を研ぐのか、削るのか 12フィートの木材を持ってあるく29日目

2020年4月16日(木)29日目

晴れ。気温22℃。体温35.8。木材の長辺2570mm

今日の朝気づいたが、上着がない。昨日の道中でなくしてしまったようだ。でもどこで無くなったのか分からない。この先どんどん暑くなると踏んで、上着は一枚しか持ってこなかった。まだ朝と夜は冷え込む。雨の日も寒い時が多いのに。この先を考えると来た道に確実に落ちてるかも分からないまま探すより、諦めて前に進む方が賢明だろうと思った。悔しい。
今までの木材を持ってあるく時もいろいろなものを知らず知らずに無くしてきた。マフラーやら、靴下やら。暖をとるものをなくしたら、自分がエネルギーを消費して熱を作り出すしかない。


いくらお遍路さん文化といえども、宿が密集する地点と、全く宿がない地点がはっきりと分かれている。私が昨日泊まった伊予西条には宿が密集していたが、そこから20km先には宿がめっきりない。今治市まで行くとまた宿が密集する。もともとお遍路さん自体、1日に平均30kmを目安にするらしいので、私の1日20kmにはなかなか対応できるような立地になっていない。

特に西条市と今治市の間の標高がつらい。そして今日はいい天気だ。感覚を研ぎ澄ませて視覚情報をなるべく少なくして、わずかな」「涼」を肌で感じとる。すると微風でも風を感じる。肌で感じた風の方向を辿っていくと海が見えてきた。浜風か、なるほど。すると少し潮の匂いも感じてくる。

画像2


何軒か並ぶ無人直売所では伊予柑がひとかごあたり100円で売っている。ぜひとも買いたいが、かごに山盛りの伊予柑がウエイトトレーニングの重りのようになってしまうだろう。多分疲れて宿に着く頃には伊予柑の皮を剥く元気も無くなっている。ということで渋々諦める。

この日照り&だんだん閑散としてコンビニ類が無くなってくるであろうゾーンに入る前に2リットルペットボトルの水を買った。水なら途中で飲みきれないと判断したときに捨てることができる。顔も手もいざとなれば洗える。少し飲んで進む。喉が渇く。また飲む。また喉が乾くの繰り返し。これはなんだかおかしいぞと思い、感覚的に塩タブレットを舐めてみた。すると喉の渇きが緩和された。喉が異様に早く乾く時は塩分不足のサインなのか。脱水症状を防ぐためにもなるな。

もしかしたら脱水症状の予防法で前から周知されていた知識なのかもしれない。どこかの聞きかじりの情報より、自分の身体で実感して知ることの方が定着しやすい。かといってこのやり方は効率が悪い上に、自分が痛い目に会うことが多い。「12フィートの木材を持ってあるく」という名前だけを想像すると、木材を持ってあるく大変さにフォーカスしがちだが、総合的な要素を含んでいる。実は生きるための総合力が必要だと、4年やりながらひしひしと感じている。


話しかけてくる人も、奇妙さや不思議さよりも好奇心が勝った人が話しかけてくるのが今までだった。今はそれに加え、コロナによって濃厚接触のリスクが加算されているので、より話しかけ辛くなっているはずだ。それを加味しても好奇心が勝って話しかけてくれる人がいる。その人の好奇心にきちんと応えることが私にできる最大限のことだと思うので、3〜5分の間、全力で自分が何者で何をしているのかを説明する。

今私は、この3〜5分の間に自分がどんな言葉を発するか、を重要視している。より端的、もしくは想像が膨らむ余韻を残せるような自己紹介はできるかと、あれこれ試しているところだ。

これがあと300km以上ある道中でどのように言葉が磨かれていくのだろう。それとも誰からも話しかけられなかったりするのだろうか。

30km歩く中で、足よりも先に肩が悲鳴を挙げ始めた。肩にほぼ全ての荷物の重みがのしかかっている。硬い石が肩に張り付いているみたいだ。とても痛い。なるべく荷物を自分の重心に寄せて、自身の体重が増えたかのように取り扱えれば楽になるかもしれない。特にリュックを赤ちゃんの抱っこ紐みたいな持ち方ができたらいいのに。荷物の中で唯一軽くできる要素があるとしたら、それは木材しかない。木材を引きずって体積を減らすしかない。ほんの数ミリずつしか削れない、気の遠くなるような、えらく非効率なやり方で。

画像1


いいなと思ったら応援しよう!