Gruen Curvex 330ムーブメントの分解
デジカメ、ウォークマン、Curvex、これらには共通点がある。オリジナリティの高い製品を初期に完成させたメーカーの商標であるのに、商標自体の出来もすばらしかったため他メーカーの後続商品を含めた名称として市場で使われてしまった、という点。
20世紀前半、1940年頃までのGruen社は、米国製ムーブメントのHamilton社と並び米国市場での高精度腕時計の雄であった。Hamilton社の腕時計が鉄道時計直系の精度とE.Howardの流れを汲む技術(これは都市伝説)を背景としていたのに対し、Gruen社はRolex社と同じスイスAegler社に注文した高精度ムーブメントの採用を背景としていた。どちらかと言うと精度の追求のみが目立つHamilton社やRolex社に対し、懐中時計の時代から精度に加えて時計の小ささと薄さへのこだわりを持ち続けていたのがGruen社の特徴。Veri-Thinという薄さを追求したムーブメントのシリーズは、懐中時計の時代から第二次大戦後の腕時計まで長期間にわたり製品として展開されている。
腕時計の薄さへのこだわりの究極が、手首の曲線に沿って湾曲させたムーブメント、Curvex。おそらく1930年代半ばまでにはGruen社の高級機用ムーブメント調達先であったスイスAegler社に開発を委託、1935年か1936年頃には、Aegler社のすぐそばに新造した自社のPrecision工場から最初のCurvexムーブメント、311が出荷される。
時計を手首に沿って湾曲したものとするには、
1)ムーブメントのサイズは維持して機構を湾曲させる
2)ムーブメントのサイズを小さくして湾曲したケースに入れる
の2つのやり方がある。当時、1930年代後半から1940年代にかけての米国では、Bulova社のものをはじめとしてCurvex風の腕時計がたくさん出てくるが、ムーブメントまで湾曲させたのはついにGruen社のみであった。
ちなみに、今ではどこが権利を保有しているかわからないGruenブランドを冠したCurvex銘のクォーツ時計があるが、あれはETA社の小さな小さな980.163あたりのムーブメントが入った後者の手法によるCurvexである。
ムーブメントを湾曲させるには、湾曲に沿わせて絶妙に輪列を配置し、その間隙を縫うようにテンプを振動させる、という難易度の高い設計や製造が必要になる。そんな状況でも厚さで不利な巻き上げヒゲを使うところがGruenの高級腕時計メーカーとしての矜持。とは言え最初の挑戦であるCurvex 311では謳い文句の曲率はそこまででもない。さらに、リスクヘッジのためか311と多くのパーツを共用する非Curvexムーブメント、355(17石)や500(15石)が同時に開発され販売されている。実は500が先にあって311のベースモデルになった、という話もあるようだけど真偽未確認。
そういった311での経験を踏まえ、曲率を限界まで上げることを目的に設計製造されたと思われるのがCurvex 330である。1937年頃の製造。この330、振動するテンプがムーブメント外形ギリギリに出っ張っていたり、ヒゲゼンマイと輪列とのクリアランスが本当にギリギリだったりともう大変で、中古市場にあるたくさんの不動330はヒゲゼンマイが輪列に絡まってしまっている個体も多い。そもそもGruen社開発の非磁性ヒゲゼンマイ素材であるConolumaはとても柔らかく、絡まってぐちゃぐちゃになりやすく修理難易度も高い。さすがにGruen社も懲りたようで、この後のメンズ用Curvexムーブメント、440や370などではずっと曲率が緩やかになっている。
今回修理する330シリアル#578782もほぼ不動。テンプをちょっと突くとしばらく弱々しく動いて止まるという症状だけど、ヒゲゼンマイの様子は悪くない。貴重な330なのでなんとかなって欲しい。
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まずはwheel train側を観察。とにかく目立つのは、ムーブメントのふちギリギリに配置されたbalance wheel、たまらん。
大きく湾曲したspring barrel bridgeが懐中時計風にratchet wheelの上にある点はGruen含め他の会社の多くの腕時計ムーブメントとは違う。でもLecoultreなんかは腕時計でもだいたい常にこんな風なので特別にユニークなわけでもない。
基本の15石に対してどこに石を足して17石とするかは各社まちまちだが、Gruenではescape wheelにcap jewelを追加している。center wheelにhole jewelを追加するタイプの17石もある。
左下にCURVEXの刻印、一義的にはCurvexはムーブメントのブランド名称である。
Dial側。湾曲していること以外は普通。keyless workの構成もごくごく常識的で分かりやすい。Aegler社標準と言ったところか、後のRolex 1570あたりの様子とも似ている。ネジ止めしてある2つのcap jewelはbalance用とescape wheel用。
怖いので、balance complete(テンプ)をさっさと外す。hairspringに一見して分かるような問題はなさそう。
balanceのmain plate側のpivotを確認、問題なさそうに見える。balanceのpivotは時計の中で一番細く直径は多くの場合0.1mm未満。損傷しやすく、ちょっとした傷や汚れが精度に大きく影響する。
ルビーの宝石はimpulse jewel、escape lever(アンクル)を叩き叩かれる部分。この石が1個あるので機械式時計の石数は奇数が多い。当時の製法ではこの石はシェラックで留められていることが多く、アルコールに長時間漬けるの厳禁。ベンジンならOK。
同じ頃のLongines 9Lあたりの、一般向け時計としては過剰品質とも思える仕上げと比べるとGruenのbalance wheelはとても素朴な仕上げ。Longines 9L vs Gruen 330では、ほぼ同格か330の方が格上のはずなのにな。
balance completeを外すとescape lever(アンクル)にアクセス可能になるのでつついてみる。動きが渋い。ここまでのところで、不動についてはbalance周りは無罪放免か。
ドライバーの先にちょっと見えるレバー状のものがratchet wheelのclick。これを押さえつつ、winding crown(リュウズ)の回転を指の腹で抑制しつつ、spring barrel(香箱)のチャージを開放。spring barrelのチャージが残ったままbridgeを外すと一気にチャージが開放されてきっといろいろよくない。結構頻繁にやってしまうけど。
spring barrel bridgeを外す。巻き上げ時にwinding stem(リュウズの軸)とratchet wheelとをつなぐcrown wheelはこのbridgeに付いている。
spring barrel bridgeの裏側。clickもこのbridgeに付いている。これはよくある設計。
click部分拡大。このclick springが超音波洗浄中に外れて焦るのは時計分解あるあるなので、様子をちゃんと写真に撮っておく。
spring barrel bridgeが外されたムーブメント輪列側。大きな歯車はratchet wheelとその下のspring barrel(と一体のmain wheel)。stem(リュウズ軸)にはまっているwinding pinionとsliding pinion、その右上のsetting lever(オシドリ)解除ピンも見える。
ちなみに、オシドリという和名は形がオシドリに似ているというたわけた由来だが、英語のsetting leverは懐中時計由来。元々は時刻合わせ時に使用者が操作する本当のレバーであった。
ratchet wheelはbarrel arborに嵌ってるだけなのですぐに取れる。ここは主ゼンマイの大きな力がかかる場所で、多くの場合四角の穴でarborと嵌合していて、ratchet wheelの日本語名は角穴車。Gruen 330ではこんな形。
ratchet wheelの下のmain wheel( = spring barrel)。いろいろ汚い。ratchet wheelとmain wheelの間隙にcenter wheel(二番車、分針を駆動)が挟まるのはよくある構造。
center wheel、3rd wheel、4th(small second) wheelを受けるwheel train bridgeを外したところ。右上に330の刻印がある。
Curvexの湾曲のためか、通常であれば4th wheelよりも上にあることの多いcenter wheelが4th wheelの下にあり、この状態ではcenter wheelは抜けてこない。同じ理由でcenter wheelとspring barrelが近く、通常この状態でひっくり返せば落ちてくることの多いspring barrelは落ちてこない。
次に外すのは左上の、escape wheel(ガンギ車)を抑えているbridge。
escape wheel bridge拡大。cap jewelがネジで止められている。先にこれを外してみる。
escape wheel bridgeのcap jewel。石のhole jewel側は凸面ではなくて平面に見える。Hamiltonなんかは凸面で、その方がオイルを保持しやすい、らしい。
cap jewelが外されて見えてきたescape wheel hole jewel bearing。中央の穴にescape wheel pivotの先端が見えている。ここも細く、pivotの太さは0.1mm級か。
escape wheel bridgeを外したところ。wheel train(輪列)を片っ端から外し、その下のescape lever bridgeを外すのが次の手順。
escape leverのbridgeとpallet stones、左下のhole stoneは4th wheel用。pallet stonesは右側がexit stoneで、escape wheel(ガンギ車)はCWに回る。いろいろ汚れている。
escape lever、別名pallet fork、日本語ではアンクル。多くの場合escape leverのbase plate側のstaff(軸)はとても短く、escape leverはplateギリギリで動く。Gruen 330では湾曲のためかplate側のstaffが長い。
balanceのimpulse jewel同様、pallet stonesはシェラックで留められているのでアルコールに長時間つけると石が取れてしまう。
escape leverの仕上げもLongines 9L、あるいはFHF ebaucheのBulova 10ANあたりと比べてもほんと雑、ちょっと悲しい。
balanceの振りの弱いLongines 9Lでhole jewelの欠けを経験したことがあったので、一つ一つチェックする。で、怪しいhole stoneを発見。4th wheelのbase plate 側のhole stoneで、この石の向こう側にsmall second handが着く箇所。small second handの軸径が0.16mmだから、このhole stone自体の外径は1.5mm弱、といったところか。
ちなみに、針が付く軸の径、ここでは0.16mm、は、だいたいメーカーごとに規格化されていて、Gruenの場合は0.16mmが多い
光線の当て方を変えて撮影、やっぱり欠けている。この手の石の交換、私の設備でもやってやれないことはないことはLongines 9Lのhole stone交換で経験済み。でも330のドナーなんていう贅沢なものはないし、Gruen 405のガラから石外して使えるのか?
4th wheelのstaff(軸)をチェック。長く突き出ている部分の根元にさっきの欠けたhole jewelがはまり、軸の先端に秒針が付く。Longines 9Lでは段差の部分が斜めに削られてしまっていたが、一見、問題なさそうに見える。hole stoneの欠けは見なかったことにして組み上げよう。後でbalanceのamplitudeに問題があったらまた悩もう。
ついでに他のwheelのstaffも全部チェック、汚れてるけど問題なさそう。
dial sideに移り、2つのcap jewelを外す。8の字の形をしていてネジ留めされているのがそれ。
keyless workは特に動作に問題もないしバラさずこのままかな。まあstem(リュウズの軸)は抜くかな。こうやってリスクを回避するところ、少しずぶの素人っぽさがなくなってきた。
8の字の大きさもネジの長さも違うので写真でメモ。写真の上がescape wheel用で下がbalance用。
さっきの、輪列側で外から見えやすいcap jewelはきれいなルビー色だったけれど、こっちの文字盤で隠れて見えない2つは透明サファイヤか。こっちの方が安い?
次はspring barrelをバラす。これは上側、ratchet wheelが付いていた側。汚い...。
裏側。円盤状の蓋がはまっている。右端の四角い切り欠きは、クリーニング液の排出口か?
蓋をこじ開けるのに失敗してひしゃげたりするのは嫌なので、この状態で歯の部分を両側から爪で強く下に押し下げ、真ん中のarborに蓋を押し上げてもらって蓋を外す。
無事に安全に蓋が外れた。蓋を勢いよく外してしまって中のスプリングがビヨーンと弾け、その勢いでarborが旅に飛んで行ってしまうのは時計修理あるある。部屋の掃除をしていて、半年ぶりにHamilton 982のmain spring arborと涙の再会を果たしたところだし。
main spring barrelの中身。
Gruenの場合、barrelの内周に一箇所段差が作られていて、スプリングのouter endの外側に小さなスプリングの切片が溶接され、その切片が段差にひっかかって巻き留めになっている。
ちなみに、Longines 9Lあたりではスプリングのouter endの両側に小さなT-endと呼ばれる突起があり、barrelの底と蓋の小さな穴に突起がが嵌合して巻き留めしている。
spring barrel arborの拡大。
main springを摘出。左右の手の爪を使い、バレルの左右両側を交互に押さえるようにやると安全に飛ばさずに外せる。ビニール袋に入れて弾けさせる流派もあるらしい。
main spring摘出完了、巻き留め用切片が溶接されているあたりが折れていた。無事に不動の根本原因が判明してうれしい。
こんなこともあろうかとebayで調達してあった3rdパーティ製のNOSのmain spring登場。
330の修理が無事に完了したら入れる予定のケース。14KGF、14金の金張りケース。
アメリカでは、plated(メッキ)とfilled(金張り)は、金の厚さではなく金属部分に対する金の重さの比率で分けられていたらしい。だから金をあまり使わずにgold filledを謳うには金属の量を減らす、つまり基部材を薄くすればいい。そのノリでこういうCurvexのような深絞りのケースを作るものだから、ちょっと不用意に研磨されてしまうとポコポコと穴が開く。このケースも入手時にはボロボロで、ラグは4箇所全部裏側に穴が開いていたし、case backも2箇所穴あき。上の写真は頑張って無鉛ハンダで補修した後。
もし主ゼンマイ部品を手配できていなかったら、この本見てゼンマイの修理をする羽目になっていた。springの先端を焼き鈍して曲げて、引っ掛かり用の切片を挟んでどうこう、と、難易度高い。
組み立て編も投稿予定。