本音を出してみる試み
今朝目覚めてなんとなく、ああnote書いてみようかなと思ったのでぽちぽちと今書き始めている。
今日書く内容はすこし暗い場面もあると思うので、その点だけは注意してもらえたらいいかなと。
なにから書こうか。
今の私の心境について書こうか。
私は最近ほぼ無の状態で生活している。
特に働いているわけでもないし、日々予定がそんなにあるわけでもない。
ただかわりばえのない毎日が過ぎていくのを眺めている感覚に近い。
どうしてそんな生活をしているのだろう。
一つは、なんだか気力がないからだ。
たのしいと感じることやうれしい気持ちももちろんあるけど、あまり感情が表に出てこない。数年前より感情表現がすこし乏しくなった感覚がある。もしくは自分で心に蓋をしているだけなのかもしれない。
一方でネガティブな感情にはすこし敏感で、脳内では未来への不安や過去の後悔に想いを馳せている。
まあ暇だからやってしまっているのは分かっている。
じゃあなにか趣味でもしてみようか?と思ったが、そういう新しいことをすることさえ億劫なんだ。
なにか分からないけど、ここ二年ほど、うっすらと靄がかかった感じがずっとある。
ここまで書いてみて、きっと理由は過去の出来事にあるなと思った。
なのでここまで読んでなんだか暗いわと思った方はリターンしてもらってかまわない。
私のこれまで過去の出来事にすこし向き合ってみようと思う。
まず今から二年ほど前に完全に精神がおかしくなってしまったときがあった。
病名で言えば統合失調症。
様子がおかしくなって自ら入院を求めて1ヶ月で症状は治まった。
この入院に至るまでは壮絶だった。
まず誰とも連絡を取ることができないぐらい精神が病んだ。
家族とも友人とも音信不通になり、友人はなにかあったのではないかと警察と一緒にかけつけてくれたこともあった。
そしてなによりご飯を食べることすらできなくなった。食べることが幸せの一つだと言っていた人間が食さえも手放したのだ。
結果2日に一回白米だけ食べるみたいな生活をして痩せてしまった。
体力は落ち、今思えばおかしな言動が目立っていた。
そんな生活を2ヶ月ほど続けたある日、急に心臓がばくばくいって呼吸がうまくできない感覚に陥った。
ここで初めて今は私はなにかおかしいと悟り、すぐに救急車を呼んだ。最初救急車を呼ぶことさえも戸惑った。
どうにか助けを呼べて、お昼に救急車に乗って近くの病院で検査をしてもらったが、特に異常はないと言われた。
でも確実に私はおかしいのだと確信はあったので、どうにかして緊急で入院できる精神科の病院に運んでもらった。
病院についた瞬間、途端に意識が朦朧としてきて自分の足で歩くことも難しいぐらいだった。
急性期の症状はいろいろあるが、私はこのときが一番辛かったのではないかと今は思う。
精神科の病院に着いたのは夜だったので、すぐに薬をもらって眠った。
最初は隔離するために部屋に鍵がかけられていたけど、それが妙に落ち着いた感じだった。
そして次の日、目が覚めてみたら、丸2日経っていたようだった。記憶がもう曖昧なところもあるけれど、ぐっすり眠れた感覚もあった。
そうして私の人生初の入院は5日で終わった。
そこの病院の主治医の先生が私は特に問題ないと判断されて5日で出れた。
今思えばそれもおかしい。
処方された薬を渡されて自分でクリニックを探してくださいと言われた。
もちろんそんな余裕はなかった。
もらった薬を飲んでも全然効いてる感じがしないし、なにより日を追うごとに苦しさが襲ってくる。
1日一回と言われた薬を毎食後飲んでしまうぐらいだった。
まだまだ急性期は続いていたのだ。
脳内で知っている人の声が聞こえてその声の指示通りに家の近くを五時間ぐらい徘徊したり、やたらと活動的になったり。
とにかくここから逃げなければと脳内の声に従って行動していた。それしかできなかった。
そしてまた苦しさに耐えかねて救急車を呼び出す日々が始まった。
1ヶ月のうちに何度も呼ぶので救急隊員の方にもとにかく薬を飲んでくださいと言われるだけで呆れられてしまうぐらいだった。
この頃には家族に連れ添ってもらって新しいクリニックに行ったりもしたけど、その薬も合わなくて、薬を飲む方が症状が悪化している感じだった。
失禁してしまったり、眠れずに仕方なく夜中にばくばくしている心臓に気づかれないようにご飯を食べたり。
そうして一回目の入院から約1ヶ月経って新たに違う病院で再入院することができた。
そこで出された薬が奇跡的に私に合ってようやく落ち着いた。
入院中も取り乱して泣いてしまうことがあったが、他の入院患者さんに助けてもらったりしてすぐに回復していった。
予定していた3ヶ月の医療保護入院から1ヶ月で退院することができた。
あのときの主治医の先生、看護師さん、その他スタッフの方にはありがとうを伝えたい。
退院してからもしばらくは病院に通い、様子を見てもらった。
今もその時の薬を飲んでいる。
なんと過去を振り返ってみたら、けっこうな文量になってしまった。
ほんとにあのとき迷惑だったかもしれないけど、救急車を呼べた自分には拍手を送りたいと思う。
もう少し我慢していたら、脳内によぎっていた声に従って自分で自分の首を切っていたかもしれなかった。
ほんとに大変だった。あれからまだ二年も経っていないと思うと、長かったような短かったような。不思議な感覚になる。
だから"今"たとえ、現状が変わらなくても、現状維持がしたいと思っていても、なにも変なことはないんだなと、書いていて思った。ああ泣きそうだ。はは、泣いてしまった。
ずっとどこかで苦しかったのだ。
特になにもしていない自分がただ毎日ぼーっと生きることが、許されないと思っていたし、もう私は大丈夫だと過信して前に進もうとしていた。
でも全然大丈夫じゃないし、全然辛かった。
今も辛いのはまだ残っている。
その事を受け入れるときが今日だったんだ。
内側を癒すターンがまだ続いているだけなのかもしれない。これはこの間コーチングで言われたことだ。
それがいつまで続くか分からないけど、自分を置いてきぼりにせず、一歩一歩この私と歩んでいきたい。
そしていつかこのときの全部苦しかった思い出たちが昇華されて、「あんなときもあったね」「今生きられてるだけで奇跡だね」と大切な人たちと胸を張って生きられたら、私はその時初めて心からの笑顔で話せる気がしている。
それまで待っててね。
それまで生きるね。
今日もひたすら長い夏休みような無の時間を私は泳ぐ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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