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幸せ運人ヒデラキのラッキーシンキング⑨

⑨み~んな非常識。わたしは異常識でいきまーす!

あなたが『非常識な人』と言われたり、人のことを『非常識な人』だと思った瞬間、つまらない線引きに囚われてることになります。
だって本当は世の中の全員、常識はバラバラ。『常識』と『非常識』の線引きなんてしたところで意味がないと思うのです。

他人を見ては「非常識だ!」「へ〜んなの!」と言ってみたり、「フツーはこうでしょ!」なんて言ってみたりしている人はたくさんいますね。
けれど例えば、日本人の『普通』とフランス人の『普通』なんて限りなく違う。
私たち日本人は「ちゃんとお茶碗を持って食べなさい!」と躾けられて育ちましたが、もしフランスの一流レストランで、ライスの入ったお皿を持って食べたら、かなりおかしな人として見られるでしょう。家の中に入る時だって、日本人は普通靴を脱ぐけれど、欧米人は土足です。
同じ日本の中でも『普通』の違いは色々あります。例えば、私は京都で肉じゃがを食べれば牛肉が入ってるのが『普通』だと思ってましたが、関東では豚肉が『普通』なんですよね。
だから、生まれ育った国、都道府県、地域、家によって、食事の習慣から冠婚葬祭の常識、文化の捉え方、日々の生活習慣、、、全てが違っているわけだから、何が『常識』なのかなんて、何を基準で決まるんだろうと思うわけです。

世の中は全てが『非常識』であり『常識』でもあるのです。
つまりは、非常識な人も常識的な人も無いのだということ。そんなことはどうでもいいのです。

『非常識な人』とか『変わった人』と言われ続けた人が、世間があっと驚く結果を出すことがあります。そして結果を出せば 
「あの人はそこらの人とは違っていた。そこがスゴイところだった!」
と人々が賞賛することになるのです。
逆に、常識的で誰もが好感を持つような人が結果を出せば
「あの人は、誰よりも常識的でいい人だから、誰からも好かれて上手くいったのよね。」と称賛され、その常識的なところが個性としてクローズアップされるのです。
ということは、結果さえ出れば、変人も常識人もクローズアップされた部分が 『人と違う(異なる)個性』と言われるのです。
         
これからは『異常識』でいくか!

*このコラム集は、風乃がヒデラキにインタビューし、出来るだけ彼の言葉を用いて書いています。


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風乃音羽 Kazeno Otoha
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