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東京の中のフランス

夏休みがようやく終わった。
「ようやく」と書くといやな感じなのだが、都内にある私の住んでいる地域のお気に入りのお店たちが夏の間に長期休暇に入っていたのだ。
お盆休を含めて月の半分を閉めてしまうお店も、盛夏の8月をまるっと休みにしているお店もある。心のオアシスであり、日課のカフェ通いもお店の変更を余儀なくされることになる。ぎゅっと詰まった香り高い小麦粉のリーンなフランスパンもしばらくは食べられなくなったりするのだ。
頭を空っぽにしたり、気が向いたら本を読むときにカフェに行く習慣のある私にとっては、閉じているお店が多いことは不便を伴うのだ。

しかし、私はこの地域の働き方をとても気に入っている。
夏にバカンスに入っていくこの街は個人商店がほとんどで、各々のオーナーがそれぞれの個性を活かしながら仕事をしている。
飲食店を始め、インテリアショップが日本で一番密集しているこの地域では、店頭と厨房または工房をオーナーがひとりで切り盛りしている場合もある。そのためサービスがマニュアル化され、どの地域でもだいたい均一に提供できる大手のお店とは営業スタイルが異なる。いつ、どこの店舗でも、同じサービスを受けられることに慣れている人々にとっては、店舗に足を踏みれても店員が存在しないから挨拶もない、ということに不満を感じやすいようで、Googleの口コミなどではネガティブな評価が散見される。
「今日はこの時間までに、これをどうしても買わなければならない」という遠方からの来客にも、この街の買い物スタイルは時に客側に不便を強いてしまうだろう。口コミには「このお店には2度と行きません」と書かれているが、オーナーたちは必要以上に謝罪することはない。
私がこの街で最も気に入っているのが、お店側だけが常に客にリスペクトするスタイルではなく、客もお店に対してリスペクトする時にはじめて気持ちよく買い物ができるスタイルを貫いていることにある。

時々訪れる人にとっては最悪だったとしても、近隣の住民にとってはなくなると困る愛すべきお店であることは多々ある。地域のオーナーさんたちは連携しており、近隣住民のためにいろんな企画をしてくれたりもしている。
即座に対応してもらえないかもしれないけれども、待っていれば気がついて、すみません、と口にしながらお店の奥から恥ずかしそうに出てきてくれる。(職人萌えの人は萌えられると思う)
「また来ますね」と言えるのがご近所の強みでもあるので、店員さんが忙しい場合は仕切り直すことを近所の人たちは厭わない。客とお店の互いの協力があって成り立っている街なのだ。
もちろん、いくつもの条件が成り立つような、東京でも一部の地域になるのだろうとは思うけど、仕事ってこうあるべきだよね、といつも思っている。

とある芸能人のかたが、仕事の我慢料金が給料だと言ったらしい。
ある面ではそれは本当なのだろうと感じるが、仕事というものがすべて我慢の上に成り立つことは方向としては最悪の事態だと思うのだ。そんなことをあたりまえにしてはいけない。
サービスを提供する側だって人間なのだ。彼らが気持ちよく働いてくれる環境でなければ、気持ちよくサービス提供してもらえない。でも実際には、日本のどこにいてもだいたい均一なサービスが提供されている。それは誰かが何かを我慢をしたり、犠牲にしたりしてサービス提供を可能にしているということだ。そうした視点を日本ではほとんど指摘されないことが、私はずっと気になっていた。
いつだってニコニコなんて無理でしょう、人なんだもの。
仕事をしている中で我慢することは絶対に出てくる。しかし、仕事=我慢だというのは誰も幸せになれない発想だといって過言はないはずだ。そもそも、仕事とは人のために時間を使い、時には感謝されることのあるハッピーなもののはずだ。

そんなことを友人の画家と話していたら、パリがそうだったなあと教えてくれた。あの都市は、大きな大きな個人商店街だったよ、でも、人の働き方って本来そうであるべきでしょう?と。

画家「ところで、1ヶ月もお店を閉めててどうやって生活しているんだろうね?」

うん、それ、私も不思議に思ってる。


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