シリーズ「誰かやって」3:故人の想い出サーバー
前の「音楽スタジオのある老人ホーム」に関連して高齢者関係をもうひとつ。これの原型的なサービスをどこかの会社がやっているのをわりと最近見つけたのだが、このアイデア自体はずいぶん前から持っているので一応出しておく。
「人間は二度死にます。まず死んだ時。それから忘れられた時。」
永六輔さんの名言である。物理的存在としての死と、精神的存在としての死ということか。
とはいえ、人は誰しも、生きている間に何かしらの活動歴を残していく。まったく何も残さない人なんていないんじゃないだろうか。どんな小さなことだったとしても。
家族をなくした人にとって、故人の想い出の品は大事なものだけれども、同時に扱いに困るものでもある。写真や愛用の品だけでもおそらく結構な量のはずだ。さらにコレクションの趣味があったり創作活動をしていたりすると、簡単に捨てるのも気が引ける。
とはいえ、たとえ本人や生前の友人たちから「残しておいてほしい」と言われたとしても、置いておくスペースや管理の手間の問題がある。家族の生活が変わることもあるだろうし、友人たちもいつまで思い出を偲びに来てくれるか分からない。○○記念館的な場所に展示する人もテレビでは見かけるが、それもいつまで続けられることか。誰も見なくなったものを永遠に取っておくことは、きっとできない。
で、こんなものがあればいいよね、とうちで言っていたのが「故人の思い出サーバー」だ。
故人が生前に希望したものや遺族が記録に残しておきたいものを、デジタルの形、スキャンするなり音声データにするなりして、それをスライドショーか映像にまとめて一定期間サーバーにアップしておき、その場所を知る人だけが見られるような形にしておく。
生前に作成したならエンドノートに記載しておき、告別式でお渡しする会葬御礼にURLかQRコードの形で付けてもいい。遺族が作成したなら後から御礼状を送付するときに付けたり、故人のSNSに載せられるなら載せてもいいだろう。受け取った人はそこにアクセスし、映像を見ながら故人を偲ぶ。
オーナー自身も、整理のついていないまま周囲に丸投げして行くのではなく、終活の一環として自身の足跡を振り返りながらコンパクトにまとめていって、信頼できる仲間に託すなりその筋の専門業者に買い取ってもらうなりして、次の持ち主へと回していく方が、これからの時代は安心なんじゃなかろうか。
わりと最近見た話では、亡くなったコレクターの家に仲間と称する人々が押しかけて、貴重なコレクションを持ち去るということも起きているらしい。それはいろんな意味で非常にもったいない話だし、何より故人が浮かばれない。
何をどのくらい残すか、いつまで残すかなど、データ作成の過程でいろいろもめるのだろうが、死後に親族間でもめるよりも生前になんとかいい形でまとめておいた方がいいのは、遺産と同じかもしれないと思っている。
最近は終活のサポートをする葬儀会社もある。そういうところがネット関連企業と組んでオプションのサービスでやってくれるのがいいんじゃないかと思うのだが、どうだろう。