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気づいたらモロッコ留学が終わった

こんにちはさちです。
せっかくモロッコ留学とかいうニッチなことをしてるんだから色々発信しなきゃなと思っていたのですが、思っていただけで、気づいたらモロッコ留学が終わってしまいました。

いつものように、先を見れば長く、振り返ればあっという間な生活でした。

ということでこの記事では2023年9月から2024年1月末までのモロッコ留学の振り返りをしていけたらと思います。


9月~新生活、色々大変だった~

こちらのnoteで書いた通り、スタートは躓きまくりの大変なものでした。

琴子のおかげでどうにかなったとしか言いようがありません

滞在先の情報

私は昨年度夏にもモロッコに渡航しており、その際に使用したホームステイ斡旋会社の人とWhatsAppを交換していたので、今回もそれを使用しました。

私の住んでいたところはHassanと呼ばれる地区で、ラバトの中心にあるところでした。Hassan tour(ハッサン塔)が見れるところです。
トラムも近くスーパーも近く、すごく良い立地でした。

これがハッサン塔

ホームステイとして孫がいる少し高齢のMAMA、BABA(パパ)のもとで暮らしていました。MAMA、BABA、私、アメリカからの留学生イーデンの4人暮らしが始まりました。

全然始まらない授業

9月11日から始まると言われた授業ですが、始まりませんでした。
「9月18日からだよ」とか言われて1週間遅れで通学開始。

通っていたキャンパスの入り口

まず学校に行きます。琴子もついてきてくれました。
クラスメイトが教室にいたので、一緒座って待つこと30分…。

「30分経った!先生来ないから今日は授業ないよ!バイバイ!」

とクラスメイトに言われ、帰路に就く。

ありえないことにこれを2週間続けました。

そう、10月に入ってからやっと授業が始まったのです。

日本人の友達に会ったよ

偶然にも私と同時期に語学留学でラバトに滞在しはじめたSちゃんという子がいました。
日本のお世話になっている先生からの紹介で、事前に連絡先を交換していて、現地で初めて会いました!
異国の地、道を歩けば「ニーハオ!」「チャイナァ!」と叫ばれる心細い環境で、母語で自由に話せるのは素晴らしい。

Sちゃんのおかげでモロッコ生活を生き抜けたと言っても過言ではありません。ありがとう、Sちゃん…。

初対面で一緒に行ったウダヤ

10月~中だるみというかなんというか~

マジで授業がわからない

やっとこさ授業が始まりました。M5大の授業は1コマ2時間。
私は歴史・文明学科というところに所属していて、時間割が決められていました。

クラスに入るとモロッコ人しかいない。留学生なんて一人もいないんですね。
そして授業が開始されるも、正則アラビア語(フスハー)、ダリジャ(モロッコ方言アラビア語)、フランス語が入り乱れた言葉で話す先生。聞き取りも難しく、板書の文字も読み取れません。

ただ2時間座ってるだけみたいな感じでしたね。きつかったです。

でも、クラスメイトはすごく優しくて、ダリジャをそもそも聞き取れないから返事も出来ないような日本人ガールに話しかけてくれたり、色々情報を共有してくれました。ありがとうみんな。

風邪ひいて1週間寝込んだ

私は扁桃腺が人より大きいぽくて、喉が痛くなるけどあまり熱は出ない風邪を3,4か月に1回引きます。
それになりまして、しかも今回は微熱(最高37.5)にもなって、1週間続いてだるかったです。

時間を持て余していた

「結局言語って暗記じゃね?」という極論を掲げていたため語学学校などには通っておらず、授業以外はすごく時間を持て余していました。
授業も理解できないし、休んでも怒られないし、と怠惰な日々が続いていましたね。

ネットで拾ったダリジャの教科書を使いながら独学で頑張ってはいたものの、あまり身には着いていませんでした。

琴子とかSちゃんとか、遊ぶ相手がいたのが救いでした。

暇すぎて週3で通ってた庭園

友達が作れない

モロッコ人(というか外国人)はLINEのようなコミュニケーションアプリ、WhatsAppを使います。
私はこれの返信をするのがすっっごく苦手で、会話のキャッチボールが続かず、友達が全く作れませんでした。

ほんとに、3人くらいしかモロッコの友達を作ることができませんでした。

11月~旅した~

在ラバト日本人学生で集まった

研究でラバトに滞在されているという博士後期課程のWさんと出会いました。Sちゃんの紹介で。
大学院や研究においての色々な話を聞くことができて、「今度私の家で日本料理食べませんか?」というお誘いもしていただき、2カ月ぶりに日本食を食べることができました。
Sちゃんと3人で手巻き寿司をしたのですがとても幸せでした。Wさんありがとうございました。

ラバト市内にこもり続けていた

ここまでラバト外に出たことがありませんでした。
モロッコと言えばカサブランカとか、マラケシュとか、色々観光地はあるんですけど、ずっとラバトにこもっていました。

そんな状況を打開してくれたのが高校同期です。

日本から友達が来てくれた

「せっかくさちがモロッコいるならモロッコ行ってみたいと思って!」
といわれ日本から友人が来てくれました。

マラケシュ、ワルザザード、メルズーガ、フェズ、シェフシャウエン、タンジェ、そこからジブラルタル海峡を渡ってスペインへ行くという工程です。
モロッコ8日間でこの旅を決行し、なかなか大変でした。
が、モロッコ国内を回れたことがすごく良い経験になりました。

あと、観光地で少しでもアラビア語が話せるとめちゃくちゃ喜ばれます。それもあってかどこに行ってもみんな優しくしてくれました。

サハラ砂漠でラクダ乗ったよ

モロッコ国外へ!スペインの旅

モロッコを一周した後、船でジブラルタル海峡を渡ってスペインへ行きました。

東京外大マスコットキャラクター「トビタくん」とジブラルタル海峡

正直生活水準の差が違い過ぎて「これがヨーロッパか…」と圧倒されました。
あとモロッコでは全く見ない飲酒者、豚肉がそこら中にあるのがびっくりしました。
スペイン人、昼間から外でビールを片手に和気あいあいとしてるのでビビりました。

スペインは全く英語が通じなくて、「ドーナツ」すら伝わらず泣きそうになりました。

留学中の2人の友人と会うことができ、彼女らが難なくスペイン語で応対しているのを見て、すごいなと感銘を受けたし、自分も頑張らなくては…と強く感じました。

コルドバ、セビージャ、グラナダへ行きました。
友人が街案内してくれたのもあってかセビージャが最高でした。

セビージャ大学に留学しているMちゃんが街に着いたその夜に日本食レストランへ連れて行ってくれて、久しぶりの枝豆、餃子などなどに涙を流しました。

もうね、すっごいおいしかった
エビフライ、最高

あとはチュロスの概念が変わりました。ディズニーランドのチュロスが「チュロス」だと思っていたのですが、すっごく太いチュロスにホットチョコレートを付けて食べるとかいうスペインのチュロス、最高でした。

いやー、スペインとかフランスとかってめちゃくちゃ留学しやすそうだなあって思いました。
街歩いてても「チャイナ!」とか言われたりジロジロ見られたりしないし、お金さえあれば日本食も食べれるし、いいですね…。

帰宅。ステイ先の居心地がよすぎる

モロッコ旅とスペイン旅合わせて2週間くらい家を空けていました。疲労だったり慣れない土地だったりでかなりステイ先に帰りたいなという気持ちが強かったのですが、帰宅時もMAMAとBABAが本当にあたたかく迎え入れてくれて、とても嬉しかったです。

12月~終わりが迫っている、語学学校に通った~

語学学校に通う決意

旅が終わってすぐに12月に入りました。このまま怠惰に過ごすよりも何か身につけて帰りたいなと思ったとき、ダリジャの習得を目指すことにしました。

モロッコ方言アラビア語-ダリジャーは、フランス語やスペイン語の語彙が入ってきていたり、モロッコで話されているアマジグ語の影響を強く受けていたりとで、フスハーと大きく異なるので有名です。

シリアやヨルダンといった湾岸地域のアラビア語話者が聞いても理解できない、というのがよく言われていることです。

その一番の特徴は、子音連続にあると思います。
日本語ではあまりなじみのないものなので、めちゃくちゃ発音が難しいです。

独学じゃ限界があると思った私は、語学学校の扉を叩くのでした。

ダリジャをわざわざ語学学校で習いたいなんて人は少ない(普通はフスハーやフランス語を習いに来る)ので、先生と1対1で平日毎日2時間の授業が始まりました。

マンツーマン指導、先生の指導がとてもよく、みるみるうちに話せるようになっていきました。
shkran bzaf! ustaz mohamed!

セメスター、終了

12月下旬からテスト期間に入るため、あっという間に授業が終わってしまいました。
クラスメイトのみんなにお礼の日本からのお土産を渡して、記念写真を撮ってお別れしました。
またいつか、どこかで会えたらいいなと思います。

フェズ旅行に行ったよ

週2ペースで会って仲良くなったSちゃんとフェズへ旅行に行きました。
フェズはラバトから電車で4時間くらいの場所にあるところです。

壁の落書き。顔色の悪いミッキー。

帰りの電車のチケットが売り切れていて4時間駅で待ったことがすごくショックでした。

在ラバト日本人学生の集い、二回目!

11月に引き続き再びラバトに住む日本人学生の集まりがありました。
今回は新たにラバト国際大学(UIR)に留学しているUちゃんも参戦し、カレーを食べました。おいしかった!

年越し

23年間いままでずっと実家で年末年始を過ごしていたので、すごく不思議な気分でした。
イスラームにとって西暦の新年は大して重要ではないので1月2日から通常運転ではあったものの、MAMAがモロッコ式バーベキューを家でしてくれて、楽しく年明けを待ちました。

ごちそう。おいしかった

1月~最終月、怒涛のイベント~

トビタテモロッコ旅行に行ったよ

同じくモロッコに留学しているトビタテ生、Mくんの呼びかけで、トビタテ生のモロッコ旅行が実現しました!!

モロッコ留学中のトビタテ生3人と、ヨーロッパに留学中のトビタテ生合わせて12人での旅でした。

マラケシュから砂漠へ行く行程でした。

それぞれが多彩な専門・関心を持っていて、何を話していてもすごく楽しく、刺激になりました。

朝ごはん

書き初め大会に参加!

M5大で開かれた、日本語教室の書き初めイベントに参加してきました。参加するモロッコ人学生たちはみんな日本語を学んでいる人たちで、それぞれが学んだ漢字や目標となる熟語などを書いていました。

語学学校、終了!

1ヵ月とちょっと通ったダリジャの語学学校が終了しました。
短期間ではあったものの、街の人と会話できる程度には成長することができてすごく価値のある勉強だったなと思いました。

これからも続けていきたいですね。

修了証!

アマジグの新年イベントへ。テレビに出演!

1月14日はアマジグにとっての新年です。
今年から祝日になったようで、アマジグたちはすごく喜んでいました。
王立アマジグ研究センターで開かれた新年パーティーに、ダリジャの先生の誘いで行きました。
周りがみんなアマジグ人の中、日本人は私と一緒に来たWさんだけだったのですごく注目され、テレビの取材を受けることになりました。
全国で私が放送されました。いぇい。

アマジグの伝統舞踊を見た

フェズ刺繍を始めた!

フェズという都市の女性による伝統工芸品、フェズ刺繍を習い始めました。
フェズ刺繍は裏表同じデザインになるのが特徴で、その複雑さ、デザインのきれいさに惹かれ始めました。

これはレッスン1

母親、来る!

帰国2週間前に、母親が日本から来てくれました。
1週間の旅でカサブランカ、フェズ、シェフシャウエン、ラバトを回りました。

私の見慣れた光景が母にとってはすべて新鮮で、色々な気づきを与えてくれました。
ダリジャの学習成果も発揮でき、様々な場面でダリジャを使って母親を案内することができました。

また、ホストファミリーとも一緒に食事をすることができて良かったです。

在ラバト日本人学生の会、3回目!

今回はUIRの留学生Uちゃんの友達のKちゃんも参加し、5人でワイワイと楽しい時を過ごしました。

唐揚げを食べて、色々な話をして、最後に「小さな恋の歌」をWさんがギターで弾いてくれ、みんなで歌いました。
出身も大学もみんな違くて、偶然同じ時期に日本から遠く離れた同じ都市に滞在している5人の出会いは、すごくかけがえのないものだなと思いました。

モロッコ留学終了!涙の別れ

そんなこんなでたくさんの経験や思い出が出来た中、お別れの時がやってきました。

最終日前日にはフェズ刺繡の先生にお礼を言いに行き、
最終日はSちゃんとメディナ(旧市街)を歩きました。

MAMAとBABAはとても良い人たちで「あなたは私たちの子どもみたいなものだし、ここはあなたのモロッコの家よ。いつでも帰ってきていいからね」と言ってくれました。
フェズ刺繍のティーマットをプレゼントしてくれ、MAMAと二人で号泣。

朝4時出発という早い時間でしたが、MAMAもBABAもイーデンも起きてきてくれて、涙の別れとなりました。

モロッコで出会った日本人のみんな、琴子、モロッコで出来た友達、語学学校の先生、ステイ先の家族、たくさんの出会いがあり、たくさんのものを得た留学でした。

この経験はとても大きな価値を持っていて、これからの人生の支えになっていくんだろうなと思います。

おしまい

ここまで読んでいただきありがとうございました。
1月31日にモロッコを出て、今はセネガルで生活をしています。

また異なった環境で、色々な出来事がありますが3月末まで、元気に、楽しくやっていこうと思います。

それでは!

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