両親のケンカ
もうひとつのこと。…それは両親のケンカ。
私が幼少時、両親の記憶にケンカがある。
一度は 母が荷造りした事もあった気がする。
それが私達 姉弟は心配でたまらなかったと思う。
私達は姉が言い出したのか忘れたけれど、両親のケンカをテレビ番組風に実況していた。(なんて子供だと思いますが💧)
「あ、今 父さんが反撃しました! おっと 母さんも負けてません!」…とか何とか、二人のケンカを見ながら 姉と?ふざけていたのです😢何という…
でもそれは多分、もの凄い不安の表れ。怖かったのです、とても…😢その時の見捨てられ不安が 私の被害者体質を作ったのだろうと感じている。
モラハラについて調べてから知ったのですが、両親のケンカを見て不安を覚えた子供は、ピエロを演じて笑いを誘おうとしたり(多分 この実況の真似事がそうだと思う😔)他にもタイプがいくつかあったけれど、忘れてしまった💧何とか場の空気を和ませようとするらしい。多分、それがこの事なのだと思います。
私は幼少時を振り返る時、両親のケンカは どうしても外せない。それから自分が父から怒られて、外に放り出され 戸を叩きながらワンワン大泣きしているシーン。(雨が降っていた記憶もある)
余りにも泣きじゃくり過ぎて、横隔膜がヒックヒックして止めようにも止まらない、という記憶がある。
大泣きしてる記憶は本当にいくつかあって、私は多分、この頃は自分の気持ちを抑えず出していたと思うので、やっぱり強気で父に向かって生意気な事を言ってたんだろうと推測している。
母はそんな私を心配して何度も探しに来てくれた。 父に探して貰った記憶はない。
父から言われた記憶は、お前は橋の下から拾って来たからウチの子ではない、という言葉だ。
この言葉はよく聞くけれど、何故昔の人は子供にこんな言葉を投げかけるのか解らない。言われた当人はどんなに辛い事だろう。
そんな父なので、しょっちゅう母とぶつかっていた。父は祖母の影響を大きく受けていると思う。
母自身からも聞いたし、最近姉からも 当時 母が祖母から虐められていたのを知ってる、と聞いたけれど(私はよく憶えていない) 母も私の父方の祖母から結構な目に遭わされていたらしい。
今よく言われる、父もマザコンだったと思う。
最近すっかり年老いた父は、少し痴呆気味なのに 自分が幼少期だった頃の話を私が振ると、目を生き生きと輝かせ、饒舌に話し始めた。祖母の事を聞くと、とたんに「もの凄く厳しかったけど、いい母さんやった」みたいに楽しそうに話していた。
母から聞いた話では、凄く厳しく怖い母親だったらしいけれど。私は普通はおとなしめなので祖母からは好かれていたらしい。姉の方は勝気だったので そうでもなかったらしい。
母から聞いた話では、姉は祖母から突き飛ばされた事があるらしい。怖い…💦
そんな祖母に育てられた父なので、子供の頃は自我を出せなくて、やっぱりモラハラの傾向があるのだと思う。母は既に亡くなってしまい、実家は父と弟の二人で今は暮らしている。
私は被害者体質になったけれど、弟は父とコミュニケーションが取れなくなっていた。
私の実家も楽しい家族、とは言えなかった。父が仕事に行ってる時は平和だったけど、いきなりキレ出したりするので父が居る時は緊張していた。
弟は父の事を嫌っていた。年齢も母より4つ父の方が年上なので、先に逝くのは父の方だと思っていた私たちは、病気で 母の方が先に逝ってしまったので狼狽えた。母に先立たれ、実家は火のない様になってしまった。
夫の実家は父親のほう(義父)。もう亡くなってしまったけど、この人が相当恐かったらしい。
昭和時代は父親が厳しいのが当たり前の様な感じだった。戦争もあったし、男の子は親から厳しく育てられるのが当然だったのだろうか。余りに厳しすぎると、子供が伸び伸び成長出来なくなってしまう。そして現在、その時代の厳しい子育ての弊害がモラハラ(自己愛性人格障害)として現れているのだと思う。私の一存ですが…
私は、夫と私の父(と義父)は、自己愛性人格障害だと思っている。二人共に やる事や考え方がコピーなのか?と思う位よく似ている😭
幼少期の育て方は本当に大切だと、今つくづく実感している。