『努力』という言葉が嫌いな理由
力が2つも付いちゃってて何だか力んでる感じが嫌い。
って事でもなくてですね、『努力』=『可視化出来る動き』みたいな使い方が理論的に嫌いなのですよ。
例えば毎朝欠かさずランニングをする、毎日英語の勉強をする、などでも良いのですが、私など何も努力をしていないように見えても(実際のほほんと日々の生活を過ごしていると思われがち)、
『眠っている時間以外は脳内がフルマラソン並みにフル回転してます!!』 ←マジです!
なのに、先に書いた『可視化出来る動き』以外は努力にカウントされず。
一生懸命に動いていると『努力している』
(脳内が)一生懸命に動いていてもゴロ寝していたら『努力していない』
この判定に不満だらけ。
なので私は普段から『努力』という言葉は使わないようになってしまいました。(いつの頃からかもわからないくらい何十年も前からだと思う、子供の教育にも使った事がない筈)
頭ん中がスケルトンで見えるといいのになあ、誰よりも負けないくらい色々色々考えているのにぃ・・・
次回のテーマは 頑張ってと言わない理由
を書く予定です
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