私がしたかったこと
noteを書こうと思ったのは、何かを表現したいと思ったから。
仕事を休職し、転職を考え始めた頃に「私のやりたいことって何なのだろうか」とものすごく悩んだ。
1番のきっかけはある本を読んだことだと思う。何となくこれだと思う本の題名は浮かんでいるが、確証がないので書くのは控えることにする。
その本には「やりたいことは幼い頃の夢に共通している点がある」と書いてあった。
幼い頃の夢、なんだっただろうか。アルバムをめくるように記憶をひとつずつ引っ張りだすように思い出すことにした。
その1「幼少期の夢」
始まりを考えると、小学生の頃だった。
同年代の女優さんがテレビドラマの主演を努めていたのを見てなぜか「私にもできるのではないか」と思ってしまったのが始まりだと思う。
今思うと不思議だけれど、彼女を見た瞬間に「悔しい」と思ってしまった。
それからオーディションを受けたりしたけれど、どうしても親の許可が降りなかった。未成年であることがこんなに恨めしいと思ったことはなかった。
死ぬほど悔しかった。未成年であることがこんなにも悔しくてたまらなくて、一晩泣き明かして、こんなにも絶望したのは後にも先にもこの時だけだと思う。
その後もオーディションを受けたりしたけれど、最後に立ちはだかる「親の許可」という大きな壁を乗り越えることができなかった。
その2「給食の話」
これも小学生の時の話。それも小学1年生のときの話。
私の小学校は自校給食といって、給食センターから配給されるのではなく学校に給食室があり毎日栄養士さんたちが懇切丁寧に本当においしい給食を作ってくれていた。
赴任してきた先生たちが「給食を楽しみにしてきました」と6年間のうちに何度も聞いたほどだった。
お昼の時間が近づくと給食室の方からいい匂いが漂ってきて数えきれないほど食欲を刺激された。口に運ぶのをとまどうほど熱々の汁物が自分の前に届くことが幸せだということはこのときに教えてもらった。
よくある「栄養士さんに感謝のお手紙(作文)」を書こうという授業だったと思う。
私は苦手なピーマンを食べられたことについて作文を書き提出した。いつも通りに書いたつもりだったが、学年だかクラスの代表作文に選ばれて給食の時間にある放送で読み上げることになった。
先生に代表になったことを告げられたときは、妙に恥ずかしかったけどとてつもなく嬉しかったことを覚えている。先生にも親にもたくさん褒められた。
きっと人生で自分の文章を初めて褒められて、嬉しかったときだと思う。
その3「大人に認められること」
これは大学生のとき。どの授業だったか忘れたがとりあえず、新聞記事を読んだり映像を見て、その感想を簡易的なA4の感想用紙に文章を書くだけの授業だった。
簡単そうな授業にみえて実は少し違う。
担当の先生は毎回、生徒に発表をさせるのが好きで広い講義質でマイクを持ちながら歩きまわり、前回の授業で提出された感想文の中から良いと思った生徒のものを読み上げさせるのだ。
私も何度も先生に指名され読み上げ、最終的には名前を覚えてもらえるほどだった。
大きな講義室で自分の書いた文章をマイクで読み上げるのは死ぬほど恥ずかしかったが、どこか少しでも自分のことを認められた感じがして嬉しかった。
今思えば、ずっと文章を書いていた気がする。
学校の授業だけでなく他にもずっと。
中学校の時は、部活ノートをつけていたし友達とくだらない交換ノートも書いていた。
高校の時も推しのことについて、長い短いに関わらずほぼ毎日ブログを書いていた。
大学のときはTwitterが主流にあるなかでも、手書きの日記を書くのが好きだった。
いつだって文章を書くという行為が私の側にいたのかもしれない。
たくさん読むとたくさん書きたくなる。
感じたことを文章に起こすとなんだかスッキリする。
もっと嬉しいのは、私の書いた文章を読み好きだともっと読みたいと思ってくれている人が一人でもいてくれること。
幼い頃と同じで、褒められて好きだといわれて嬉しくてもっと書きたいと思う。
もっともっと書きたい、時間も、頭も足りない。
もっと上手く時間をつかうようにして沢山書きたい。
自分のために書いて、あわよくば私の文章を好きだと思ってくれる人が増えたらいいな。
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