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コテンと眠るイモづる読書【その129】・・中国歴史小説の読み方 その1・・・反省して・・・変えてみた
宮城谷『管仲』(上下)を読了。年末に上下巻入手して約ニヶ月で読了しました。
今回、『管仲』を読みはじめるにあたって、いままで反省をふまえました。
以前読了した宮城谷『重耳』の主要部分は、管仲死後で、重なる部分としては、重耳は菅仲の死を知って、菅仲の跡をついで斉の重職につけるとの思惑で斉を訪れています。それくらい接近した両者ですが、読む順番として、管仲のあとに重耳のほうがよかった気がしています。
『孟嘗君』と『子産』はさておき、宮城谷『大公望』があとになったり、『伊尹(天空の舟(小説 伊手伝)』が手付かず(kindle Unlimitedをまちつづけ)、1巻だけUnlimitedだったので『劉邦』を読んでしまったり・・・
さらにアマゾン プライム ビデオで『大奏賦』(全78話)も・・・こちらは「一日に一話以上観ない」「毎日観ることもない」を忠実に守ったので、観了までに長く、三ヶ月以上かかりました。これもほぼ同時に観了しました。
このような状況が生まれたのは、kindlUnlimited優先とプライム ビデオが原因です【うん、ほんまやで】
これが反省の第一。
反省の第二は、合間を縫って、陳舜臣『中国の歴史』を読んでいるのですが、小説でない分早く進み、『管仲』を読もうとしたときには、春秋戦国時代を通りこして奏の始皇帝まで進んでいました。
このことは、アマゾン プライム ビデオでの『大奏賦』には役立ったのですが・・・
このように読書が連動せず、大混乱にいたったわけです。
そこで『管仲』を入手してから、もう一度、陳舜臣『中国の歴史』を第一巻から読み直し(もちろん、コテンと眠る時間だけ)・・・『中国の歴史』のようなノン・フィクション系は、たいてい「コテンと眠れる!」【うん、ほんまやで】
前回読んだときは、まだ『大公望』を読んでいなかった・・・今回は『大公望』を読んだあとだったので、よくわからなかった「周」の黎明期がよくわかり、おもしろいといったおまけまでついてきました。
さて、『中国の歴史』をどこまで読んで、『管仲』に移るか・・・結局いろいろ迷いましたが、管仲が亡くなるところまで読んで『管仲』に移りました。
宮城谷作品が気に入っている理由のひとつは、フィクションとノン・フィクションのいったりきたりで、「史記」ではとか「春秋左氏伝」でとか「孔子」はとか底本や資料を具体的に引き合いに出して・・・なんかいっしょに執筆しているような楽しさがあります。
もちろん『中国の歴史』では出典がはっきりしているノン・フィクションですから読んでから読むと役に立ちました・・・でよかったことの一例
「会盟」がよくでてきます。近年は「ちかい」は「誓い」と書きますが、これは「言葉でチカう」ことだそうです。
春秋戦国時代あたりの「ちかい」は、「盟い」で、漢字の下部の「皿」は、本来は「血」だそうで、生け贄の血を啜ってチカイの証(あかし)としたそうです。
そういえば、日本の時代劇でも「血の血判状」や酒に血を一滴づつ垂らして回し飲み・・・なんてシーンがあります。
もし、『中国の歴史』を読んでなくて、「会盟」のシーンに出会っても、「ああ、集まったのね」で・・・次にいこうとなったでしょう。読んでからでよかった【うん、ほんまやで】
また前述したように、宮城谷昌光の著書には出典先がでてきます。それらを比較して・・・なんて・・・ノン・フィクションとフィクションの混合ダブルスで歴史好きにはたまりません。
この方法はよかったので、次の予定は「孔子」です。
『中国の歴史』で「孔子」あたりまで読み進んで、宮城谷『孔丘』へつないで行きます。
雪の夜は「北のテキ、東のイ、南のバン、西のジュウ」、「北のテキ、東のイ、南のバン、西のジュウ」・・・と繰り返しながら・・・いつの間にか「コテンと眠る」・・・