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空洞
最近はわりかしバタバタしてて、時間が経つのがめちゃくちゃ早い。。。
充実してるのかはわかんないんだけど、とても目まぐるしいぜ💦
今週の月曜日14日、ある不動産企業の最終面接があって、クッソ頭悪そうな女に圧迫面接された。本当に気分が悪い!!!!🤜💥
久々()に自分の尖った部分が出てしまい、ちょこっと喧嘩になりかけた。w
「やっちゃったなー」なんて思いながら、
帰り道に、少し前に学校の先生が紹介していた
木村松本建築設計事務所が安藤忠雄の手がけたギャラリー日本橋の家にて行っている個展に足を運んでみた。
テーマは「反復と日常」
木村松本設計事務所がこれまでを振り返り個展を開催したらしい。
スタディ模型の柱、梁、筋交だけで構成された真っ白な模型がズラーっと並んでて
私にはまだまだ、わからないことだらけ。。。
凄さとか(失礼だが全然読み取れんかった)
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私の感想
柱や梁の連続が空間を作り、まだその機能を決められていない。
その感が、まさに”空洞”だなって思った笑
空洞のイメージは私が崇拝するお大森靖子が最近リリースした『大森神社』的な感じ。(これ最近頭から離れないから、そう思ったのかもだけど)
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アミニズムのような感じ?
元からある生物や無生物、無機質などに、人間が勝手に枠組みを捉えてそこに意味を信じる。的な考え方
”空洞”であるうちは、都合よく何にでもなれる可能性を秘めているとも言える。
話を少し戻すと
個展 から 柱・梁だけで構成され、柱・梁だからこそ一定のリズム(間隔)で並び構成されたこのスタディ模型はには柱・梁によって生み出された空間があり私にはそれが一種の”空洞”のようなものに見えた。
そして、まだ何の意味・機能もなく、ここにこそ無限の営みが続いていく可能性を感じ、私の想像次第でそこに人々の営みが生まれる気がした。
営みを考えると”空洞”は原点であり無限の可能性を秘めている非常に大切な観点なのかな。
就職活動をする中から、私はディベロッパーとして働きたいと考えてて、
マーケティングしてまず機能を先に考えることが重要だと言われるけど、こういったことに捉われずにいろんな視点を吸収していきたいなっと思いました。
おわり
追記
本日はめちゃめちゃ日記的な感じでブワーって書いちゃって、ロジックも無茶苦茶かもやし、知識面自信ないんだけど、、、ご容赦ください。
そんな中でもく読んでくださった方ありがとうございます♡