ツンとデレ
キャラ経済と言われる時代。
モノの品質が安定している現代では、人々は売り手の人となりやキャラクターといった商品そのものの品質以外にお金を払うようにもなっている。
Tシャツが可愛いから買うのではなく推しのTシャツだから買うというヤツ。
そこでキャラクターについて少し深堀りして考えたい。
備忘録がてら同じようなことをだらだら書くと思う。
いわゆるツンデレのツンはツンツンしている感じのツン。
広義で考えると優秀であるとかちゃんとしているという言い方もできる。
つまり信用できるということ。
「あんたなんかいなくても平気なんだからね」のような表現は言いまわしがツンなのだが「あんたがいなくても平気」という「ちゃんとした」部分が大前提にある。
この「ちゃんとした」部分は信用につながる。
信用できるところであればお金を預けることが可能、ということ。
信用できないところに誰もBETしない。
それからデレ。ここにはキャラの部分が色濃く入ってくる。
足りないところを上手に甘えるという言葉をキャラクター化したもの。
一生懸命頑張っているけど届かない部分を補完して欲しいと乞う姿を嫌味の内容に表現するやり方。弱い部分を見せるという言い方が適切なのか。
言い方は難しいが要するに応援したくなる要素だ。
判官びいきという言葉がある。
負けている者、不遇な環境にあるものであるからこそ応援したくなるという意味の言葉だがデレとはまさにそういう状態のこと。
あくまでも前提として一生懸命頑張っていることがある。
強いからこそ応援したい、はもちろんあるが逆にアンチも沸く。
一生懸命頑張って敗者となった者を人は攻撃しない。
仮に攻撃するようなことがあればその行為自体が叩かれる。
ツンデレというのはツンとデレの両側面をブレずに持ち合わせていることが重要である。どちらか一方が中途半端な状態であればツンデレという枠組みからは外れる。
完全無欠で隙が無く常に勝者側の立場にあるものに対して「がんばれ~」と応援することはないと思う。
また反省することなく努力の欠片もなく、ただ負けてばかりいる選手を応援することもない。
もちろん無双は無双で需要があるだろうしダメダメの人が気になってしまう母性本能的なものもある。
ここで言いたいのは、ちゃんとやっているけどそれに見合う結果が出ていないから応援したいという考え方が一般的にみて多い、つまり世論に近いということだ。
「美しい」と「かわいい」。この言葉の持つニュアンスを私なりに解釈すると「美しい=強い」「可愛い=か弱い」に分類される。
美しいは完成されているイメージがあるのに対して、可愛いはか弱いにつながるイメージで保管してあげたい、助けてあげたいという思いが出てくる。
かわいいは正義と言われるのはまさにそういう部分。
美しいは崇め奉られ、可愛いはよしよしされる。
「可愛い」の失敗は許されるが、「美しい」の失敗はどう対応していいかわからなくなる。
「負け顔」を持っているか持っていないかということでもある。
負け顔を持ち合わせていない人が負けた時、それをフォローする術を持ち合わせているのはその人の負け顔を知っている人だけだ。
極論で言えば崇め奉りたい要素を持ち合わせていながら、負け顔をしっかり持っている。
これこそが尊い。まさにツンデレそのものである。
現代社会を生き抜いていくためにはこのツンデレ要素をうまく活用していくことが必要。
ただし、捏造されたメッキはいつかはがれる。
だからこそ「うまく活用する」ことが必要。