マンダリンの楼上、路地裏のニャンコ
油圧の匂いに鼻腔を擽られながら、知らない人と15㎝の距離で階段を上る。陰謀かのようにどこかしこで売られた画一的布製品を身につけ、会社というプレデターに喰われていくハゲたおっさん達、こんなに色褪せたら生きていないも同然だ。いや、しかし、セピアハゲにとっては何も変化がない、言い換えれば安定した低空飛行生活が、幸せなのかもしれない。
将来ハゲになったら、いっそのことスキンヘッドにしようかと思案している。抗えないものに抗っても仕方がない、運命を受け入れようじゃないか、と。ただ以前、とあるハゲ芸人が同様の意見を言われていた時、「燃えかけの家を見て、『いっそ全焼させよう』なんて思うのか?」と。
説得力があった。以来、スキンヘッド案は俺の中でステイしてある。
これからじゃなく、今までの話をしよう。ハゲになったらじゃない、どんな髪型を今まで試してきたのか。なぜ知り合って、なぜ連絡先を交換し、なぜ遊んでいるのか。お前の何を認めて、何を認めていないのか。認めていなくても、お前のことを好きな理由だとか。お前のそんな癖、ちゃんと知っている、お前のそんな部分、少し心配だ、お前のあんな言動、今でもちゃんと覚えている。これからの話はこれからしよう。今までの話は、しておかないといずれ思い出すこともできなくなってしまう。コンビニで買う飲み物が贅沢だったこと、自転車でどこまでも行けると思っていたこと、トイレットペーパーがなくて化学基礎のプリントでウ○コを拭いたこと、なんでもいいんだ。脳から引っ張り出せるもんは、すべて引っ張り出して、また仕舞う。そんなことの繰り返しが、俺とお前の世界を作ってる、そうなんじゃないのか。
悩むことは簡単だ、悩まないことは難しい。喫煙は簡単だ、禁煙は難しい。人の心なんて分かるか、自分の心だって分かりやしない。見てる景色は現実なのか、都合のいいものだけ見えるようになっているんじゃないのか?考えたってわかりやしない、考えないようにする・・ことが難しい。
ただ分かってることもある、「分からねえ」ってことが。分からねえから、楽しもうとしてる。未来予知能力?そんなの必要ない。今のことも分かってないのに、未来なんて知ってどうする。
まだ時計は朝の6時だ、寝る準備なんてしなくていい。パジャマを脱ぐ必要もない、スヌーズは切れ、加湿器をつければ鼻クソが減る。これから見れるのは、さらに輝く御日様と、未だ見ていない光る月だ。目を慣らしておかないと、ホワイトアウトしちまう。幸福論は、未来だけじゃ成り立たない。今までのことを、知っておかないと。