終わりまでの人生の振り返り4
離婚の意思を告げられて、その理由で初めて聞き、驚くことはいくつもあった。
そのうちの一つは夫の出張理由である。
夫の仕事は出張も多々あり、日帰りはもとより泊まりで行くことも多かった。
今年は月に5~6回ほど泊まりの出張に行っていた。
ホテル暮らしが体質的に合わない夫は体調を崩すことも多かった。
とても心配だった。
雪の多い時期の車での移動。不安だった。
でもその出張は夫が会社に頼んで入れてもらっていたものだったらしい。
衝撃だった。
一人の時間が欲しいために、私と離れて過ごしたいために、体調を崩してまで出張に行っていたらしい。
これに対して私はなんて愚かだったのだろうと、自分自身の存在を恥じたと同時に見失った。
良かれと思って過ごしていた毎日が無駄なものだったのだとなんともやるせない気持ちになった。
もう一つは子供のことである。
私たちは選択子無しだという認識で今まで過ごしてきた。
お互い色んな考えがある中で、「子供はつくらない」という意見に納得しているものだと思っていた。
どうやら夫は違ったらしい。
「積極的に子供がほしいわけではないけど、子どもはできたらできたで良い」という考えだった。
私の言い分としては、ピルを飲んでいるのを知っていて、それについて何を言うわけでもなく。
こどもについて「やっぱり作れないね」という話もお互いに何度もしてきていたつもりだった。
夫の言い分としては、結婚するにあたり上記のできたらできたでいいねということを話していたという。
その時はそうだったのかもしれない。
入籍するにあたり、急ぐ理由の一つとして子供のことを挙げていたこともある。
ただ、一緒に過ごすうちに金銭的な理由や自分たちのキャパシティを考えて「やっぱり子供は無理だね」と話していた。
だからこそ私もピルを辞めなかったし仕事も辞めることはなかった。
女性である限り自分の子供のことを考えなかったというと嘘になる。
二人の子どもだったらかわいいだろな、夫に似た子供だったらかわいがれるのかもしれない。
本能的なものなのか、周りで子供を持つ家庭が多いからか、そういう考えも頭をよぎることもある。
ただ、今の生活の中で毎日の仕事や家事に加えて育児まで加わったら?
無理だ。
毎日7時には家を出て19時前に買い物等をして帰宅して、夕ご飯を作って洗濯をして、名もなき家事をこなしながら
いつの間にか22時を越えてしまい、限界を迎えて寝る生活の中で子どものことなんて考える余裕がなかった。
慣れない公共交通機関での通勤、仕事、毎日くたくたでここ半年ほどの記憶があまりない。
夏だったのに、いつの間にかもう春だ。
ボーっとしてしまうことも増えた。
本当にあまり記憶がない。
産休も育休も取り、職場復帰するとしても時短で、子どものことは妻である私の負担が大きくなることは明白だ。
夫も正直ストレス耐性がある方ではなく、職場の愚痴もよく聞く。
転勤前の夫の姿がよぎり、そんな中で自分たち以外の守るべき存在ができるのは現実的ではないと思った。
生んでおわりではない。
生んだなら責任を持って最後まで面倒を見なければならない。
生んでから自立するまで面倒を見切れるのか。
それこそ心身ともに健康に生まれてくる確証もない。
色んな要因があるが、子供を持つことに対してどうしてもポジティブになれなかった。