本が小説である必要性
たまには、ゆる雑記。
秋から年跨ぎで読んだ本。『脚本家坂元裕二』『推し、燃ゆ』『コンジュジ』『工場』『沼地のある森を抜けて』『白河夜船』など。
最近考えている事は、本が小説(物語)である必要性について。
図書館も好きだし、本屋も好きだが、大体が流し読みばっかりで、満足してしまう。ドラマも映画もオチは覚えて居ない。終わり方に不満が無い。
小説はこの人の世界だなーこの人の身体に組み込んで出てきた作品なのだなーと思うけど、そうゆう類ものを浴びるなら、わたしは音楽の方が良い。間口が広いだけか。
文章で心地良いのなら、ブログのちエッセイみたいな読み物が好きだし。対談とか鼎談で思考が深くなっていくのを読めるのが面白い。
あとは文字である必要が無いなら、映像化されているものを堪能する。普通に読むより観た方が情報量多くて早くて濃いじゃん。
役者さんが生きるなら、脚本って大事だよね。
でもまず原作がある事も大事だよね。(なに言ってるんだろ
話しは飛ぶが、坂元裕二さんがいつも書く企画書代わりの登場人物の履歴書。これが小説のようで面白かった。(全部読んでないけど)
それにしても、坂元裕二と宮藤官九郎が書くドラマって他とは全然違うよね。なんなんだろうね。それって多分、ストーリーよりも役者にフォーカスしてるからなんだろうな。だから私も好きなんだろうな。
逆から?(ドキュメンタリー出身ってゆう意味で)是枝監督の本も読んでみたい。
児童書は、ミヒャエルエンデの『モモ』をたまに読んでいる。ジブリは日常的に観ている。
梨木香歩さん、小川洋子さん、角田光代さん、森絵都さん、あたりのやさしい本も読んでみたい。
河合隼雄物語賞の本も読みたいな。
あ、思い出した。数日前、いつもと違う図書館で子ども用の本を見に行った時、ま行の本“マジカル”だとか“魔法”のタイトル本に混じって、クレヨンの黒い文字で『まく子』って背表紙が見えてぐっときたんだった。
私が欲しいものが小説である必要性はあまり感じないけど、小説の方向は絶対に間違っちゃいけなくて。子ども心に届くような、大人になっていく子どもたちにとって必要な小説は絶対にあるはずなんだよね。私が小説を書く事にならなくても、司書にならなくても、ちゃんとそうゆう本が誰かの手に届くようになればいいなと願う。(何様だ