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日記 肉が来た

二月十一日
曇り

 わたしはニックたちを飼っている。が、ときどき、わたしは彼らに飼わされてもいるのではないかと思うことがある。 ——『つち式 二〇一七』33頁

 わがニックたち(名古屋コーチン)にあたらしい仲間ができた。軍鶏の雌一羽と烏骨鶏のつがいを貰ってきたのだ。
 もっとも、もとからいたコーチンらは新参者たちを仲間とは思っていないだろう。彼らにしてみれば、平和な暮らしを乱す闖入者といったところか。しかも、烏骨鶏はともかく、軍鶏はかつて闘鶏に用いられた気性の荒い鶏種だ(雌とはいえ)。いい迷惑である。

 あれは数日前のことだ。ふだんは会うことも連絡をとることさえない親戚から、突然電話がかかってきた。なんでも、同僚でにわとりの貰い手を探している人がいる、とのことだった。
 はじめ烏骨鶏と聞いたわたしの気乗りしない反応を感じとったのか、彼女はすぐさま、軍鶏も一羽くれるって、と付け足した。それなら、と承諾した。
 烏骨鶏は身体(可食部)が小さく産卵頻度も低いから、大型で卵もよく産むコーチンを飼う身にはあまり魅力的に聞こえなかったのである。だが、軍鶏となれば話はちがう。コーチン以上の攻撃力が期待できるからだ。
 家畜に攻撃力というと不要なもの、ないし余計なものと思われる向きもあるかもしれない。しかし、中山間地域においては敵が多く(イタチ、キツネ、アナグマ、猛禽類、アオダイショウ等)、家畜自身に攻撃力が備わっているほうが何かと安心なのである。あとは、わたしが単純に強いもの好きだということもある。

 そうして、まんまと軍鶏に釣られたわたしは、きのう、奈良県宇陀市から大阪府岬町まで車で片道二時間ほどの道のりをせっせと往復し、シン・ニック三羽を連れ帰ったのである。

 きょう、雌軍鶏とコーチンを対面させてみると、最初こそ小紛はあったものの、ほどなくして上下関係が決したようだった。いくら軍鶏とはいえ雄コーチンには勝てないと踏んだのだろう。それでも、雌コーチンが闖入者に怖気付いて逃げまわってばかりいるなか、この雌軍鶏は雄コーチン相手でもひるむことはなく、堂々たる態度だった。負け方にもいろいろあると思った。
 彼らが交配し、強い鶏が増えることを願う。

 一方、烏骨鶏のつがいは、予想どおりの小ささで、性格もおとなしく、とても軍鶏やコーチンとは一緒にできない様子だ。交雑させたくもないため、あらかじめ鶏舎内をついたてで区切ったところで飼うことにした。
 その弱々しさと表裏をなす神秘さには、それなりにおもしろさがあると思った。
 また、烏骨鶏の卵はその希少性ゆえか高値で取引されている。食べたことがないので、それもたのしみである。

 と、そういうわけで、わたしの仲間(肉ともいう)が増えた。最近の話題につなげると、わたしの「たぐい(*1)」が増えたということであるし、これは、ダナ・ハラウェイの提案する人新世におけるスローガン「赤ん坊ではなく類縁関係をつくろう(Make Kin Not Babies!)」に賛同する行為でもある。

 それにしても、ニックとわたし、飼われているのは一体どちらであろうか。

*1 このほど創刊される人類学誌『たぐい』にちなむ。「種」が生物分類学上の単位であるのに対して、「たぐい」は〈実感される存在の集まり〉だという。本誌にはわたしも『つち式』の著者解題を寄稿している。

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