東京遠征へ向けて 二百年の祭りの前に
東京遠征が迫ってきた。今週末から四日間滞在するあいだ、4/6にトークライブ、4/8に研究会発表を行う。いずれも「つち式」関連だ。それにあたり、ここに所感を述べておきたい。
現在『つち式 二〇一七』は、おかげさまでほぼ完売という状況だ。東京に行って帰ってきたらなくなっているだろう。本誌は「異種たちの存在を身近に感受し歓喜し共に喰らいあいながら生きる文化を目指したい」というような主旨の本である。自信がなかったわけではないが、それでも、よくこれだけニッチな雑誌が売れたと思う。
しかし一方では、時代の趨勢の少なくとも一つの流れは、こういう方向へ向かいつつあるのではないか、とも思う。だからこそ『つち式』も読んでもらえたし、マルチスピーシーズ人類学などの動きも起こってきているのだろう。
それにしても、東京という土地に『つち式』はどのように迎え撃たれるのか愉しみである。あるいは、東京の人を一人でも里山に誘惑できたらすばらしい。異種たちにかまけることがどんなに愉しいかを叩きつけてこようと思う。人新世なのだし。
トークライブではビッグヒストリーの研究者である辻村伸雄さん・片山博文さんとお話する。恥ずかしながら、わたしは昨年12月に辻村さんと知り合うまでビッグヒストリーを知らなかった。
ビッグヒストリーは、宇宙誕生から現在、さらにその終焉までを捉える視野で人間という存在を探求する学問である。ビッグヒストリーを知ったとき、あまりの壮大さにゾクゾクした。「138億年」という時間の厚みに圧倒された。知識としてはだいたいそれくらい前に宇宙が誕生したことは知っていたが、それが自分に連続しているものという感覚はなかった。ビッグヒストリーは、ビッグバンからひとつなぎのものとして人間を照射する。わたしは、138億年が詰まった脳みそを揺さぶられた。
だから、わたし自身、今回のトークイベントで辻村さんと片山さんのお話を聴くのがとても楽しみなのだ。
ビッグヒストリーほどの壮大さはないが、ひそかに温めてきた「里山二二二〇」計画をわたしも今回話そうと思う。これは、杉山を雑木山に転換してゆく200年間の祭典である。
農耕民は、農耕だけを――つまり稲作や野菜栽培だけをすればよいのではない。というより、農耕という営みには本来、周辺環境の維持も含まれるはずだ。なぜなら田んぼは田んぼだけで成立するものではなく、山からの水や、飛来する種子たち昆虫たちなどによってもまた作られるてあるからだ。杉山を雑木山に転換できれば、格段に高い保水力と生物多様性とが期待できる。つまり、この祭典は稲作の延長である。
杉を殺戮し、雑木を育むのだ。人工と共生、征服と癒着、里山の愉悦!
この祭りに人間を巻き込んでいきたい。
ということで、東京の方どうぞよろしくお願いします!
最後に、今回の経緯を書いておく。
わが『つち式』は、昨年10月、人類学者 奥野克巳さんによって偶然発見された。その僥倖については以前ブログに書いた。(これ以前には見田宗介さんから祝辞をいただけた幸運もあった!)
これを皮切りに、奥野さんにはお世話になりっぱなしである。昨年12月には熊本でトークイベントをご一緒に開かせていただいた(石倉敏明さんも!)し、年末にはWEB書評を書いていただいたし、今年3月創刊の雑誌『たぐい』には『つち式』の著者解題を寄稿させていただいた。この他にも、様々な場面で奥野さんには『つち式』をご紹介いただいている。
(『つち式』制作メンバーのあいだでは、感謝と尊敬の念をこめて「メガホン奥野さん」とお呼びしている)
そして今回、奥野さんが牽引するマルチスピーシーズ人類学研究会での発表の機会を与えていただいた。やりとりをする中で、せっかく東京に行くのだからトークイベントもしてはどうかという話になり、辻村伸雄さん片山博文さんとの鼎談イベントの開催も決まったのだった。
ビッグヒストリーの用語に“threshold”というのがある。「敷居」とか「入り口」とか「跳躍点」と翻訳されるようだが、「通過すると後戻りできない地点」という意味合いがあるという。ビッグヒストリーではビッグバンから今まで、8つの敷居があったと説明される。
わたしも、四年前からいくつもの後戻りできない敷居を経てきたように思う。里山に移り住み、稲作をはじめ、鶏を飼いはじめ、『つち式』を出版し、多くの方と知り合った。今回の東京遠征も、この敷居を超えたときにはあらたな世界が待っているような予感がしている。