日本脱出計画書2
オーストラリアに来て、3日目から仕事を始めました。
私が話せる英語
✅Hello
✅Thank you
✅I want
ほぼこの3ワードしか話せなかった。
単語をみれば意味は分かるけど、単語だけで行ってくれる人なんていなしし、とりあえず常に笑顔でいました。
それから、家に帰ってきてから毎日英語の勉強をしました。日本の美容室では夜10時くらいに家に帰ってきてたけど、ここオーストラリアではバスの最終が8時か9時だったと思います。店からホームステイ先までは1時間かかるので、7時くらいには店を出ていました。帰ってからの時間はたくさんありました。
そんな私が少しづつ英語を覚えて、たどたどしい会話で接客をし、カットやカラーをするようになりました。
言葉を習得するのは本当に難しい。
美容師として一人前になるのも難しかったけど...
そんな私でも指名のお客さんがついたり、私にカットしてほしいといってれる人もいた。日本人のお客さんもいれば、そうではないお客さんもいた。
私がオーストラリアで働いて気づいたことは…
日本だったらこの髪型にしたい!って大体の人がくるけど、こっちでは私(お客さん)に似合う髪型はどれ?と聞いてくる人が多かった。
他には日本で働いているときは、ショートにするとき結構ためらう人がいるけど、こっちでは6か月や1年に1回しか髪の毛を切りにこない人が多いので、スタイルチェンジする人が多かった。
やっぱり、最後は素敵にカット(カラー)をすると笑顔で帰ってくれる。
それを見るとどんなに疲れていても、しんどくてもやっぱりこっちも笑顔になる。やりがいのある仕事だと思った。
日本で大変だった下積み時代。シャンプーしかさせてもらえなかった時。先輩に怒られたり、お客さんにビンタされたり、同期ともめたり、色々あったけど、それでも辞めずに逃げずにやってきたことをここオーストラリアでもやる。言葉はすべて通じないかもしれないけど、気持ちは伝わる。私はそれを学んだ。日本で学んだ技術は世界で通用する。と声を大きくして言いたい。
それから、私は母になった。
子供を育てるにあたり、言葉があまり通じないというのは、本当に不便だった。病院に行ってもあまりわからないし、保育園、幼稚園の準備やママ友との関係、わからないことだらけだった。
そうなると、私は居心地のよい日本人コミュニティーにどっぷりつかっていた。しかし、ずっとそこにいるには狭すぎる。
そんな時、引っ越しが決まった。
メルボルンだ。
最初は不安で仕方がなかった。
家から車で5分圏内に保育園、仕事場、その隣が病院、小学校は歩いて10分。
それをすべて手放して、すべて新しい場所、人間関係、仕事。やっていけるかな???
もし、仕事うまくいかなかったら?
そんな不安を抱えながら、引っ越したメルボルン。
引っ越してみて、わかったことがあ3つあった。
✅ときどき人間関係を入れ替えてもいいということ。
✅環境が変わることを恐れない。
✅なんとかなる。
友達もいなかったけど、新しい友達もできた。そして、少ない友達を持つことにした。
都会なので、人の移動が激しく人に執着しなくなったし、他人の目も気にならなくなった。
英語が苦手でも子供に対する思いとか共有しながら、オーストラリアのママたちとも仲良くできた。いくら英語ができたとしても、私たちに興味がないと話も聞いてくれない。でも英語がいまいちでも興味があれば話を聞こうとしてくれるし、通じるものがあることを私は感じた。
それを感じることによって、英語の呪縛から少し解放されたと思う。
最初は不安だらけだったけど、引っ越してよかったと思う。
環境を変えること、人間関係を変えること、場所を変えることは怖くない。
だから、私はこの先どこへ行こうとも怖くない。
さあ 冒険を始めよう!!!