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旅行に行けない今だからこそ、価値が光る ②

オーストラリアに移住してきて、13年目。日本人美容師夫妻と8歳、6歳、1歳の3人の男の子を持つママこと、モンブランです。

明日でターム3が終わります。今タームはすべてホームスクールでした。日本では学期末に終業式がありますよね?

オーストラリアにもそういったアッセンブリーと言われるものがあります。

全学年が集まって、今タームの報告や頑張った人への表彰式。それが明日ある予定なんですが、オンラインなのできっとありません。

オーストラリア長期の休みの前の1週間はほとんど、授業をしません。

長期休みに旅行をすると旅費が高いので1週間繰り越して旅行に行ったり、もうすぐ休みだからもう学校いかなくていいっか。と結構ルーズな感じです。

なので、多分、今日も授業がなかったので、きっと明日もありません。

少し早い春休みです。春休みといえど、メルボルンに住むメルボニアンには移動の許可は下りていないので、きっと家で過ごす日々が続くでしょう。

では、昨日の続きを書いていこうと思います。

英語が話せない人でも働ける農業。

そして、その人たちがオーストラリアの農業にとって与える影響力は多大だ。

中国からの留学生から学費と生活費を使ってもらって、ワーホリで来る人には、オーストラリアでは人気のない第一次産業(農業、漁業、畜産)につかせてそれを輸出する。政府の経済収支が黒字なのはこれで理解できるだろう。その他にもビザ代。永住権も5年に一度更新する必要がある。これは、移民で利益を得る国にとっては、重要な財源である。

その代わり、住むメリットもある。

詳しくはまた次の機会に!

そんなワーホリたちがオーストラリアに貢献しているのも事実。私もワーホリして気づいたこと。

そして、あと1か月働けば、2年目のビザがとれるところまで頑張った。

ちょうどその頃、NSW州の年に1回の麻のお祭りがあった。これに行くと計画していた人がバッパーの中で何人かいた。このお祭りはは麻のイベントで今でこそ医療大麻を認知する国もでてきたが、その頃はあまりいいものではなかった。

今住んでるバッパーからは車で7~8時間かかる。

「行く?」と声をかけられた。

バッパーの暮らしはあまり楽しくなかった。初日に歓迎会をしてくれた。その歓迎会で記憶がなくなるまでお酒を飲んでしまった。この事件は、私が最初で最後のお酒が原因で醜態をさらけ出した日だった。それ以降記憶がなくなるまで飲んだことはない。いい勉強になった。それから、部屋の子たちから避けられるようになった。そして、働いても歩合制の為1日$12~$30平均(日当1000円~2800円)。

なので、私は、

「行く」と返事した。

車で7~8時間走って着いた場所。初めての場所。外国に来てる!!って思うほど、私にとってその場所は外国だった。

そこで、1泊か2泊したように思います。

それから、バンダーバーグに戻りました。

このイベントに行く前に、このバッパーで働かない?と声をかけられていたが、帰ってきてからはその話も白紙になった。それから、仕事ももらえなくなってしまった。ほとんどみんな仕事に出かけてるのに、私たち、イベントにいったメンバーだけがリビングで暇を持て余していた。

休みを申請して、休みを取って行ったのに、なぜだろう?

今ならわかる。

休みを取る人より、休みを取らずに頑張っている人に仕事を回したい。

その通りだと思う。

でも、

その考え方があるからこそ、男性の育児休暇が取りにくいのではないのか?

その考え方があるからこそ、有給休暇が取りにくいのではないのか?

その考え方があるからこそ...

窮屈な気がした。

だから、私は、ここを卒業することに決めた。

一緒にイベントに参加した人は私よりも早く卒業していった。

私は、1人バッパーを探した。

そして、新しいバッパーに入居することになった。

ここは、色んな人種の人が住でいた。

台湾人20%、韓国人30%、日本人20%、ヨーロピアン20%、その他10%。

私はまた3人部屋に通された。

ここは3段ベッドが1つあって、新人は1番上の段という見えないルールがあった。1番上の段のベッド、そこは、色んな人が入って出ていく。その薄っぺらいマットは、腰とおしりの部分が凹んでいてたので寝心地もよくなかった。しかし、ここで1か月働かないといけない。

友達も知り合いもいない中、ゼロからのスタート。

ここの家賃は週$165と少し割高だった。そして、仕事場への送り迎え代として、1日$5がかかる。初めての仕事は、カリフラワーをポキっと折る仕事。この仕事は1回きりの単発の仕事だった。2週間くらい単発の仕事を回って、初めて、連続した仕事をもらうことができた。

それは、マカデミアナッツの選別作業の仕事だった。

みなさん、マカダミアナッツとも言うそうですが、知ってますよね!?

そう。あれです。マカデミアナッツは木の実で、かたーい茶色の皮に覆われていて、あの白い実はその中に入っているものです。

機械で木を切ってそれを、違う機械に入れると、葉っぱや枝と実に分けられます。それから、コイン落としみたいな機械に入れて、上から鉄のベルトにすごい量で落ちてきます。その音がもう、うるさくて!!

固いものが鉄の上に何百個も落ちてくる。

それから、手作業でひび割れや虫食いなどを選別してよけます。

そのレーンに2人で向かい合ってただただ、流れてくるマカデミアナッツのダメなやつを取り除く。それが仕事。

まるで、リス。

リスのようにダメやつを取って下に落とす。9時間立ちっぱなしで選別。

工場の仕事したことないけど、きっとこんな感じなんだろうなーと想像できる。

その仕事は、歩合ではなく時給でした。その頃の最低賃金は$18だったかな…

1日10時間、ランチ休憩と休憩を除いて9時間。$18×9時間で$162。前のバッパーではかなり搾取されていたにちがいない。時給の仕事も何回かしたけど、$14くらいだった。

色んな経験をしないと、自分が搾取されているかどうかはわからない。

私は、あの時卒業してよかったと思った。

それから、無事1か月が過ぎた。もう2年目のワーホリのビザを申請できる。

マカデミアナッツの仕事は、やりがいも無ければ楽しくもない。今まで美容師という仕事しかしなかった私。(バイトはいっぱいしてきましたが…)美容師というのは大変なこともたくさんあるけど、お客さんをキレイにして、色んな会話をして、作るのが好きな私にとってはとっても楽しい仕事だったんだなーと改めて美容という仕事に誇りを持ちました。

一生マカデミアナッツの仕事をしないといけないって決まったら、きっと暗い気持ちになって立ち直るまでに時間がかかったことでしょう。

しかし、時給$18は魅力的。週5回働いたとしても1週間で$810。月で考えると$3240(約30万)。

なので、私はお金のために働くことを決意しました。

それから、そのマカデミアナッツのシーズンが終わるまで働きました。

新しいバッパーに来てから、もうすぐ3か月が経とうとしていました。私は、3か月でいいところ、トータル半年くらいバンダーバーグに住んでいました。

日本に住んでいたらこんな事は経験できなかったと思います。オーストラリアでしか、ワーホリでしか、経験できないことを経験できた私はラッキーだと思います。

例え奴隷のように扱われたとしても経験することで、また違った景色を見ることができました。

そして、長文をここまで読んでくれた方ありがとうございました。

それから、2年目のワーホリを申請して永住権を申請して、今に至ります。

永住権を申請するのにも、色々と書類が必要でした。日本からも無犯罪証明書や、戸籍謄本を取り寄せる必要がありました。実家の母や義理の母に頼んだり、婚姻届けは義理のお兄さんに頼んで提出してもらいました。色んな人にお世話になって今の私たちがいる。そのことをこれからも忘れずに生きていこう。

そして、私にできること。

noteを通じて自分の経験談を書いて誰かの役に立てばいいなと思ってこれからも続けていこうと思っています。

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モンブラン
私の海外育児生活や今までの人生、家族、趣味について(すべて事実)をnoteに全部書いています。そして、少しでも私の記事がお役に立つことを願っています。サポートしていただいたお金は、母に軽自動車を買う費用にあてたいと思っていますのでよろしくお願いします。私に親孝行させてください。