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映画感想『セカイイチオイシイ水』

尿酸値が高いため、関東時代は1日に大量の水を飲む必要がある。
おいしい水を飲める生活は幸せを感じる。
むしろ、それが当たり前になってしまった。
むしろ、今日も大量の飲水を購入し、一口も飲まないまま捨てながら移動する。
その水跡をたどれば家に帰りつけると信じて止まない。
今日もまた、数百キロ離れた湧き水まで移動せず、ちょっと離れた映画館まで困難や苦難の道のりを乗り越えてたどり着く。

タイトル:

セカイイチオイシイ水 マロンパティの涙
  http://sekamizu-movie.com

今回は、知能遅れの映画を鑑賞した。
なぜにタイトルを漢字ではなくカタカタにしたのか。
タイトルから頭の悪さがにじみ出ている。
 
日本人が異国の地に水道管建設する話だ。
水道管建設は、10数キロに及ぶとのこと。
 
なんだかそれだけを聞けば、『恋のしずく』のような、糞映画だと思ってしまった。
しかし、せっかく異国(?)の地に行ってまで見るのだから地元で上映していない映画を見ようと思い、あえて選んだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
今回の映画は、実話と言いつつむちゃくちゃ順風満帆な進み具合だった。
現実はむちゃくちゃ大変なはずなのに、全く困難や苦難が無いような順調さを見せていた。
映画なので時間の尺を考えれば仕方ないが、もう少し何とかならなかったのだろうか。
 
主人公と宿泊先の女の子が親しく接しているが、それ以外の子供は、日本人を毛嫌いしている現地の大人が近づけないようにする。
あぁこの構図は、まさに「王様と乞食」と言うか先日鑑賞の『アス』そのもの。
ちょっと環境が違うだけで日本の文化に触れられないどころか日本を嫌うように教え込まされる。
逆を言えば、裕福な人間が両手を上げて歓迎しない限り平等は訪れないだろう。
しかし、刃物を持って襲いかかってくる場合はそれどころではなく、返り討ちにする必要がある。
そうなった場合、平等は永遠に来ない。
そして、虐げられる人たちは虐げられることを望んでいるため、平等を望まない。
ずっと虐げられたままを過ごす。
それが平等をなくせない理由だろう。
 
最後の最後で、今回の実話がいつなのか発表された。
遅い。
最初に時期を教えてほしかったよ。
どうでもいいか。
 
 
 
現地の尊重の母(要は婆さん)は、完全に遺恨を残し、それを後世にまで残そうとした。
しかし、最後の最後でそれが間違いだと気づいたようだ。
勉強さえしていれば、戦争が終わったということは戦争が終わったということに気づけるはずだからな。
勉強をさぼるから戦争が終わったのに、独りよがりの戦争を続けて敵を増やして損をする。
まさに老害のなせる技だろう。
 
心の狭い私は人のこと言えないだろうが、すでに広くしているので問題ない。
 
電気のない場所で子供と遊ぶ場合は、電気を使わないものを持参しなければならないわけか・・・結構考えさせられる。
先進国では日本の折り紙に注目しているため、後進国で注目されるのは当然のことなのだろう。
そもそも子供を手中に収めることができれば、その親を説得しやすくなると思うのは当たり前だろう。
飯島愛さんは、親に虐待を受けていたのか何なのか、わがままな親のようだったらしいが。
 
私は実家暮らしで働く必要に迫られていないが、早く働きたいと願いいている。
具体的には、実家を出て生活したい。
そのためにも寮のある会社に就職したい。
母が私の生きる気力を邪魔してくる限りこの考えは変わらない。
母が徹底して私をこの世から排除してくる以上、私はこの世にいてはならないのだろうと思う。
だからこそ、私を求める人は出てこないのだろうし、頼りにしてくることもないのだろう。
そんな状態で彼女を作るのは到底不可能だろう。
何とかして誰かに頼られたいと思うし、技術を身につけて自信を持ちたいと思う。
叶わないけど。。。めんどくさいからこのまま人間を辞めた生活を続けるだろうな。
まさに『人間失格』だよ。
あぁ小説家になろうかな。もっと無理か。
文書能力がなくて仕事をさせてもらえない数年間を過ごしていたぐらいなのだから。
 
そんなことより、ニート生活として、毎日10時間近くゲームをする私を救い出すのはどのような道具を使うのだろうか。
やはり折り紙か?
 
で、銃器を持ち込むのは御法度として、重機を持ち込めない理由がよくわからないな。
200万円ほどあればシャベルカーもといショベルカーを導入できそうなのになぁ。
燃料を買えないのかな。
 
 
 
 
 
最後の最後でタイトルがカタカナにしている理由を説明した。
地元の女の子が主人公の汲んだ水に対して、片言の日本語で発言しかたらであり、一生懸命異国の言葉を使った結果だった。
決して頭がおかしいのではなく、全くの逆で、頭がいいからこその外国語で日本人に対して日本語で感謝を示したのだろう。
しかし、不純物と言うか塩水を飲み続けたせいで死んでしまった。
腎臓病が悪化したのだろう。
確か、飯島愛さんも腎臓病だったが、そんなことはどうでもよくて、彼女の死因は肺炎だった。
何が原因で死ぬかわからないから悔いのない人生にしたいもんだ。
 
芸人で言えば、見たことのある顔がいると思い、エンドロールを凝視した。
あぁ蝶野がいたよ。
亀田もいたようだ(気づかず)。
 
 
主人公は英語ができないくせしてよく喋るかぁ。
 
今後も誰に向けるわけでもないが、一方的に喋り続けようと思う。
 
以上。
 
 
ちなみに、今回は1990年の出来事だった。
発起年か施工完了年か、何の年数か忘れたけどね。
完了まで9年掛かったとのこと。
長い。
そして、主人公は、最初に関わってから3年以上に渡って従事していたようだ。
他の日本人もそれだけの数年間を煮沸した海水だけで生活していたのかな。
今も生きているのか知りたいね。
 
それとも数十キロ先の湧き水を使っていたのかな。
 
 
結論を末端場所で呟こう。
末端で生活している生物だからな。
 
面白かった。
映画館で上映する内容ではないが、淡々と話が進み、さほど飽きることなく鑑賞できた。
そのへんは好感がもてる。
日本人が日本人と言える態度なのも見どころの一つだろう。
 
最後は、本人のインタビューがあってもよかったように思う。
生きているだろうし。
 
何度も言うが、映画内容にするには、もう少し起伏が欲しい。
 
ゆえに、1回見れば十分だな。
 
不満は特に無い。
 
根本なところは、映画館がガラガラで、私一人で鑑賞したことかな。
寂しいよ。
 
今更ながら・・・。
目的も説明せずに現地で作業させようとするのだから日本人という人種は糞だな。
しかも、知らない人に威張るような態度も糞だし・・・。
やはり、古株になった立場の人は現場から排除すべきか?

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