ポテトサラダと共にあれ。
どうしてだろう、私は気付くといつもポテトサラダのことばかり考えている。
八百屋でジャガイモが1個38円で売っている時はもちろん、居酒屋のメニューの後方にひっそり鎮座するその文字を目にした時も、疲れて帰って来た最寄りのスーパー、お惣菜コーナーで赤と黄色の半額シールを貼られている瞬間を見た時も。
ポテトサラダは常に私の近くにいる。
これは決して私がポテトサラダを好きだから引き寄せているということではなく、完全にポテトサラダの方が私を求めているようだ。
どうやらポテトサラダに愛されているらしい。
なるほどなるほどしかたない。そういうことならしかたがないから、今宵もきみを胃袋までご招待することにしよう。
ポテトサラダには自由がある。
いわゆるスタンダードなポテトサラダでは飽き足らず、いぶりがっこを混ぜたものや、カレー風味のもの、チーズが入っている物など。
他の料理のアレンジであれば、おいおいちょっとやめてくれよと言いたくなるような組み合わせでも広い心で受け入れることができるのは、ポテトサラダだからこそだ。
決まりなんかない。僕だけじゃない。
誰でも絶対に愛し、愛される。それがポテトサラダだ。
ポテトのポフっポフっとした優しさとなめらかさ。程よい酸味が爽やかさを演出するマヨネーズ。コクと旨味を全力でぶつけてきてくれるゆで卵や、キュウリ、玉ねぎ、ニンジン、ハムが入っていても良い。食感のコントラストに勝るものはない。
ああなんだか懐かしい。
思い返してみれば、随分と長い間一緒にいたような気がする。
幼い頃食べた実家のポテトサラダはマヨネーズを節約する傾向にあり、じゃがいもの存在感を十分に感じる事がでた。これはこれで良い。
余ったポテトサラダをトーストに乗せて食べればそれだけで最強の朝ごはんだ。
大人になった今、私が家で作るポテトサラダは、じゃがいもの他に入れる具はタマネギのみ。
幼少期の思い出を振り切り、マヨネーズをたっぷりとあえる。油と糖質でできたこの罪なかたまりに塩を振り、ゴリゴリすりたてのブラックペッパーをたっぷりかければいっちょあがりだ。
私は家でじゃがいもをたくさん買ってきては、ポテトサラダを作る。それは妻は私が作ってくれたポテトサラダを「今まで食べた中で一番おいしい」と言ってくれるからだ。
たかがポテトサラダでも褒められるととても嬉しいものだ。
しかし先日、私の役目であるポテトサラダ作りを妻がかって出た。なんとなく横目で口を出したくなりながらも、完成したポテトサラダを一口食べてこう思った。
「今まで食べた中で一番おいしい」
そうだった。
ポテトサラダはいつだって一番美味しいのだ。
ポテトサラダとはそういうものだ。