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年の瀬狂歌
狂歌というものをご存知だろうか。
川柳の短歌バージョン……というと狂歌の人に怒られてしまいそうだが、簡単に言えば皮肉やパロディを交えて滑稽みを出した短歌である。
有名なのは、
「太平の眠りを覚ます上喜撰たつた四杯で夜も眠れず」
「白河の清きに魚もすみかねてもとの濁りの田沼恋しき」
あたりだろうか。教科書で見た記憶がある人もいるかもしれない。
以前、この記事を書くためにちょっと調べて興味を持った。なかなか時間が無かったのだが、最近図書館で狂歌のまとめが載っている古典文学全集を借りて、好きな狂歌をメモしていたので、今日はその一部をご紹介。
この時期にちょうどいいのは、たとえば四方赤良(よものあから=大田南畝=蜀山人)の作ったこんな歌。
いかなりけるとしの春に
金はありかけもはらうて置炬燵(おきごたつ)とろ/\ねいりつかん年の夜(よ)
小学館新編古典全集の解説によれば、
借金の返済に追われて余分な金などないはずの年末に、なんということだろうか、年越しの大金があろうとは!
金策に駆け回る必要もないことだから、悠々と炬燵に入って快いうたた寝でもして新年を迎えたい。
庶民にとっては夢の中のような世界の一コマの情景で、詞書が大いに生きている。
(一部抜粋してまとめ)
「いかなりけるとしの春に」、というのはつまり、「どんな年の春のことだろう」というような意味で、こんなのんびりした年末年始が……あったらいいな〜! というニュアンスの短歌である。
春というのは、年賀状で「迎春」と書くように、新年(年末含)のことを指している。
師走が忙しいのは江戸時代も同じだったようで、他の人も年末の忙しさを狂歌に詠んでいる。
こちらは、四方赤良のライバルと言われる、唐衣橘洲(からころもきつしゅう)の狂歌。
冬鳥
地をはしる翼なりけり寒中の見まひにたれもかもの進物
寒中見舞には、誰も彼も鴨を贈答品として使うが、人々がそれを手にぶら下げて行き交う様子を見ていると、このカモたちは翼はありながら空を飛ばず、江戸市中を走り回っているようだ。
おせちにもよく見かける鴨。当時からお歳暮の品として人気だったそうで。
人が鴨を手に早足に行き交うのを見ていると、まるで鴨が走っているようだ、という面白い視点の狂歌。
ちなみに「誰も彼も」と「鴨」が掛かっている。
また、こちらは朱楽菅江(あけらかんこう)の狂歌。ちなみにこの狂歌ネームは「あっけらかん」から来ているそう。
立(たち)てみし柱暦(はしらごよみ)もねころんでよめるばかりに年はくれにき
これは歌のみで解説がついていなかったので私の解説になるのだが、柱に取りつけた日めくりカレンダーがキモになっている。
今の若い人はあまり見たことが無いかもしれないけれども、昔の日めくりカレンダーの1/1はめちゃめちゃ分厚かった。1日ずつちぎっていくタイプなので365枚あるわけだ。
そのため、飾っている柱が寝床の近くである場合、寝っ転がって下から見上げても、その分厚さで1番手前の文字まで読めないのである。
しかし、ある日寝っ転がって字が見えた……と、いうことは、それだけたくさんの紙がめくられて、もう日めくりカレンダーは薄くなっている。つまり、その薄さで、作者は年末を感じているということだ。
さて、今日はこの辺で。
江戸時代のユーモアが伝わるとうれしいです。
他にも面白い狂歌はあるので、また別の日に紹介したいと思う。
公任さんの更新も、近いうちに……!
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