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高橋和希先生の訃報

 七夕という昨日の夕方、遊戯王の作者である高橋和希先生の訃報を知った。
 まだ60歳。ニュースによれば、海での事故。
 年に数回更新されるスタジオダイスのインスタの新規絵を見ることを楽しみにしていたのだが、これからは新しい絵が投稿されることも無いのだと思うととても寂しい。 

 自分で思っていたよりもずっとショックが大きくて、今日は小説の更新もできなかった。正直に言って、いわゆる有名人の死でここまで影響を受けたのは初めてで、自分でも驚いている。近しい人が亡くなったのに近い喪失感がある。多分、病気や老衰ならば諦めもつくのだけれど、不慮の事故というのはあまりに突然だから余計につらいのだと思う。

 3時まで眠れなくて、ブラックマジシャンガールやマハードの絵を描いてぼーっと過ごしていた。サムネは漫画のコマを見ながらざかざかと描いたマハードの絵。参考にしたコマは笑っていなかったけど、私が笑って欲しくて少し微笑んでもらった。
 
 夕方に家族相手にボロボロ泣いて、モヤモヤした思いが軽くなったような気がしたけれど、夜になって一人になるとやっぱり気が落ち着かないので、気持ちと思い出を整理するためにnoteに記事として残すことにした。まだちょっと感傷的過ぎるかもしれないけれど、今の気持ちも残しておきたかった。

 私にとって「遊戯王」は特別な作品だった。
 noteで毎日日記を書いていた頃にトピックにしていないのが不自然なくらい、確実に私の一部なのだけれど、何というか、特別すぎて整理して書こうと思えなかった。
 「遊戯王」は私にとって一作品という括りで見られないくらい大きな「世界」だった。
 
 初めて知ったのは確か第一期というか、緒方恵美さんが遊戯の声を当てていたときのアニメを見たのがきっかけだったと思う。あの頃のアニメはカードゲームではないゲームが中心で、思い返せばかなり懐かしいし、遊戯王=カードバトルという認識が一般的な今となってはレアなのかもしれない。遊戯の声優さんが風間さん、海馬の声優さんが津田さんになってからのアニメももちろん見ていた。(ただ、原作が好きだったのでアニオリ回はあまり知らない。)
 以下、カードの話が多くなるけれど、私はカードゲームに移行する前の遊戯王も好きだ。

 小学生のとき、弟が友達にカードを分けてもらってきて、初めて遊戯王カードというものを見た。当時は今のような複雑な効果モンスターカードは全然なくて、オレンジ色の効果モンスターと青色の儀式モンスター、紫色の融合モンスターくらいだったんじゃないかな。
 通常モンスターカードというのは、初期の頃などは正直カードの性能としてはあまり強くないものが多いのだが、各カードのデザインとフレーバーテキストに想像力が掻き立てられた。カードゲームでも遊んだけれど、男の子がすぐに手放してしまう「雑魚カード」と言われた通常モンスターを集めて、即興で物語を考えて遊んでいた。
 通常モンスターの数だけフレーバーテキストがあるわけだが、フレーバーテキストが書いていない効果モンスターたちにも物語があるのだということも理解できた。これは、「果てしない物語」を読んだ時と同じ発見だった。
 OCGのカードは膨大な数なので、もちろん全てを高橋先生が監修しているわけではない。けれど、木の幹から枝葉が伸びて大木を形成しているようなもので、やっぱりそれは高橋先生が作った「遊戯王」という世界観に含まれる。
 カード一枚一枚に物語があって、それがひとつの世界として繋がっているというのが、とても新鮮で、カードに触っていると自分もその世界に降り立って風に吹かれているような感覚になったものだった。そのイメージは、フィールド魔法カードの「草原」を見たときに感じたものなので、魔法カードや罠カードの役割も大きいだろう。魔法・罠カードのイラストにモンスターが描かれていると、そのキャラクターの物語がまた広がって、想像するのが楽しくなる。
 OCGのモンスターたちが暮らす世界は漫画には描かれないけれど、カードを集めていれば、「確かにある」と感じられる。最近のカードは戦略性が強くなって、もう私の知らない色のカードもたくさんあるのだが、やっぱり世界や物語をより具体的に想像させてくれる通常モンスターカードのフレーバーテキストが好きだ。

 ミーハーだけれど、ビジュアルがいいカードがお気に入りだった。特に気に入っていたカードは原作にも登場しているものが多かったから、それは私が高橋先生のデザインや世界観に惹かれていたことの証明のようなものじゃないかなと思う。

 私が特別好きなのがブラック・マジシャンとエルフの剣士だった。
 エルフの剣士は、あまり強いカードではない。通常モンスターカードで攻撃力1400、守備力1200というのは装備カードを使わないとキツかった記憶がある。けれど、エルフといえば魔法職(ホーリーエルフなどは見た目からして魔法職)や弓矢というイメージがある中で「剣を学んだ」という彼の物語が好きだったし、何よりとても顔が好きだった。
 だから、主人公の遊戯が初期の頃からペガサス編までずっと使い続けていたのがありがたかった。

 ブラック・マジシャンはもっと特別だった。
 ブラック・マジシャンはとにかくカッコよかった。
 漫画でもアニメでも最高にかっこいい魔法使いで、登場するたびに私は心を奪われていた。
 一番好きなのが、敵に対して「チッチッチ」と人差し指を振る動作。アニメであの決めポーズを見られた時の私の目は、漫画の表現のように輝いていたと思う。
 いわゆる「恋」とは少し違って、存在そのものに憧れている……あるいはもはや崇拝しているような感じだった。エルフの剣士には「好き!」って言えるけれど、ブラック・マジシャンには口に出すのが恐れ多くて言えない……みたいな複雑な感情。今でも「推し」とは言いづらい。便宜上言うことはあるけれど、私の中の幼くて純粋な部分は少し抵抗している。

 私だけのブラック・マジシャンが来てくれたのは、小学校五年生のクリスマス、サンタさんのプレゼントとしてだった。今でもはっきり覚えている。
 当時の私は小五にしてまだサンタさんを信じていた(両親が子どもに夢を見せてくれるのが上手だった)ので、「サンタさんが本物のブラック・マジシャンを連れてきてくれた!」と本当に感動した。
 アニメの遊戯が使っているのと同じデザインのブラック・マジシャンはウルトラレアカードなので、1パック5枚しか入っておらず、レアさえ確定ではないカードパックをちまちま買っても滅多に手に入れられるものではない。私がもらったのは、スターターデッキという、そのデッキだけ持ってればとりあえずデュエルするのには困らないという初心者向けのもので、デッキの顔としてブラック・マジシャンがいらっしゃったのだ。

 ところでアニメのブラック・マジシャンの髪は紫色なのだが、原作のブラック・マジシャンは金髪なのをご存知だろうか。ご存知なかった方は、ぜひ原作19巻の表紙を見ていただきたい。原作19巻の表紙のブラック・マジシャンは本当にかっこいいし、ガールも可愛いので本当に見ていただきたい……。
 そう、そしてこのとき来てくれたブラック・マジシャンは、金髪だったのだ。原作の、高橋先生が描かれたブラック・マジシャンが大好きだった私にとっては最高だった。

 私が宝物のように大事にしていることを言ったら、クラスの男の子には「全然レアじゃないのに!」と揶揄されたことがあったけれど、私にとっては世界に一人だけのブラック・マジシャンだった。髪の毛が金髪だったのも本当に好きだった。カードの内側からこちらを見てくれているような感じがして、いつまででも眺めていられた。

 それからもちろん外せないのが、ブラック・マジシャン・ガール。
 私は単行本派だったのだが、本誌派の友達から「ブラック・マジシャンに女の弟子がいる」と聞いてからずっと気が気じゃなかった。
 一方的にめちゃくちゃ大好きな人に大切な人がいるらしいって聞いたときの気持ち、と言うのだろうか……。
 どんな女の子なのか気になっていた。可愛い子であってほしかった。
 初めてガールを見たのが、アニメの間にやっていたCMである。確か、何かのプレゼントで、ブラック・マジシャン・ガールのイラストカードを三種類もらえるみたいな企画のCMだった(今思えばとても欲しい)。テレビを見ていたら突然お弟子さんが現れたので、とてもびっくりした。不意打ちだったけれど、彼女がすごく可愛かったのでホッとして、ブラック・マジシャンと同じくらい大好きになった。何というか、好きな人の好きな人は好きになりたい気持ちもあった。そして原作単行本19巻の表紙を見て最高に感動したのだった。

 ……と、書いていたら4時になってしまったのでここで一度切って寝てみる。
 何だかんだここまで書いていたら程よく疲労して、一応寝られそうな感じがする。

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 一応4時間程度は寝られたのでよかった。続きを書く。

 パンドラ戦はブラック・マジシャンのための回と言っても過言ではない。あの時に出てくるブラック・マジシャンの顔が全部好きだった。
 特に遊戯を庇うシーンが真っ直ぐな忠誠心を感じて、胸が痛いくらい感動した。そんな後に初登場したのがブラック・マジシャン・ガール。墓地にいるブラック・マジシャンの数だけ攻撃力が上がると言う効果は切ないけれど、弟子として頑張る彼女の物語をよく表していて、こちらも感動した。パンドラのブラック・マジシャンもカウントされるのが、また良い。

 そして何と言っても「王の記憶編」。
 ブラック・マジシャンとブラック・マジシャン・ガールに本当の名前があったと言う事実が判明した時の私の衝撃と感激たるや。
 マハードとマナという名前を噛み締めるように何度も胸の内で呟いた。

 私には、ブラック・マジシャン登場時からずっとずっと気になっていたことがあった。それは、ファンタジー用語で「黒魔術」というのが、「白魔術」に対して悪という意味で使われることがあったことだ。ブラック・マジシャンが大好きであるが故に、私はオリジナルの魔法の設定を考えるとき「黒魔術」というのは「魔法の種類の分類であって善悪でカテゴライズされたものではない」というスタンスを現在でも取り続けている。「悪」ではないけれど 「悪」と見做されがちの黒魔術、という概念は私魔法観に大きな影響を与えてくれた。
 ブラック・マジシャンの表情や立ち居振る舞いから悪い人ではないと信じていたけれど、もし公式の設定で悪い人だったら……という不安がほんの少しだけあった。
 本編を読んで、そんな不安が杞憂だったと知って、そしてブラック・マジシャンは「良い人」と信じてきたのが証明されてどれだけホッとしたか

 遊戯王全体を通して、原作で一番好きなのがマナが王宮のツボに隠れているのをマハードが叱るシーンだ。生前のマハードとマナの交流が描かれているのはこの場面しかない。でもこの日常の一コマが、二人が「生活」していたことをよく表していて、今までずっと大好きだった二人は、古代エジプトという過去に確かに生きていたのだと思えたのだった。
 マハードという人は、本来は神官の中でも屈指の実力があるのに千年輪の邪念を封印することに魔力をほとんど注ぎ込んでいて、周囲から強い人だと思われていなかった。その本当の力を知っているのは弟子であるマナだけ。「五年前、神官になって千年輪を身につけた日から」と語っているところから、五年前から一緒にいることもわかるし、どんどん奥行きができる。
 さあこれからさらに! と期待したところで、マハードが悲劇の最期を遂げ、私は絶望して泣いた。確か当時は中学生くらいだったが、あの時の悲しみは人生の中でも本当に悲しかったことの一つでダイレクトに体調に影響したほどだった。
 本当の実力を誰に見せることもしないままで(ただ一人で終わらせようとしたのは彼の意志)あまりに可哀想だったけれど、石板の前で泣き、師匠の意志を継ぐために前に進むことを決めたマナの姿を何度も見てメンタルは持ち直せた。
 後に遊戯(ファラオ)の「ブラック・マジシャン」として再登場してくれたときはまた嬉しくて嬉しくて、師匠のピンチに助けにくるマナのシーンも感激して、そして最後にまた石板ごと砕かれてしまってつらかった。この辺りはまた書き始めるとキリがなさそうなので敢えて省略する。
 後に発売されたファンブックで年齢や身長などの詳細なデータが出た時の私の喜びは語るまでもない。

 とにかく、私はマハードとマナという師弟が大好きで、人生の一部で、何というか「キャラクターとして愛でる」という感情ではなかったのだ。キャラクターではなく、「人」として好きだった。だから二次創作はほとんど見ないようにしていたし、マハードやブラック・マジシャンを軽く扱う発言も嫌だった。今は昔より耐性は出来たけど、まだ苦手ではある。
 二人が生きていた「古代エジプト」という世界について知りたくて、中学生の頃は古代エジプト関連本ばかり読んでいた。魔法の次にハマった古代エジプトというジャンルは遊戯王の影響以外の何物でもなかった。この頃の知識は、魔法世界を想像することに深みを与えてくれた。私が一番好きな魔法使いは、古代エジプトの魔法使いだ。今でも、その後ろにマハードとマナの面影を探そうとしているのかもしれない。

 そういうわけで、私は「遊戯王」の世界観と、マハードとマナという「人」に心酔し、文字通り心を奪われていた。思い出として深く深く根付いているのがマハードとマナに関するエピソードであるのでそれを中心に書いたけれども、もちろん原作の話も好きだ。海馬くんも好きだし、漫画で何度も活躍した「死者蘇生」というカードを使っての最終回のメッセージにも胸を打たれた。高橋先生が監修した映画だって刺さるくらい好きで、劇場にも何度も見に行った。鬼滅の刃の無限列車の映画も何度もリピートしていたけれど、初めて「映画を上映期間中に複数回見にいく」という行動をしたのが遊戯王の映画だった。

 小学生の頃から、高橋先生にお手紙を出すことは何度も考えていたのだけれど、結局今日に至るまでファンレターというものを出したことはなかった。
 これは何というか、本当に複雑で面倒な気持ちであることは自覚している。敢えて俗っぽく言えば「クソデカ感情」というやつだ。私にとってはずっとマハードとマナ(ブラック・マジシャンとブラック・マジシャン・ガール)という二人は確かに「生きた人」であって(もちろん今だってそうである。だから本当はいつも敬称をつけて呼んでいるので、今呼び捨てにするのもソワソワしている)、つまり高橋先生はそんな人たちをこの世に生んだ「神様」だった。神絵師とか髪作家、という言葉を軽いノリで使ってしまうこともあるけれど、ここでいう意味は紛れもなく「神様」だ。神様にお手紙を出すのは、サンタさんにお手紙を出すのとは全然違う。私にとっては本当に畏れ多いことで、高橋先生は、いわば太陽みたいに空の上にある絶対的な存在だった。だから、結局一度もペンを取ったことはなかった。強いて言うなら、いつか自分が小説で何かの賞を取って、本が出せたらようやくその資格が得られるかもしれないと考えたことはあったくらい。
 もちろん高橋先生が才能溢れる一個人であるのも理解しているからこそ、自分の感情が大きすぎて気持ち悪いだろうなと思っていたので、今日までこういう気持ちを外に発信したことはなかった。
 でも、昨日、今日に至っては、今言わずにいつ言うのだろう、という気持ちになってこうしてnoteという場に、高橋先生への思いを書き綴ることにしたのだ。これは遅すぎたファンレターだ。もう先生の目に触れることもないファンレター。

 高橋先生の作ってくださった「世界」は私という人間や、私の創作、私が作った「世界」を形成するのに欠かせないものである。もちろん、カードゲームでも、ゲームでも何度も遊んだ。遊戯王を通して得られた笑顔の思い出は数えきれないくらいある。遊戯王を通して学んだことも、またそうだ。
 そしてそれは、私だけじゃなく、日本中、世界中の遊戯王に触れた子供たちがそうだと思う。
 だからこそ、先生にもずっと幸せでいてほしかったから、お一人で海で亡くなったという最期がやりきれなくて涙が出てしまう。
 冒頭で近しい人が亡くなったのに近いと書いたけれど、私が遊戯王を知ってから今日までずっと心の中に遊戯王があったわけで、そういう点では精神的にはずっと近しいところに高橋先生がいたからこそ、そう思うのかもしれない。

 こうして書いてみて、ある程度気持ちの整理はできたけれど、改めて悲しい。たくさんの人にたくさんのことをプレゼントしてくださった高橋先生が、もうこの世にいらっしゃらないのがとても悲しい。

 高橋先生(スタジオダイス)のインスタを見ると、先生は元々毎年七月に沖縄に行ってらしたくらい本当に海がお好きだったようで、コロナ禍の影響で海に行けない時期が続いたのをとても残念がっていらっしゃったようだった。
 去年はどうだったのかわからないけれど、もしかしたら今年は数年ぶりに沖縄に行かれたのだろうか。
 ニュースで見た沖縄の海が憎らしいほど綺麗で、せめて先生が大好きな海を見て幸せだと感じる瞬間があったのなら良いなと思った。そう思いたい、とも言える。

 もう日付を越してしまったけれど、昨日は七夕だった。
 今年の七夕は願いごとをしなかった。一応古典畑の人間なので、七夕は織姫と彦星芸事や勉強の上達・向上を願うのが本来のあり方に近いことは承知している。でももし、天に思いが通じる道のようなものがあるなら、高橋先生にこの感謝の気持ちが伝わりますようにと、心から思った。

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