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僕はひとの話が聞けない(東京の生活史 私的編集後記)

昨年から参加していたプロジェクト「東京の生活史」の本が完成した。
9月21日から全国の書店に並んでいる。(都心の大型書店では発売日に先駆けて並んでいたところもあるみたいで、先週末行きつけのMARUZEN&ジュンク堂書店梅田店に立ち寄った際に、レジ前に平積みされていたのをたまたま見つけた時は「本当に売ってるんや」と感慨深い気持ちになった。)

「東京の生活史」は、社会学者・作家の岸政彦さんが監修をつとめる企画。聞き手を公募した上で、それぞれが自由に選んだ語り手(東京にゆかりのある人)の話をまとめた生活史のインタビュー集である。当初の予想を大幅に上回る500弱の応募があったらしく、最終的に150人の聞き手が150人の話し手に聞いた話をまとめた1200ページを超える大著になった。

僕は幸運にもこの150人の聞き手の1人としてこのプロジェクトに参加することができた。そして、せっかくなのでこのプロジェクトに参加して感じたことをまとめておきたいという個人的な動機からこの文章を書いている。

本プロジェクトや生活史に興味がある人はいち参加者のこぼれ話として、副読本の様な感覚で読んでもらえたらありがたい。

祖父の青春と戦争の記憶 

「東京の生活史」は個人の生活史(語りを)を通して「東京」という街に迫るこれまでにない取り組みだ。
僕は、しばらく悩んだ末に、祖父に話を聞くことに決めた。
(はじめは小室哲哉に話を聞きたいと本気で考えていた時期もあった)

祖父は弁護士で、95歳になる今も現役で仕事をしている。幼い頃からずっと気難しく厳しい尊敬してるけどちょっと距離のある人という印象があった。数年前に耳が聞こえづらくなってからは、スムーズな会話のやりとりが難しくなった。たまに家族で集まって食事をしている時も、まわりの会話が聞こえているのか、いないのか分からない。しばらくじっと目を閉じて寝ているのかと思いきや、突然話しだすというのがお決まりのパターンだった。

そんな時に祖父がする話は、家族の話や仕事の話ではなく、いつも決まって戦争の話だった。

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祖父は昭和2年、当時日本が進軍していた満州に生まれた。祖父の父、僕にとっての曾祖父は旧日本陸軍の将校だった。当時の日本は戦争への道をひた走っていた。祖父はそんな時代の中で、陸軍幼年学校、陸軍士官学校へと進学。18歳で終戦を迎えた後は、働きながら夜間の大学に入学して司法試験を受け検事を経て弁護士になった。

祖父は50年以上京都に住んでいるが、京都は祖母の郷里で祖父の実家は埼玉
だった。よく「珍しいですね。どこ出身ですか?」と聞かれるこの「金井塚」という苗字は曾祖父の郷里である埼玉の蓮田に多いものらしい。
結果的に祖父は人生の大半を関西で過ごしているのだが、それは検事になって最初の赴任先がたまたま第二希望で書いた大阪だったからだそうだ。
(大阪なんて縁もゆかりもない、てっきり第一志望の東京に行けると思っていたという話が本編(東京の生活史の本)の語りの中にも出てくる。)

僕は改めて、なぜ祖父がいつも戦争の話ばかりするのかが気になった。それは僕にとってずっと「京都のお爺ちゃん」だった祖父が関西に来る前の話で、幼少期から20代後半までの祖父の青春時代の話でもある。そんな経緯から当時20代最期の年だった僕は、95歳になろうとしていた祖父が関西に来るまでの話を聞くことにした。
(余談だが、百田尚樹の小説を原作にした映画「永遠の0」では、司法浪人中のモラトリアムな日々を過ごす主人公が祖母の死をきっかけに、弁護士の祖父からある秘密を知るというところから話がはじまる。当時、就活生の僕は映画を見た際に主人公に感情移入していた。)

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本「東京の生活史の」本編にまとめた話は昨年合計4回、合計4時間程度にわたって祖父に聞いた話を内容はそのまま、順番を組み替えて1万字程度にまとめたものだ。孫である自分や親族以外の人にとって、この語りがどれほどの意味を持つのかは分からない。ただ、僕は、今回祖父の語りを聞いてまとめる過程で、はじめてひとりの人間として祖父の人生に触れられた気がした。また、祖父の人生の中に自分のルーツが垣間見える瞬間があった。あるいは自分が祖父の人生の一部を反復している感覚になった。

本編にはたくさんの地名が出て来る。祖父が曾祖父から聞いたノモンハンの戦場の話からはじまって、生まれた満州の遼陽、曾祖母の実家の埼玉県の栢間村、曾祖父の実家の埼玉の蓮田、幼い頃戦場にいるため家を空けがちな父親に変わって面倒を見てくれた叔父が住んでいた東京の三ノ輪、叔母が住んでいた蛎殻町。陸軍士官学校があった神奈川の座間、終戦後配送した先にたどり着いた長野の松本、戦後勤めていた自動車工場があった埼玉の熊谷、その入学した中央大学の夜間学校のキャンパスがあった東京の神田。そして、予想外に赴任が決まった大阪と、祖母と結婚して根を下ろした京都。東京のそばに生まれて、東京に通い、東京で働く未来を想像していながら、ついに東京と交わることのない人生だった。最後は、なぜかもう一度陸軍幼年学校の頃にさかのぼり、父の転勤の関係で住んでいた岡山の津山に行き着く。「故郷の埼玉も、東京も、わしには縁のない場所だった。岡山こそがわしにとって重要な場所なんや」という話で祖父の語りは終わる。

中空の東京と通りすがりの人々

僕が聞いたのはそんな東京と交わりそうで交わらない祖父の話だった。祖父は東京という巨大な恒星を中心にまわる世界で生まれ、何度もその中心に接近しながらも、最終的には軌道を外れて、別の銀河系にたどり着いたようだに思えた。そしてそれは僕の人生とよく似ていた。僕は、大阪生まれ大阪育ち大阪在住。広告や出版の仕事に憧れて、新卒でお茶の水に本社を構える出版取次の会社に入社するが、寮があったのは千葉の西船橋、初めての職場は埼玉の和光だった。結局1年ちょっとで転職して大阪に戻り、今に至る。

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以来、仕事や私用で多い時には月10日弱程、東京に滞在する時もあるが僕にとって東京はいつまでたってもどこか他人行儀な感じのする街だった。会いたい人にすぐ会える、文化が集まっていて、いつも刺激に満ちているこの街にほぼ毎月足を運んで5年。土地勘もついて、お気に入りの場所や行きつけのお店もそれなりにできたけど、東京の街を歩く時にはいつもよそよそしさを感じていた。大げさに言うと辺境から来た異邦人の気分だった。東京が嫌いな訳ではない。たぶん、好きなところの方が多い。だけど、いつまでたってもこの街に自分が住む未来は想像できなかった。

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変な話かもしれないが、東京の街を歩いていて、たまに「結局、東京ってどこのことなんだろう?」と思うことがある。渋谷のスクランブル交差点、東京駅丸の内の広場、東京タワー、六本木ヒルズ、表参道、シンボルとなる場所はたくさんあるかもしれないが、どこも実際に行ってみると、「これが、東京なのか?」という感覚になる。東京には中心がない。「東京」とは、それぞれの心の中にある概念で、その概念が寄り集まって様々な「東京」イメージ生まれ、実際の都市が編まれていっているような気がした。

岸さんは「東京の生活史」のプロジェクトの中で、東京の象徴でも、縮図でもなく、「普通の東京」を描きたいという話をしていたが、やはり「普通の東京」はひとりひとりの人生の語りの中にあるのかもしれないと納得させられた。

僕が東京に行く時はいつも夜行バスだった。この5年間できっと何百回とバスに乗った。20代前半は特に東京に行く時は予定をつめまくって、いつも軽い躁状態になりながら、大都会の刺激に酔いしれては、出発時間ギリギリの大阪行きのバスに飛び乗った。東京駅の丸の内線から八重洲南口までのルートを何度も繰り返し駆け抜けた。翌日、早朝に大阪駅に到着したバスを降りると、まだ夢現の頭の中、白み始めた空の下、前日までの東京滞在の思い出を噛みしめながら歩いて家に帰る。時々、この記憶は幻なんじゃないかと感じることがあった。本当は東京に2~3日滞在していただけなのに、なんだか途方もない時間を異世界で過ごして、現実世界に戻って来たような感覚になった。映画「千と千尋の神隠し」のラストシーンの千尋もこんな心境だったのだろうか。カメラロールの写真等を見返して、記憶が現実のものであることを確かめる。僕もまた、いつまでも中心が分からない東京とすれ違い続ける人生だった。

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ポケットのレシートと将軍の孫

話を祖父の生活史に戻す。
今回 東京の生活史に参加する中で、「東京とはなんなのか?」という問いと並行して「生活史とはなんなのか?」ということについて考えていた。

これは極めて個人的な解釈で、もしかすると、岸さんの考えや、学問としての生活史の考え方からちょっとズレるかもしれないが、今回、これまであまり話をする機会が無かった祖父に生活史の聞いて、はじめて祖父の人生に触れられた気がした僕が思い出したのは、あるドラマの1シーンだった。

坂元裕二脚本のドラマ「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう 」の中に、孤独な青年練(れん)の祖父の遺品のパジャマの中に入っていたレシートを、彼を気遣う音(おと)が読み上げるというシーンがある。練にとって祖父は親代わりでたったひとりのかけがえのない家族だったが、ある時から祖父は精神を病み、献身的に介護をしようとする練に対して罵詈雑言を浴びせて遠ざけ、結局分かり合うことができないまま死に別れてしまう。優しかった祖父の豹変と救いのない死に深く傷ついていた練に音は声をかける。


じいちゃんのパジャマです
じいちゃんは駅の便所で死にました
(中略)
そこに俺はいなかった
なんの言葉も、なんの遺言もないまま
(中略)


パジャマのポケットにこんなものが入ってました
レシートです スーパーとかそういう
おじいちゃん何度か病院から出かけていたんですね
なにがってわけじゃないんですけど
ちょっと読んでみてもいいですか?
読みますね


9月3日12時52分
スーパーたけだや
蒸しパン160円 牛乳小120円 一口羊羹120円
時間的にお昼ご飯でしょうか?
蒸しパンと、牛乳と、一口羊羹

(中略)
分んないですけど                 
本当のところは分かんないですけど         
おじいちゃん本当のところは怒ったり、憎んだり、  
そういうのばっかりじゃなかったんじゃないかなって
毎日ちゃんと生活してたんじゃないかなって

       
(ドラマ「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」第7話より)

あくまでドラマ上の演出であるが、この祖父のパジャマのレシートを音が読み上げるシーンは、生活史を聞くために人の語りに耳を傾ける行為にとても似ていると感じた。そこには、ただ事実だけがあって、多く人にとってそれは、何の面白みもない、意味を持たない、ありふれた日常の風景だったり、ただの偶然の積み重なりだったりする。だがある視点から見たら、そこには、かけがえのないひとりの人間としての語り手の生活や人生そのものが垣間見えたりする。

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完成した本を祖父に渡す時、どんなリアクションが返ってくるのか想像がつかなかったので、緊張しながら祖父が本を食い入るように読む様子を見つめていた。読み終えた後、祖父は珍しく笑顔になって「ようまとめたな」と一言った。そして、お礼のつもりなのか、自分がつくった俳句を寄稿した同好会の冊子をくれた。あの厳格な祖父がどんな俳句を書いていたのだろうかと身構えて読んでみると、妻と喧嘩をした話、季節の行事の話、日々の仕事の話、食べ物の話等、あまりに日常的な内容が、孫のひいき目からみても洗練されているとは言い難い、初々しい筆致でまとめられていて、なんだか可笑しくなって力が抜けてしまった。厳しく、完璧主義で、近寄りがたい存在だと思っていた祖父にもきっと僕の知らない顔や生活がたくさんあったのだ。

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ふと冊子の表紙に目をやると見覚えのある銅像が映っていた。写真は祖父の母校の中央大学のものだったが、その銅像は僕が幼い頃から祖父の玄関にずっとあるものでもあった。気になって銅像について調べてみると、北村西望という作家の「将軍の孫」という作品であることが分かった。大人用のぶかぶかの軍靴と帽子を身に着けて、おどけて敬礼をするその少年の姿に、語りの中の祖父の幼少期の姿が重なった。祖父の心の一部は今でもまだこの少年の姿のままどこかに留まっている気がした。
(ちなみに映画「火垂るの墓」でも、妹の節子が兵隊の真似をして同様のポーズをとるシーンがある。「将軍の孫」のパロディであるという説があるが公式発表ではないらしい。終戦時18歳だった祖父は、14歳という設定の火垂るの墓の兄の清太と同じ世代であるということに気づいてからは、清太も生き残っていたら祖父のような想像もつかない未来があったかもしれないのかと思いを馳せることがあった。)

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僕はひとの話がきけない

本の紹介をするはずが、何とも取り留めのない身内の話になってしまったが最後に少しだけ自分の話をしたいと思う。

僕はずっと人の話をうまく聞けないことがコンプレックスだった。
幼い頃から、「人の話を最後まで聞きなさい」「今、ちゃんと話きいてた?」「いっつも聞いてるふりして、本当は全然話聞いてないよね」と、数えきれないくらい人に注意されてきた。背景の1つには、発達障害の影響が間違いなくあると思われるがそのことはここでは深堀するつもりはない。

僕の場合、人の話をちゃんと聞くことをある程度早い段階で自覚したことや、人の話を聞くこと自体は好きだったことから、試行錯誤を繰り返しているうちになんとか日常生活や仕事で困らない程度に聞くこと、あるいは聞いてる風にふるまうことはできるようになった気がする。(実際にどこまでできているかはあやしいが)
そして、気づけば、あろうことか、対人支援やライター等、聞くことが主な仕事になっていた。未だに、聞くことは難しいと思いながらも日々なんとかやっている。

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僕は、ひとの話が聞けない。

時に、相手が話終わる前に結論を先取りしてしまうし、相手の発言を勝手に解釈して自分の考える文脈に閉じ込めてしまうこともある、そもそも別のことを考えていて内容が頭に入ってこないこともあるし、聞こうとする前に心を閉ざして通り過ぎてしまうこともある。

だけど、やっぱり、ひとの話を聞くことは面白いし、ひとりの人間の中になるかけがえのなさ、とほうもない可能性に触れる扉になると思うから、僕はこれからも、話を聞かせてくれる人がいる限り、ひとに話を聞き続けたいと思っている。

こんなまとまりのない文章を最後まで読む人がいるかは疑問だけど、もし、文章を読んで生活史や聞くこと、そして「東京」や「人生」のわけのわからなさに興味を持ってくれた人がいたら、是非「東京の生活史」を手に取ってもらえると嬉しい。

ひとのは話を聞くことは、難しいけど面白い。分からないけど愛おしい。
完成した本を読み返しながらそんなことを考えていた。


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