母国と演劇

昨年ミュージカルの何かのランキングで1位に輝いた『アナと雪の女王』と、今最もホットな舞台『千と千尋の神隠し』を同じ日に見たところ、あまりにも語りたいことが多いのでここに書き留めたい。

エッセイを書くために始めたnoteだが、今回は感想記ということで。
ネタバレがあるかもしれないので、観る予定の方はご注意願います。


結論から言うと、どちらも日本の演劇・ミュージカル界における大きなターニングポイントだと心から思った。文章が長くなる気しかしないので始めに言っておく。どれだけ文が続いてもこれ以上の結論には着地しない。


他の演劇やミュージカルに比べて、この2つの何がすごかったか。


まず、客層の幅が圧倒的に広い。アナ雪は会場に向かう最中に既に青いドレスに三つ編みの子どもを見かけ、会場に着いたら各々にアナ雪になりきったりアイテムを身につけた子どもがわんさかいた。帰り際に「あー楽しかった♪」と子どもの声が聞こえて、こんなに素直でストレートな感想久しぶりに聞いて、思わず頬が緩んだ。千と千尋は年齢層においては上に広がっている印象だが若い人も多く、何よりアイドルが出ていないのに男性トイレに列ができるのは相当なことだ。基本的に男女の脳の構造の差とチケット代のハードルが影響して、演劇のメインターゲットは女性のちょっと高め。40代が1番多い気がする。そのターゲットをいかに広げられるかは演劇界の課題のひとつでもあると思うので、既に老若男女問わず愛されているこの2作品を入門とし、演劇の良さに触れるきっかけとなる人は多いだろう。特に子どもにとっての初めてのミュージカルに関しては、今まではライオンキングかアニーあたりが定番であった。しかしそこに投じられた最新作であるアナ雪は、マッピングなどの最新技術がたっぷり詰まっている分、より世界観に惹き込まれるだろう。これを初めてのミュージカルとして観劇した子どもたちは、きっと舞台好きに育つ。千と千尋に関してはチケットの取りにくさなども手伝って少しハードルが上がるが、舞台の良さを伝えるにはもってこいかもしれない。

ここで浮上する問題が、舞台初心者の多さ故に引き起こされるマナー違反の多さだ。アナ雪の場合は多くが子どものかわいらしいミスなので目をつぶってやろうと思えるが、千と千尋では大の大人が荷物をゴソゴソしたりスマホを使ったりしているのがちらほら見受けられた。新たなターゲットを取り込めることは演劇界にとっては非常にポジティブなことではあるのだが、その分慣れない客たちのマナー違反に、コアファン達が頭を抱えるわけだ。映画館のようにマナー講座の動画を開演前に流せばいいのかもしれないが、とにかくこの問題は演劇の文化が広がるに従って向き合っていかなければいけない問題だと思った。


そして、拍手もすごかった。アナ雪は1幕がレリゴー終わりなのだが、体感だと1幕の終わり史上1番拍手が大きかった。客席の照明が明るくなった瞬間、観客が一斉に口を開いてガヤガヤしていた。これはつまり、客席が「湧いた」のだ。声を出してはいけないミュージカルで、1幕終わりがあまりにも盛り上がったものだから、全員語り出さずにはいられなかった。舞台上で起こっている魔法に、皆拍手せずにはいられないといった様子で、通常より熱量の高い拍手に感じた。

千と千尋では、拍手の熱量は同じくらいなのだが、始まりが1拍遅れていた。映画の世界にあまりにも忠実だったのだ。拍手するべきタイミングというのはどの作品にもあるが、千と千尋の場合はそれに反応する前に「我に返る」という動作が必要になる。それが拍手の音から感じ取られた。

続けて再現度について話すと、アナ雪と千と千尋は再現の目指す部分が違ったと思う。アナ雪は他の劇団四季の作品と同様、本編にはない歌が挿入されていたり、歌詞の和訳が微妙に違ったり、シーンの順番もミュージカルとして映えるように構成されている。雪の魔法の表現も、再現度にこだわるというよりは、魔法がいかにファンタジー感を演出できるかを意識して作られていた。一方で千と千尋は、「まんま再現」であった。役者の個性を活かそうとしていたのは釜爺くらで、あとは見た目も声色も言い回しも、いかに原作に寄せられるかが意識されていた。印象的だったのが、電車のシーンである。セリフも無く、ただ電車に揺られているシーンがかなりたっぷりと尺を取られていた。普通の舞台なら間延びと感じてもおかしくないレベルだが、これも映画の世界観を抜き出しているから成立しているどころか、むしろ欠かせないシーンとさえ思えた。尺のバランスはほとんどいじっておらず、等身大で再現していた。一歩間違えば「じゃあ映画でいいじゃん」と言われかねないほどそのまんまの再現度に、舞台の迫力で付加価値を生み出していた。そのバランス力と発想力は、さすがジョン・ケアードである。

一言でまとめるとすれば、アナ雪は映画をミュージカルで映えるようにするためのリメイクで、千と千尋はVRのように観客を映画の世界に惹き込む疑似体験であった。


ここまでアナ雪と千と千尋両方の良さを、共通点・相違点共に語ってきたが、どうしても語らずにはいられない千と千尋ならではの良さがある。「日本らしさ」である。

世界初演のこの作品、このクオリティなら当然いずれ世界中で上演されるようになるだろうが、そのときに本作は日本の良さを世界中に伝える力を持っている。

まず、この作品の中で最も大切なキーワードのひとつが「八百万の神」である。日本の神道は、多神教であったり、日本人の無宗教が多い国民性などから、世界での理解度が低い。そんな日本の神様の持つ力、壮大さを、この作品が世界中に広めてくれるだろう。ミュージカルを始めとした文化には、宗教は付きものである。『レ・ミゼラブル』『ノートルダムの鐘』など、キリスト教をモチーフにした作品は圧倒的壮大さを持ち合わせていて、千と千尋にはそれに近い迫力を感じられた。しかもこちらには八百万の神がいるわけだから、数で言うと圧勝であり戦いはかなり有利なものだ。これを機に日本の神様たちももっと世界で愛されれば良いなと思う。既に外国人観光客から結構人気が高い神社の鳥居なんかも、今後更に注目されるかもしれない。

また、日本はオリジナルミュージカルの成功例がまだ少なく、世界のミュージカル界と比較しても、日本の他の舞台文化と比べても、かなり弱小文化なのである。海外の文化を取り入れて真似をするのが得意な国である分見逃しそうではあるものの、ミュージカル文化の独自性の無さは大きな欠点なのだ。千と千尋は音楽劇なので、正確に言えばミュージカルではないのだが、今後の日本の演劇界、延いてはミュージカル界を盛り上げていくうえで大きなターニングポイントになったと私は思う。これだけ日本の文化の塊のような作品がようやく出てきたことは、演劇ファンとして本当に誇らしく思う。

また演出についても、外国人が担ったとは思えない「日本らしさ」の結晶で、演出家の日本愛を感じずにはいられない。浄瑠璃を彷彿とさせるような人形使いが黒子として存在する一方で、水や橋など大きな存在は照明や音、ジェスチャーなどで補う。実際の視界と空想の世界とのギャップを想像力で補うというのは、日本人が古くから得意としてきたことでる。数年前に華道を囓った際、空間の何もない部分に風などの自然を感じるのだと教わったことをふと思い出した。千と千尋の世界に相応しい表現方法が、随所に見受けられた。

この作品を通して、日本の宗教や文化、表現力など、他国にはない魅力が少しでも伝わり、今後生まれるであろう日本オリジナルの舞台作品にとっての道標となってほしい。


自分でも信じられないほどに長々と語ってしまったが、結論は最初と変わっていない。この2作品は、絶対にこれからの日本の演劇界を変える。或いはもう変え始めている。同じ日にこの2作品を観られて本当に良かったと思う。読み手の気持ちを一切考えずにここまで語ってしまったので、誰からも読まれなくても文句はない。ただもしここまでこの文章を読んでくれた人がいたのなら、その人には是非この2作品を観に行ってほしいし、今後舞台に足を運ぶ機会があったら、「日本の演劇界頑張ってるな」と感じてもらえると嬉しい。

就活真っ只中の私は、少しでもエンタメに近い仕事をと思って日々精進している最中だ。誰かが「日本の演劇頑張ってるな」と思ってくれるきっかけとなる作品に、私も何かしらの形で携わっていたいものだ。

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