ヴィジョン革命15
第五部 体験を考察する
第二十六章 探索の拡がり
人間の標準
精神世界に取り組んでいると、時々「ぶっ飛んでいる」と言われる。その人たちの言う「ぶっ飛んでいる」とは何を指しているのかと眺めていると、見えない世界で狂ったことをしていると思っているようだ。おまけに聞いてもいないのに、自分にはできないと主張する人たちもいる。一方のわたしは、人間に備わっている能力を掘り出し、楽しんでいるに過ぎない。意識開発が人間の規格に入っていると確信するのは、睡眠中に夢を見たりと変性意識状態になるからで、それは特別なことではないからだ。「ぶっ飛んでいる」ことは、この時代に忘れられているだけで、本来は人間のデフォルトだ。
逆に、ぶっ飛んでいないとは、どのような状態なのかを身体・感情・思考の三分節のバランスで例えてみた。食べ過ぎて運動不足、人の目を気にするので人に干渉したがる、問題でもないことを問題にするわりには自分を省みない、などと過剰と枯渇が浮き上がる。だらしなく重い身体、騒ぎ立てるサル並みの感情、誰かや何かに盲信する奴隷化した思考は、ぶっ飛べない三分節の典型だろう。
しかも、変わる気がないのに変わりたいと、自分に嘘をついている人は結構いる。変わる気配を感じると、グダグダと自分語りが始まり、だから今はやらないと後退するのは、変わりたくない証。今、握りしめているものを手放してまで変わりたいわけではなく、「知性を感じる聞こえのいいもの」が欲しいというのが本音でしょう。足るを知らない。
精神世界は、修行をする場である。独りで日々コツコツと、変性意識に入る数稽古が基盤になるのですよ。意識の筋トレで基盤をしっかりと作り込まないと、意識に上がらず、何が教えなのかが理解できない。それを受け取りに行くには、変性意識へぶっ飛ぶことから始まるのです。
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