【集会参加報告】「第31回『北方領土の日』廃止! 北大人骨事件糾弾! アイヌ民族法制定! 札幌全国集会」に参加しました。
なぜ「北方領土の日」に反対するのか
ひっかかりを感じる人がいると思うので先に説明します。
2月7日「北方領土の日」は、「北方領土」返還運動を推進するため1981年に設定された記念日です。
さて、2月7日という日付はなんの日か知っていますかピ?
この日は1855年に江戸幕府と帝政ロシアが日露和親条約(下田条約)を結び、最初に日露国境が確定した日だピィ♪
……と例の鳥なら説明しそうです。
しかしこれは明らかに侵略者の目線の史観です。
実際にそこで行われたことは、そこに暮らしていた道東アイヌ・千島アイヌたちの日露両帝国主義による分断と強制移住です。
言うまでもありませんが、領土分割にアイヌの人々の意見は全く反映されていません。
ネトウヨ”リアリズム”的に言えば、「ロシアの南下という客観的状況からそうせざるを得なかったのだ」ということなのかもしれませんが、それにしてもアイヌをはじめとする先住民族への抑圧が確定的なものとなった2月7日その日を「北方領土の日」とすることはグロテスクさがすぎるというものでしょう。
その後日露国境は、
1875年樺太・千島交換条約(サンクトペテルブルク条約)により樺太がロシア領、得撫島以北の千島列島が日本領に
1905年日露戦争ポーツマス条約により南樺太が日本領に
1945年2月ヤルタ協定(米英ソ密約)による、南樺太および千島列島のソ連への割譲の予定
8月9日ソ連対日参戦、8月18日から9月にかけての戦闘においてソ連が「北方4島」=「南千島」を含む全千島列島を占領
1951年サンフランシスコ講和条約により日本による千島列島および南樺太の放棄
と変遷し、いわゆる「北方領土問題」は条文中の「千島列島」の範囲の解釈に関する争いということになりますが、そんなことは先住民族にとってはどうでもよく、結局のところ日露いずれの帝国主義に支配されるかの違いしかありません。
(なおサンフランシスコ講和条約は、既に「内地」に居住していた「外地人」=朝鮮半島・台湾ルーツで大日本帝国籍を持つ人々が自動的に日本国籍を喪失すると解釈され、在日韓国・朝鮮人問題を引き起こした非常に問題のある条約ですが、ここではその話は割愛します。)
したがって私達は、アイヌの頭越しに行われる「日露領土交渉」や返還キャンペーンに反対し、民族自決を勝ち取るために行動しなければなりません。
集会報告
集会は1月26日に札幌市内で行われました。
東大から私と、難民支援に取り組まれている金澤伶さん、そして京大生で参加させていただきました。東大も京大も、アイヌ民族、琉球民族、奄美人、朝鮮人のご遺骨を盗掘してきた大学です。
集会ではアイヌ民族の木村二三夫さんから、未だ遺骨を返還しようとしない日本人類学会や、その最先頭に立つ東大・近藤修准教授への怒りが表明されました。
私からはこのかんの裁判闘争について報告し、「東大の事務職員がアイヌに対する差別を行っていることに驚いて訴訟を起こしたが、今の人類学会の態度を見れば自分の認識が甘かったと言わざるを得ない。裁判そのものは敗訴したが、差別メールの存在を東大に認めさせられたことは成果。それを土台にして、アイヌ民族当事者やピリカの市民の皆さんに頼り切りになるのではなく、まず自分たち大学生が大学内部から帝国主義学問と闘って行動していく。」と決意表明させていただきました。
先住民族へのこれまでの差別研究を謝罪し盗掘品などを返還することは、世界では既に当たり前になっていると聞きます。
盗んだことを謝罪する、遺骨を元の場所に還す、たったそれだけの最低限の責任すら、私達和人、そして日本の大学は果たしていません。
今も私達が盗掘品を保有しつづけている以上、これは過去の問題ではなく、いまの問題です。私達の世代で差別研究は終わりにしましょう!